3 邂逅(1)
「!?」
『死体』はだらりと伸ばしていた腕をゆっくりと動かし、それを支えにして起き上がろうとする。
その動きはやけにのろのろしていた。
「な、何だ、こいつは!」
男たちは思わず後ずさる。
立ち上がった『死体』は、極めて気楽な様子で、長い眠りから覚めたかのように大きなあくびをした。
年齢はリリィより少し上くらいに見えたが、恐らく二十歳には満たないだろう。
ぼさぼさの頭をかきむしる仕草は、寝起きそのもので、長い前髪の間から覗く開いた両眼も、どこか放心しているような、ぼんやりとした印象を与える。
青年はさほど興味なさげに、目の前の少女と自分を取り囲む男たちを見回した。
「……これは何事かな?」
「な、何者だ!」
男の一人が凄みを込めて言う。
しかし青年は臆した様子など微塵も見せず、
「それはこっちの台詞だ――人に聞く前に、自分から名乗りなよ」
この反応は予想外だったらしい。男たちは激しく狼狽したようだ。
「き、貴様! さっさと去れ! さもないと……」
「さもないと、なんだ? あんたら、そもそも何をしてる? 一人の女の子に寄ってたかって――」
「貴様には関係のないことだ!」
リリィの脳裏では、この青年は何者なのか、こんな所で何をしているのか――。様々な疑問がめまぐるしく浮かんできたが、するべき行動は一つだった。
「お願いっ!」
青年の腕にがっしりとしがみつく。
「こいつらに追われてるの! お願いだから助けて! お礼はいくらでもするから!」
青い瞳に涙を浮かべて懇願する。これに心を動かされない男はいない――はずだった。
なのに、青年はリリィをちらりと見下ろしただけで、興味なさそうに言い放ったのだ。
「何で俺が君を助けなきゃならない? そんな義理はないね。被害者は俺の方だよ――君のおかげで面倒臭そうなことに巻き込まれてるみたいだし」
リリィは愕然とした。
男たちに恐れをなして逃げ出そうとするのならまだわかる。
しかし、この青年はそうではない。追手の男たちなど少しも恐れてなどいない。
その上で、自分のような可憐でか弱い――少なくとも見た目は――少女の嘆願を聞き入れないと言っているのだ。
「あ、あんたそれでも男!? あたしがこんなに必死に頼んでるのに――か弱い乙女の頼みが聞けないって言うの!」
「いきなりそんなことを言われてもなあ……」
何よりも、自分の涙目の上目遣いに全く動じていないというのが、最大の怒りであった。
「そもそもあんたがこんな所にいるのが悪いのよ! 全部全部あんたのせいよっ!」
青年は首を傾げた。
「何を言ってるかわからないな……」
心底不思議そうなその表情が余計にリリィの神経を逆撫でしたが、今は怒っている場合ではない。
早く追手を何とかしなければ。
「もうっ! いいわよ、あんたなんか当てにしないから! 自分で何とかするわよ!」
「会ったばかりで当てにされても困るよ」
その言い分はもっともであるが、リリィの怒りは収まらない。
「うるさい! ちょっと黙ってなさいよ!」
「自分勝手だなあ……」
リリィと青年の言い合いに、追手の男達は手も口も出せないでいたが、次第に落ち着きを取り戻した彼らは、青年を無視し、リリィに向かって襲いかかって来た。
「少しの間、眠ってもらう!」
リリィは身構える。
「やってみなさいよ!」
五人相手に何とかできるわけがない――理性ではそう理解していたが、昂ぶった感情が彼女の頭を沸騰させていた。
こうなったら、やけくそだ。何とかしてやる――。
そう思った時だった。腕をぐいと引っ張られ、リリィは体勢を崩した。
「なっ!?」
リリィの背後に立っていた青年が、彼女の腕を引っ張ったのだと理解する頃には、リリィは地面に尻をついていた。
「ぐあっ!」
リリィが顔を上げようとした瞬間目に入ったのは、正面から突っ込んできた男が、大きく後方にふっとばされたところだった。
「な、なに……」
ふっとばされた男はぴくりとも動かない。
リリィは頭上の青年を見上げた。彼が目にも留まらぬ動きで蹴りを入れたのだと理解するまで、時間がかかった。
一撃で大の男を昏倒させた青年の実力を計ったか、他の男たちはじりじりと間合いを空けている。
「な、な、何よ……助けないって言ったじゃない」
「助ける義理はないと言ったが、助けないとは言ってない。第一、今のは君が後ろに倒されたら俺が巻き添えを食らいそうだったんで、やっただけだ。自己防衛さ」
青年は大儀そうに首をぐるりと回した。
「さて……」
自分たちを囲むようにして立っている男たちを見回す。
「あんたらもやるかい?」
男たちは何も答えず、倒れた仲間を担ぐと、森の闇へ消えていった。
元の静けさが帰ってくる。
リリィは地面に座り込んだまま、しばらく立てないでいた。