14 心
翌日の昼、リリィとルシナは二人でラグディールの商店街へ出掛けていた。
今は最も人で賑わう時間帯だ。リリィははぐれないように、ぴったりとルシナの横にくっ付きながら歩いている。
人混みの中でも、やはりルシナは抜群に目立っていた。行き交う人々が残らず黒髪の美青年の方を振り向いていく。
「ねえ、気付いてる?」
「何に?」
相変わらず興味のなさそうな視線を店の飾り窓に向けている。
「皆ルシナを見てるわ」
そう言うリリィは少し嬉しそうだった。
「何でそんなに笑ってるんだ?」
「楽しいんだもの」
ルシナは呆れたように、
「ただ歩いてるだけじゃないか」
「それでも楽しいの!」
ただ並んで歩くだけでも、心が躍った。こんなに近くにいることが嬉しくて仕方ない。家出の時二人でいた時はここまで思わなかった。会えない時期が、二人でいることの楽しさを教えてくれたのだ。
「あっ、あのお店!」
ルシナの腕をぐいぐい引っ張って入ったのはアクセサリー店だった。売っているのは高級な装飾品ではなく、比較的安価な物だ。商品も簡単に手で触れられる所にあるので、いちいち店員に言わなくてもじっくり眺めることができる。
店内は若い女性や恋人たちで賑わっていた。
「こういうの、好きなの?」
「うん。大好き!」
リリィは眼を輝かせて商品を見ている。紅水晶、藍玉、紫水晶……美しい石をあしらった指輪や首飾りたちは、見る者の眼を飽きさせない。
隣にいるルシナをちらりと見遣る。彼も何となく商品を眺めていた。
こうして並んでいる姿は、周りの人々にはどう見えているのだろうか。場所も場所なので、恋人同士だと思われているのはほぼ間違いない。
(ルシナはどう思ってるのかな……)
彼の表情は、楽しそうにもつまらなさそうにも見えない。相変わらず感情の読めない顔だ。
リリィと離れていた間に一緒に暮らしていた人とも、このように出掛けていたりしていたのだろうか……
「プレゼントしたりしたの? その――女の人に」
なるべく冗談ぽく尋ねた。こんな簡単な質問なのに、緊張している自分がいる。
するとルシナは一瞬驚いたような顔をしてから、苦笑した。
「そんなこと、するように見える?」
「……そっか」
ルシナは再び商品に眼を向け、手を伸ばす。
「…………」
手に取ったのは、琥珀のペンダントだった。澄んだ黄褐色の輝きを食い入るように見つめている。
* * *
知っている――この色を。こちらを見つめる、全てを見透かしてしまうような光……
よく見知った瞳の色だ。
しかしそれが誰のものなのかわからない。ただ「知っている」と感じるだけで、はっきりとした映像が思い浮かばない。
同じ懐かしさを感じるが、以前夢に見た『リーシャ』という女性とは違う。彼女の眼は自分と同じ緋色だった。
必死に真っ白な記憶を探る。知っているはずだ。確実に、この色をした瞳を――自分と深く関わっていたであろう人物を。
(……駄目だ……)
どうしても思い出せない。かすかな面影さえ、頭の中に浮かんでくるものは何もない。
「ルシナ?」
リリィの声で、はっと我に返る。
「どうしたの? さっきからじっと見て……」
「いや……何でもないよ」
ペンダントを元あった場所に戻した。リリィに笑いかける。
「何か欲しい物はあった?」
「ううん。見るだけで満足したから」
「そう。――何か食べる? もう昼過ぎだし」
「うん!」
リリィは嬉しそうに笑った。
店の外は相変わらずの人の波と喧騒だ。
「本当にすごい人だな……」
「今は一番混む時間なのよ」
通りに出て歩いていると、十歳くらいの少年が走って来てリリィに勢いよくぶつかった。その衝撃にリリィはよろめき、後ろにいたルシナが彼女の体を支える。
「いった……!」
ルシナの素早く伸びた腕が、そのまま走り去ろうとした少年の首根っこをぐいと捕まえた。
「いってえ!」
「謝る気はないのか?」
初めは敵意のこもった眼をしていた少年だったが、ルシナの冷たい迫力に押されて段々と縮こまっていく。
「――!」
少年の眼に焦点を合わせたルシナの脳裏にあの琥珀の輝きが蘇った。
この少年を知っているわけではない。しかし何の前触れもなしに、少年の眼と懐かしい瞳の色が重なったのだ。
琥珀色の眼をした少年――そうだ、あの人は――。
「ごめんなさい!」
母親らしき女性が大慌てでこちらへ走って来る。
「申し訳ありません! お怪我はありませんか!?」
「だ、大丈夫です」
「こら! あんたも謝りなさい!」
母親に頭を押さえつけられて、少年は渋々謝った。
「……ごめんなさい」
「ほら、早く行くわよ!」
息子の腕を引っ張って、申し訳なさそうにお辞儀をしてから人混みの中へ消えて行く。
リリィはルシナの顔を見上げた。
「大丈夫?」
「あたしは何ともない……けど、びっくりした。あの男の子、ちょっと可哀想だわ」
「何で? 悪いのはあっちだろ」
「あんな眼で睨まれたら、怖くて仕方ないわよ。トラウマになっちゃうんじゃないかしら」
「……そんなに怖いかな?」
本気で不思議に思っているようなルシナがおかしくて、リリィは思わず笑ってしまった。
* * *
二人が入ったのは軽食やお茶が楽しめる喫茶店だった。ここでもやはり、皆ルシナに注目している。女性の店員は仕事中であることも忘れて陶然と見入っているし、店内の女性客も――恋人連れの人でさえ――ちらちらとこちらを見ていた。
