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アナテマ  作者: はるた
第二章
47/124

16 聖霊(2)




「話、とは?」


 明るく照らされていたホール内と反して、中庭には完全なる夜の闇が降りている。

 先程までいた場所の灯りも喧騒もここには届かない。


 手入れの行き届いた色とりどりの薔薇が所せましと植えられ、強い香りを放っている。


「花はお好き?」


 オディールは赤い薔薇を一本手に取った。


「……特に、好きでも嫌いでもありませんが」


 オディールは薔薇をルシナに手渡した。


「気を付けてね。棘があるから。――香りも嗅いでみて頂戴」


 言われた通り、渡された薔薇の匂いを嗅ぐ。


「どう?」

「薔薇の香り……としか言いようがありませんね」


 オディールはくすりと笑った。


「それだけ?」

「薔薇は薔薇の香りがするものでしょう」

「ふふ……おもしろい人。たった一人のものにさせるのはもったいないわ。――ねえ、あの子のどのようなところがお好きなの?」

「…………」

「言えないの?」

「あなたに言う必要がありますか?」

「あら……棘のあることを仰るのね」


 オディールはルシナの両頬を手で包んで、その唇に自らの唇を重ねた。

 しばらくして唇を離すと、全く無表情のルシナの顔が間近にあった。


「冷たい顔。こんなことをされて顔色一つ変えないなんて、やっぱり誰も愛していないの?」


 するとルシナは冷たく笑った。


「他人に『愛』をはかられたくはありませんね」


 オディールは高らかな笑い声を上げた。


「昔と変わってないわね――ルシナ」

「……人違いではありませんか」

「とぼけないでいいのよ。あなたのことは全て知ってるわ。今は記憶がないってこともね」


 オディールはルシナの手にある薔薇を再び自らの手に戻した。


「そう――私はお前の全てを知っている。罪深き子よ」


 オディールが薔薇の花びらに口付ける。

 目を疑う――有り得ないことが起こった。

 オディールの唇に生気が吸い取られていくかのように、瑞々しかった花びらがしおれていく。やがて鮮やかな赤は死の茶色に変わり、からからに乾いて風に散った。


「――!?」


 驚愕に眼を見開くと、オディールは不敵な微笑みを浮かべた。

 それは明らかに今までとは違う――妖艶な美女の笑みではない。見惚れるほどに美しい――しかし、どこか邪悪なものを含んだ、寒気のするような笑みだ。


「その驚き様――本当に何もかも覚えていないようだな」


 声そのものは同じなのに、まるで別人のような口調である。

 いや――明らかに別人だった。


「あんたは、一体……」

「心配せずとも、直に思い出す」


 正体を隠しているのも忘れて、ルシナは疾風のように大きく後方へ飛びのいていた。


(何だ――こいつは何者なんだ――!?)


 艶やかなドレスをまとった美女。しかし、彼女の中身が見た目通りでないのは明らかだった。


 呼吸が荒くなる。額にはじっとりと嫌な汗が滲んでいる。ただ同じ空間にいるだけなのに、この感覚は何だ?

 

 いつかはわからない。しかし、この感じは前にも味わったことがある。そう本能が叫んでいる。


(俺はこいつを知っている――?)


 オディールの体が、夜空から降り注ぐ月光を一身に集めたかのように光った。

 それはほんの一瞬だった。

 彼女がまとった光が空に解き放たれた後――そこに立っていたのは、オディールではなかった。


 身の丈ほどもある、滝のように流れる白銀の髪。その一本一本が細い糸状の刃のように月光を弾いて鋭く輝いている。

 身にまとっているのは華やかな赤いドレスではない。まるで、古代の神話に登場する神々を思わせる、ゆったりとした白い衣だ。

 そしてルシナを見据えているのは、底の見えぬ紫の瞳――その瞳を見るだけで、深く、闇の深淵を覗き込んだかのような感覚にとらわれる。


「あんたは誰だ? 本物のオディールはどこにいる?」


 するとその人物は、流れるような声で言った。


「オディール・ダーモットという人間は存在しない。お前に近付くため、周囲の人間の記憶を操作して私が創り出した虚構に過ぎぬ」


 使っている言語は同じのはずなのに、理解の範疇を超えている。


 その顔立ちは少年のようでいて、少女のようでもある。無邪気な幼い子供のような印象を受けるが、多くの歳月を経た表情にも見える。とてつもなく邪悪なようでいて、気高い神々しさも感じさせる。

 超然と佇むその姿は、とてもこの世のものとは思えなかった。


 頭の中に直接響き渡るような声で、それは告げた。


「我が名はネオス。エーゼに選ばれし聖霊族の一人。ルシナ――罪深きディラスの現身(うつしみ)よ。私はお前に魂を奪われた同胞のため、そして聖なる裁きを下すため、この地に降り立った」

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