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アナテマ  作者: はるた
第二章
40/124

9 再会(1)



「あ、頭が割れる……」


 案の定二日酔いで、押し寄せてくる吐き気と頭痛を戦いながら、レムはベッドから起き上がった。

 昨夜のことはよく覚えていなかった。浴びるように酒を飲まされ、立てなくなるほどになってから何とか宿に辿り着いたのだ。

 リュカは既に起きていたが、渋い顔で水を飲んでいる。


「予想外の出費だ……おまけに体調まで最悪とは」


 酒に強いリュカでさえこの様子だ。レムは身を起こしたはいいものの、ベッドから立ち上がることができなかった。


「そういえば、住所は聞き出せたんだっけ……」


 死にかけのような声でレムは言った。


「ああ……そこは問題ない。体調は問題だらけだがな」

「全然覚えてないや……ルシナが女と同居してる話を聞いたところまでは覚えてるんだけど」

「とにかく、そこに向かうぞ。もう昼近い。急がねばならん」

「オレ無理かも……」

「引きずってでも連れて行くから、心配するな。気休めだが、飲んでおけ」


 リュカはレムに薬を手渡した。


   * * *


 ビアンカのアパートは、リュカたちが泊まった宿から近い場所にあり、足元もおぼつかないレムには心底救いになった。

 リュカは住所が書かれたメモを見た。


「二〇一号室か……」

「階段上るのかよ……」


 手すりにへばりつくようにしてレムはのろのろと階段を上っていく。


 二〇一と書かれたドアの前に立ち、リュカはドアを叩こうとした。


「何やってんだよ、早くしろよ」

「う、うむ……」

「躊躇ってたってしょうがねえだろ。オレが出てやろうか」

「いや、いい」


 リュカは勇気を出してドアを叩いた。

 しばらくは何の音も聞こえなかったが、やけにゆっくりとした足音が近付いて来る。


「はい?」


 半分ほど開けたドアから顔を出したのは、茶髪の女だった。寝起きなのか、髪はぼさぼさで身にまとっているのもバスローブだ。


「何かご用?」


 怠そうな声で女は言う。恐らく彼女がビアンカだ。


「ここはビアンカ・レイブン殿の自宅で間違いないか?」

「あたしがビアンカだけど、何?」


 ビアンカは不審そうな眼でリュカを見る。


「あんた誰? あたしに何の用?」

「正確にはあなたにではなく、あなたと同居している男に用がある」


 そう言った途端、ビアンカの顔色がさっと変わった。眠そうで気怠げな表情が一瞬で引き締まり、明らかな敵意が向けられる。


「あんたたち――まさか、リーシャって奴に雇われたの!?」


 想定しなかった言葉だった。

 一瞬、聞き間違いかと思った。『リリィ』ならまだわかる。しかし、『リーシャ』? そんな名前には聞き覚えがない。

 しかし頭痛のする頭では一瞬で考えられず、すぐに何か言うことができなかった。

 その沈黙をビアンカは見逃さなかった。


「帰って! あの人は渡さないわよ!!」


 ビアンカは無理にリュカを押しのけて扉を閉めようとする。しかし、リュカの手はドアノブをがっしり掴んで離さなかった。


「中にいるんだな?」

「い、いないわよ!」

「すまないが、失礼する」


 リュカは片手でドアを開けて、ビアンカを押しのけ中へ入った。レムもそれに続く。

 玄関から続く短い廊下を出た先に、割と広い部屋があった。

 服やアクセサリー、化粧品などが散乱したその部屋の中心にはダブルベッドが置かれていて、敷かれたシーツの中に人型の膨らみがある。


「出てってよ!」


 ビアンカはリュカの足に絡みついて絶叫する。しかしリュカはそれには構わずベッドの元へ近寄った。

 シーツの端からは黒い髪が見えている。


「……騒がしいな」


 眠そうな声。

 ベッドに横たわってシーツを被っている人物は、のそりと身じろぎした。


「ルシナっ、起きて! 早く!」

「起きてるよ」


 男はゆっくりとシーツを顔から離した。

 赤い眼が開いて、リュカを見上げる。虚ろなその瞳はぼんやりと、リュカの金色の眼に焦点を合わせた。


「……これは夢か?」

「残念ながら現実だ」


 ルシナは眼をこすりながらゆっくりと起き上がった。

 上半身には何もまとっておらず、彫刻のような裸体が窓から射し込む光を受けて、白い光をまとっているように見える。

 まさに、奇跡のようだった。

 朝の光の中に浮かぶ闇のような黒髪が、白く滑らかな肌と見事な対比を描いている。虚空を見つめる深紅の瞳が宿すのは、まさに宝石のような妖しく美しい輝きだ。

 そして、一寸の狂いもない完璧なその肢体。血の通う生き物とは思えぬ美貌に、リュカは眼が離せなくなってしまった。


 ビアンカの異常なまでの執着が納得できるような気がした。

 魔性というものをかたちにするとすれば、まさにこれだ。

 触れれば抜け出せない毒のような魔力に戦慄きながらも、引き込まれずにはいられない――。

 ビアンカは囚われたのだ。その存在のみで――意図せずとも他者を閉じ込めてしまう檻に。


 ルシナはリュカの足にまとわりついているビアンカを見た。その視線はあまりにも落ち着いていて、この正常とは思えぬ光景を、あたかも当然のように――無関心そうに、今の今まで同じベッドの中で寝ていた女を見たのだ。


