15 聖霊(1)
灼熱の太陽が西に沈み、ようやく薄い闇が現れ始めた頃――。
リリィとルシナを乗せた馬車はダーモット邸に向けて出発した。
「一時はどうなることかと思ったけど……何とかなりそうで良かったわ」
二週間前よりも遥かに、リリィは気合を入れて着飾っていた。
グラデーションがかかった淡い青のイヴニングドレスをまとい、黄金の髪は綺麗に結い上げて真珠をあしらった飾りを付けている。大きく開いた胸に光っているのは小ぶりだが上品に輝くネックレスだ。
ミリアが腕をふるって化粧を施してくれたので、普段よりもぐっと艶っぽく見える。
「俺で務まるかな……社交界のマナーなんて全く知らないけど」
対してルシナは極めてシンプルな装いだ。パートナーを引き立たせるため服が地味でも、眼を離すことができないのは、着ている本人のせいだろう。
いつもは無造作な黒髪はきっちりと櫛を通され、整髪剤でセットされている。それだけで洗練された雰囲気を放っていて、まるで別人であるかのような雰囲気だ。
今の彼は十二分に貴族の青年に見えるし、パーティ会場に放り込めば密に吸い寄せられる蝶のように、令嬢たちが集まってくるのは間違いないだろう。
「大丈夫よ。できるだけ大人しくしてくれてればいいから」
「それより別の問題があるんだけど……この眼、大丈夫かな?」
そう言ってルシナは自分の赤い瞳を指差した。
「婚約者が魔人族だってばれたら、まずいんじゃないか?」
「大丈夫よ。眼の色だけでそうわかる人なんてまずいないって、リュカも言ってたし」
「心配なんだけどな……」
ルシナは不満気にそう漏らした。
* * *
長女オディールの誕生日を祝うパーティということもあって、さすがに人は多かった。
リリィとの縁談はまだ公にはされていないはずだが、それを知っている招待客も多少はいるのかもしれない。会場に入って来たリリィとルシナにちらちらと向けられる視線があった。
そうでなくても、この組み合わせは抜群に目立った。
あまり社交の場に姿を見せることのない美しく若いロザリア公爵令嬢。
その隣にいるのは見慣れない若い男だ。装いは目立たなくとも、その美貌は隠しようもない。
その時、リリィははっと立ち止まった。
人ごみの中から、真っ直ぐにこちらへ歩いて来る人影が一つ。
人目を惹かずにはいられない茶髪の美少年。――セスだった。
「やあ、リリエル。よく来たね」
嬉しそうにセスはそう言う。
「……どうも。お久しぶりね」
セスはリリィの隣のルシナを挑発的な視線で見た。
「あなたがリリエルの婚約者殿か」
どういう意図かわからないが――セスはルシナに対して『仮面』を被らないことにしたらしい。
ルシナは微笑を作る。
「……初めまして」
「こんな美しい人なら、リリエルが夢中になるのも無理はないか。――どうぞこっちへ。父と、今夜の主賓があなたたちを待っているよ」
リリィとルシナは無言でセスの後をついていく。
オディールとダーモット伯爵は共に、オディールの誕生日を祝う招待客たちと談笑していた。
セスは器用に人と人の間をすり抜けて行く。
「父さん、姉さん。リリエル様がいらっしゃいましたよ」
そこにいた全員がリリィたちを見る。
「リリエル、来てくれたのね」
オディールは今夜は真っ赤なドレスを着ていた。胸元と背中が大きく露出した大胆なデザインだ。この色といい、彼女でなければ着こなせないだろう。
「オディール様、お誕生日おめでとうございます」
そして次に、ルシナを見た。
大抵の人間は彼を見ればその美貌に驚くが、オディールにそういった様子はなかった。余裕のある妖艶な笑みを浮かべたままである。
「今晩は婚約者殿もご一緒なのね」
「初めまして、オディール殿」
ルシナはにっこりと笑った。
そこへ、招待客の応対をしていたダーモット伯爵も歩み寄って来た。
「おお、これはこれは、よくぞいらっしゃいました」
リリィは慇懃に礼をした。
「お久しぶりです。この度は招待して頂き、ありがとうございました」
「いえいえ。来てくださって嬉しいですよ。それより――」
伯爵はルシナを見た。
「残念です。婚約者の方がいらっしゃったとは」
「その節は誠に申し訳ありません。せっかくのご厚意でしたのに……」
「滅相もない。よく確認もせず婚約を申し込んだこちらこそ、無礼でした」
リリィはよそいきの笑顔を伯爵に向けた。
「これからも、セス様とは良いお友達としてお付き合いさせて頂きたいですわ」
「それは嬉しいことです。それにしても、驚きましたな。いやはや、絶世の美貌とはこのことだ」
まるで芸術品を眺めるかのように伯爵はルシナをまじまじと見た。
「美しいお方は数々目にしてきましたが――あなたは別格だ。まるで絵画か何かから抜け出してきたかのような、完璧な美しさですな」
「もったいないお言葉です」
「まさに似合いの二人です。――セス、お前もそう思わんか」
伯爵の言葉に、セスは愛らしい笑みを浮かべて同意する。
「ええ、本当に」
「私もそう思いますわ」
オディールが言った。
「本当に美しいお方ね」
「光栄です」
「よろしければ、少し付き合ってくださらない? 是非お話したいことがあるの」
低めの、心地良く耳に響く声だった。まるで催眠術でもかけられているかのようだ。
伯爵が咎める。
「オディール、よしなさい。主賓のお前がリリエル嬢の婚約者殿を連れて会場を出るなど……」
「すぐに戻りますわ」
リリィは不安になった。
オディールが、ルシナに話したいこと――?
「ここでは言えないようなことですか」
「そうね……ほんの少しでいいんですのよ」
「……わかりました」
オディールは再びリリィに笑顔を向けた。
「ごめんなさいね。少しの間、お借りするわ」
「は、はい」
リリィが何か口を挟む前に、オディールとルシナは連れだって席を外してしまった。
(なんだろう、この感じ……)
心臓がどくんと鳴る。
胸のあたりに粘っこくまとわりつく不安を、リリィは感じずにはいられなかった。




