25 目覚めの夜(2)
レムからルシナがダーモット邸へ向かったと話を聞いたリュカは、後を追って夜の街道を走っていた。
正直、ルシナがこんな行動をとるとは予想していなかった。いくらリリィのためとはいえ、これほどまでに冷静さを欠いたことをする人物ではないとリュカは思っていたのだ。
少なくとも、魔戦士ルシナはそうだった。冷徹というより、あらゆることに関心がない男だった。たとえ自分の隣で仲間が死んでも、それを仕方のないことと受け止め、粛々と己のするべきことを全うする――そんな性格のようにリュカは思っていた。
記憶喪失のルシナは以前よりも人間臭さが増したように思えたが、以前リリィの依頼でルシナの行方を探し、同居人女性の住居まで行った時――彼は泣き叫んで引き留める彼女を、意に介さなかった。冷酷といえばそうなのだろうが、ルシナは意図してそのような行動をとったわけではない。彼にとっては全てが『仕方のないこと』だったのだ。
(それほどまでに……リリエルの存在は特別なのか)
彼女といる時のルシナは、穏やかな空気をまとい、よく笑っていたようにも思える。
魔戦士ルシナを知る者なら、まるで別人だと言うだろう。
聖霊ネオスに勝ち目はないことを、ルシナは理解しているはずだ。それに加え、セスという魔人までいるらしい。かつては恐れられた戦士といえど、人を食べない魔人は徐々に特有の身体能力、再生能力を失っていき、ただの人間に段々と近付いていくのだ――。
街灯が誰もいない橋の上をぼんやりと照らす。橋の真ん中辺りを通り過ぎた時、リュカは異様な臭いにふと足を止めた。
(これは――)
竜人族であるリュカは、レムほど鼻が利かない。しかしその臭いははっきりと捉えることができた。
橋にさしかかった時は何も感じなかったのに、突然背後から臭って来たのだ。
橋の下から煙のように立ち上る血の臭い――。
リュカは身を乗り出して橋の下を覗いた。静かに流れる黒い川の岸辺――リュカの金色の眼がその人影を映し出す。
「ルシナ!?」
リュカは岸の真上の辺りまで戻ると、ひらりと橋の上から飛び降りた。かなりの高さがあるが、リュカにとっては難なく飛び降りることができる程度である。
草むらに身を横たえている人物――リュカの眼は暗闇を見通すことができる。それは確かにルシナだった。
リュカは夢中で駆け寄り、そのすぐ傍に膝を付いて揺すり起こす。
「ルシナ! しっかりしろ!」
ルシナは仰向けに倒れていた。リュカの呼び掛けにも眼を固く閉ざしたまま応えない。
なぜこんなところに――ダーモット邸に向かったのではなかったのか?
「……っ」
小さくルシナが呻いた。
「! ルシナ!」
やがてうっすらと眼が開き、視線を宙に彷徨わせた後リュカの顔を捉えた。
「……リュカ……?」
ようやく絞り出したような掠れた声。
「そうだ」
「ここは……外か」
「ロイズ川の岸辺だ。ロザリア邸からそう離れていない」
ルシナは安堵したように少し息を吐いた。
「一応……逃げ出せたみたい、だな……」
「――何があったのだ?」
「悪い、けど……あんまり喋ってられない……腹に……穴が空いてる」
苦しげにそう言うと、ルシナはまた気を失ってしまった。リュカはルシナの服の前をはだけて、腹部を見た。
「……!!」
血は止まっているものの、普通の人間なら間違いなく死ぬほどの傷だった。腹部といっても、心臓のすぐ下の位置で後ほんの少し上だったなら、心臓を貫かれてルシナは死んでいただろう。
リュカは服の裾を破り、川の水で濡らしルシナの口元の血を拭ってやった。
この傷は恐らくセスと戦って受けたものだろう。この拳で貫いたような傷痕は、魔人に襲われた者によく見られる。
近くに別の気配はない。ルシナとこの場で戦ったのなら、瀕死の彼をこのまま置き去りにはしなかったはずだ。
それに、橋の上を走っていた時に感じた血の臭い――。