「全然状況が掴めないんだけど……」

「こいつらはあんたを連れ戻しに来たのよ!」


 泣きじゃくりながらビアンカは言う。

 対してルシナの声には何の感情も浮かんでいない。


「連れ戻しにって、どこに」

「あんたの昔の女のところ! 雇われたのよっ」


 ルシナは寝癖のついた黒髪をがしがしと掻いた。


「おい、ルシナ! オレの顔を忘れたわけじゃねえだろうな!」


 レムが牙を剥き出しにして言う。


「えーと……ごめん、名前が出て来ないんだけど」

「レムだよっ! 五ヶ月前、お前と戦っただろ!」

「ああ、そうだっけ。で、何の用? わざわざ俺に会いに来るなんてさ」


 足元で泣き叫んでいるビアンカを気にしながら、リュカは本題を切り出した。


「実は、リリエルに縁談が来たらしい」


 しばらく間を置いて、ルシナは眼を丸くしてリュカを見た。初めてルシナが浮かべた感情らしいものだった。


「縁談?」

「そうだ」

「結婚するのか?」

「このままだと、そうなる」

「……結婚式の招待?」

「そうではない」


 眠気が覚めたように、ルシナは赤い眼を見開いている。表情には大して驚きらしきものは伺えないが、先程までの冷酷な雰囲気とはまるで違う。


「リリエルは結婚したくないそうだ。だが、相手は有力貴族だそうで下手に断ることもできず、第一理由がない。そこで、偽の婚約者を仕立てるという結論に行き着いたらしい」

「それで?」

「お前にその婚約者役を依頼したいそうだ」

「……俺が?」

「ああ」

「リリィと結婚するのか?」

「そうではない。あくまで形式的に婚約者を名乗ってほしいということだ」

「うーん……」


 ルシナは眉を寄せて、大きなあくびをした。


「リリィには会いたいけど……」

「それなら是非、ラグディールまで来てくれ。彼女を助けると思って」

「さっきから思ってたんだけど、何で君たちが来てるんだ? どういう風の吹き回しだ」

「リリエルに依頼されたのだ。お前を探し出してほしいと」


 ルシナはぼんやりと虚空を見つめた。考えるのも面倒臭いというような――それとも、迷うべくもないことだからなのか――その視線に、リュカは半ばはらはらしていたが、


「なるほど……いいよ」

「本当か!」

「そういえば、もうあれから五ヶ月も経ってるんだな。随分久しぶりだし……リリィに結婚を申し込んだ男を見てみたいな」

「いやっ! 行かないで!」


 ビアンカはリュカから離れてルシナに抱きついた。その激しい動きのお陰でバスローブがはだけ、裸の上半身が露わになってしまっているが、完全に錯乱している彼女はそんなものを構う余裕もないほど必死な様子だ。


「ずっとここにいてよ! お願いだから傍にいて!!」


 リュカとレムはただそれを呆然と眺めるしかない。

 自分に抱きつきながら激しく泣いている半裸の女を前にしても、ルシナの無表情は変わらなかった。

 その顔を見ると、先程リリィの話をした時に浮かべた驚きといった感情が、まるで嘘のように感じられる。


「俺がここにいなきゃいけない理由はないだろ」


 ルシナは当然の事実を告げるように言い放った。


 レムはリュカを肘でつつく。


「お、おい、大丈夫かよ」

「静かにしていろ」


 ルシナは無表情でビアンカを見る。苛立ちや、鬱陶しく思っているという様子はない。ただ何の感情もなく、ビアンカを見ている。

 なのに、その視線は何よりも冷たい、背筋が凍るような冷気をはらんでいるようだった。


「会う前は俺がいなくても普通に生きてたじゃないか」

「もうだめなのっ! 会っちゃったんだもの……ルシナがいなきゃ……」

「そう言われても、俺は考えを変えるつもりはないよ」

「いや! 他の女のところになんか行かないでよっ! あなたを失うくらいなら、死んだ方がまし……どうしても行くっていうなら、あたしは死ぬから!!」

「死にたいなら死ねばいい」


 間髪入れず、ルシナはそう答えた。


「君が死にたいなら俺にはそれを止める理由も権利もない。好きに死ぬがいいさ。俺を試してるつもりなら、それは無意味だ。君の死によって俺の行動が制限されるわけでもない」


 ただ意見を述べるだけの、無感情な声。それがどうしてこれほどまでに、刃のような冷たさと鋭さで空気を切り裂いているかのように聞こえるのだろう。


「殺して……」


 震える声でビアンカが言った。


「殺してよ……あなたの手で……あたしが死んだって構わないなら、それぐらいできるでしょ……?」

「それは無理」


 きっぱりとルシナは言う。


「君の自己中心的な行動に付き合わされるのはご免だ。死ぬなら一人でやってくれ」


 放心したようにベッドに座り込んで泣き続けるビアンカをいとも介さず、ルシナはベッドの下に散らばった衣服を拾って黙々と着始めた。


 レムとリュカにはその光景をただ見ているしかない。


 服を着終えると、ルシナは再びビアンカに向きなおり、はだけたバスローブを直してやった。


「……こんな恰好でいたら、風邪引くよ」


 先程と同じ感情の無い声だが、ぞっとするような冷たさはない。同じ声のはずなのに、まるで温度が違うように感じられる。


 そしてビアンカの頬に手を当て、驚くほど滑らかで自然に、半開きの唇に自らの唇を重ねた。


 だらりと力を失っていたビアンカの両腕は震えながら動き始め、ルシナの背中に回って強く抱きしめる。

 しばらくそのままの状態が続いた。


「…………」


 その場にいるレムとリュカのことなどお構いなしである。


 ようやく唇を離したルシナは、少し寂しげな微笑を作った。


「変な男に引っ掛かるなよ」


 お前が言うか――とレムとリュカは思わず言いそうになったが、何とか飲み込んだ。


「ルシナ……」


 ルシナはベッドから降りて、玄関の方へ歩いていく。


 レムとリュカもはっとして顔を見合わせ、後を追った。

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