「何食べる?」
ルシナがぱらりとメニュー表をめくる。
「このセットにしようかしら。スープとパンと、デザートにケーキ」
「それじゃあ俺は、紅茶とチョコレートケーキにするよ」
店員を呼び、注文をする。対応してくれた店員は若い女性で、顔を真っ赤にしてルシナに熱い視線を送っている。リリィの存在は彼女の視界には入っていないのだろう。対してルシナはそんな視線をまるで感じていないかのような涼しい顔だ。
「ケーキなんて食べるの?」
「うん。甘いもの結構好きなんだ」
こうして普通に会話をしていると、ただならぬ美貌を除けばどこにでもいるごく普通の青年だった。とても、かつて魔戦士と呼ばれ恐ていたとは思えない。
信じがたいことは他にもある。外見は二十歳そこそこにしか見えないが、彼が実際に生きている年数は二百年以上なのだ。『成熟』はあっても、加齢に伴う外見的な老いがほとんどないのが魔人族の特徴らしいが……
(十倍以上年上なのよね……)
やがて注文したものが来て、二人はそれを食べ始めた。
ゆっくり一緒に食事をするなんて、初めてのことだ。以前はこんな余裕などなかった。それどころか、ほとんどが屋外にいたのだ。
男性と二人で出掛けるのも初めてだ。ミリアをつれてこのような場所に来ることはよくあったが、異性と個人的に付き合う機会などない。
それだけで十七になったばかりの少女には新鮮で胸躍る出来事だった。
「おいしい?」
ふとルシナが尋ねた。
「うん。おいしいよ」
「そう、良かった」
そういうルシナが食べる様子は、おいしそうでもまずそうでもない。それでも、ただその様子を眺めるのが不思議と楽しく感じられる。
ずっとこの穏やかな時間が続いてほしい――そう願わずにはいられなかった。
* * *
帰り道、いつの間にか時間は過ぎていて、夕陽が街をオレンジ色に染めている。大分通りを歩く人の数も減って来た。
「今日は楽しかった! 付き合ってくれてありがとう」
「俺も楽しかったよ」
リリィの顔がぱっと輝く。
「本当に!?」
「本当だって。何でそんな驚くんだ?」
「だって……楽しそうには見えなかったから」
「そういう顔なんだよ」
ルシナは楽しげに笑った。滅多に見せることのない、貴重な笑顔だ。
「ルシナも笑ってた方がいいよ」
「え?」
「前にあなたが言ったこと、覚えてる? あたしに笑ってて欲しいって……あたしも、ルシナに笑ってて欲しい」
「…………」
ルシナの歩みが遅くなった。
「――リリィ」
「うん?」
「君はどうして、婚約者役に俺を選んだの?」
「どうして、って……」
尋ねるルシナの声は低く、真剣味を帯びている。西から射し込む光のせいで顔の半分が黒く影になっているその表情。こちらを静かに見つめる彼の瞳に、リリィは思わず口籠ってしまった。
「それは……他の人だと、色々不都合があるし……」
「だったら、リュカでも良かっただろ? リュカなら事情を説明すればきっとやってくれたよ」
「……ごめん。あたしの我儘で……嫌になった?」
「そうじゃないよ。理由が聞きたいんだ」
怒っている様子ではない。ただ単純に不思議に思っているだけなのだ。
理由を聞かれると、すぐに答えることはできない。それは、はっきりと言葉にできるものではなかった。
「……わからない。自分でもはっきりとは説明できないよ。ただ……ルシナの顔が浮かんだの。ルシナがいいって、そう思った」
理屈では説明できない、感情。そこに確かさなどない。時間と共に移ろい行く、酷く曖昧なものだ。
「あたしは――ルシナが好き。それがどういう『好き』なのか、やっぱりそこは……はっきり言えないけど」
声が段々と小さくなっていく。真っ直ぐにこちらを見据えるルシナの顔を正面から見ることができなくて、リリィは俯いた。
「俺が人殺しでも?」
亜人と人間が戦った暗黒戦争。ルシナはかつて、魔人族の戦士として参加していた。『魔戦士』という異名で呼ばれることになったルシナは、暗黒神ディラスの化身と呼ばれるほどの伝説的存在となっていた。
彼は敵である人間の兵士たちを数えきれないほど殺してきた。息をするのと同じように、ごく自然に。
今はその時の記憶が無くても、決して消える過去ではない。
しかし、彼が口にしたのは驚くべき言葉だった。
「死の覚悟をした兵士じゃない。何の罪もない人を――身近にいた、大切な存在を手にかけていたとしたら?」
「――どういうこと?」
「それでも君は、俺が好きだと言える?」
「まさか……思い出したの?」
ルシナは答えない。
しばらく沈黙が続き、やがてルシナが笑った。
「ごめん、変なこと訊いて」
「…………」
「帰ろう」
ルシナは立ち止まったままのリリィの手を取り、強く握る。
「!」
「ほら、早く」
先程とは打って変わって笑顔を見せるルシナ。それが本当の心を繕うものなのか、わからない。ただ夕陽に映えるその笑顔は眩しかった。
(あたしも、訊きたいよ……)
ルシナの心がわからない。彼にとって自分は、ただの知人なのか、妹のような存在なのか、それとも……
ルシナの手は冷たかったが、そのひんやりとした感触が火照った肌には心地良かった。