間違いなくルシナのものだが、妙だった。リュカが臭いを感じたのは川の真上にさしかかったところだ。しかし血臭の元はそれよりも前――リュカの進行方向とは逆の岸にルシナは倒れていたのだ。
突然現れたとしか考えられない。
三十分程度経った後だろうか。ルシナが再び眼を覚ました。
「……リュカ、いるか?」
「いるとも。具合はどうだ?」
「さっきよりはマシかな……」
身を起こそうとしたので、リュカは肩を貸した。
上半身を起こしてふうと息をつく。
「死ぬかと思った……」
「本当によく死ななかったものだ」
ルシナは苦笑している。
「笑い事ではないだろう」
「まあね」
「……正直、意外だったぞ」
「何が?」
「お前がセスを殺しに行ったことがだ。感情に駆られて無謀な行動を起こす男ではないと思っていたからな」
「確かにな……自分でも、これほど感情が昂ぶることがあるなんて思わなかったよ」
「一体、どうやってここまで逃げて来た?」
これほどの傷を負って、セスの追撃から逃げ切れるとは到底思えなかった。
「わからない」
「……わからないだと?」
「急に頭の中にある光景が浮かび上がって……目の前が真っ暗になって、気付いたらここにいたんだ」
「ある光景?」
その時のことを思い出しているのか、ルシナはぼんやりとしながら頷く。
「『力』がどうとか……なんだか懐かしかった。記憶の一部だったのかな」
「力……」
聞いたことがあった。魔戦士ルシナは聖霊族と似た能力を持っていると。彼に関しては他にも伝説的な噂があったので、リュカは話半分に聞いていたが……
聖霊族の力ならば、瞬間移動をすることも可能だろう。
「リリィが……セスに聞いたらしい。俺はかつて、ネオスたち聖霊と似たような力を持っていたらしい。魔人族である俺に聖霊のみが持つべき力があることを、奴らは快く思わなかった。それによって聖霊の一人が俺を捕えようとした――が、俺は逆にそいつを殺した。それが、ネオスの言う俺の『罪』……」
「…………」
「ネオスは聖霊の中でも一際強い力持っていて、俺はネオスに敗北した。最後の力を使いセルドナに逃れたが――その時のショックで記憶を失ってしまったらしい」
「……それは……全てセスが言っていたことなのか?」
「らしいね」
「理解できん……セスはネオスの味方なのだろう? なぜそんなことを……」
「味方――というより、単なる協力者だね。リリィのことも独断だったようだし……奴の目的は俺への嫌がらせさ」
「嫌がらせ――!? それだけのために……」
「確かに狂気的だな。だが、魔人はそんな奴ばっかりだろ?」
リュカは思わず言葉に詰まった。
するとルシナは腹の傷を庇いながら立ち上がろうとした。
「! 動くな!」
「……助けに来てもらって悪いけど……俺は今すぐにでもラグディールを出るよ」
「その傷でか!? 無茶だ!」
「すぐに治るさ。それに、ネオスに狙われている以上どこにいても同じだ。このままだと、君たちにも……リリィにも危険が及ぶ」
「もう遅いよ」
ルシナのものでも、リュカのものでもない少年の声が橋の上から降って来た。
弾かれたように上を見上げると――。
「逃げようなんて無駄だよ」
「セス……!」
セスは夜空を背負って、悪魔のようにルシナたちを見下ろしている。
リュカはルシナを背後に庇った。
ルシナはとても戦える状態ではない。自分が守らなければ――。
セスはひらりと舞い降りた。ゆっくりと近付いて来る彼の瞳が、異様な光を帯びている。
(様子がおかしい……)
鮮やかに輝いてはいるものの、その赤い眼は虚ろだ。
リュカの目の前で立ち止まり、セスは二人を見下ろした。
「今、ここで――君たちと戦うつもりは――ない」
不自然に区切られて発せられるその声は、セス自身が話しているのではなく、別の何かが彼を動かして言葉を発しているかのようだった。
「ロザリア邸に、戻れ。ネオスが待って――いる」




