6 策謀
「ふう……今日は疲れた」
リリィは風呂からあがって、一息ついていた。半乾きの波打つ金髪を、侍女のミリアがうっとりしながら櫛を通している。
「お疲れ様です。楽しめましたか?」
ミリアはリリィと同い年で、二年ほど前からリリィ付きの侍女になっている。同年代の人間は屋敷には中々いないので、ミリアは良い話し相手だった。
「楽しくなかったわけじゃないけど、とにかく疲れたわ」
「ふふ、皆様、お嬢様のお美しさに見惚れていらっしゃったのでしょうね」
ミリアはくすくす笑っている。三つ編みとそばかすが可愛らしい少女だ。
目の前のドレッサーに置かれた水を飲む。
「オディール様のお誕生日会にお呼ばれしたんでしょう?」
「うん。行くのはいいんだけど、またこんなに疲れてしまうのかと思うと少し気が重いわ」
「頑張ってくださいね。お土産話、楽しみにしていますわ。――お休みなさい」
「お休み」
ミリアはリリィの髪をとかし終えると、灯りを消して部屋から出て行った。
ドレッサーの傍にあるスタンドを灯す。
引出しからセスにもらった絵を取り出して見つめた。
(やっぱり、ルシナに間違いないわ……)
何度も見たが、それは紛れもなくルシナだ。
絵の裏側を見る。
『七月二十日 ロルカ 酒場ベロニカで』
これが、セスが言っていた『情報』か。
七月二十日といえば、ほんの十日ほど前だ。
(ロルカ……どこなんだろう。それにセスはあたしにこれを渡して、どうするつもりだったのかしら……)
セスはなぜルシナのことを調べていたのだろう。
彼に関してわからないことが多すぎる。
(ルシナに危険が及ばなければいいけど……)
この絵に描かれているルシナは、何を考えて、何を見ていたのだろう。
リリィのことは覚えているのか。あの時、一緒に過ごした時間が既に遠い昔のように感じられる。
ルシナと別れた時にした、必ずまた会いに来るというあの約束も、非常に不確かで危ういものに思えて仕方がなかった。
そっと右の首筋を手で押さえた。
ルシナの咬み痕があった場所。今では綺麗に消えている。
あの時のことは忘れもしない。
ルシナがいなくなった今、この傷だけが彼と共にいた証のような気がしていた。しかし、段々傷が薄くなるにつれ、ルシナが確かに傍にいた時の感覚も少しずつ消えて行ってしまうような思いもある。
「会いたいよ……」
* * *
数日後、リリィは父親のヴィンセントの私室に呼び出された。
家出の後、以前よりよく話すようになったが、わざわざ呼び出されることはほとんどない。
(何の話だろう)
若干緊張しながらヴィンセントの部屋へ行き、扉を叩く。
「リリエルです」
「入りなさい」
いつもと同じ、厳かな声。
「失礼します」
ヴィンセントは椅子に座って何かを読んでいた。
眼鏡を外し、紙を置く。
「何のご用でしょうか?」
「ダーモット伯爵家のパーティに出席しただろう」
「はい」
「実は、ダーモット家の使者が来た」
ヴィンセントはぴらりとそれまで読んでいた紙を見せた。
「お前とご子息のセス殿との縁談だ」
「……は?」
物事をいつもはっきりと言う父。しかし今回ばかりは、彼の言うことがうまく聞き取れなかった。
「今……何ておっしゃいました?」
「混乱するのもわかる。噛み砕いて言えば、パーティでお前を気に入ったので婚約してくださいという話だ」
ぐらり、と眩暈がした。
よろめきそうになるのを何とか踏み留めてから、ヴィンセントの元へつかつかと歩み寄って使者が持参したという手紙を食い入るように見つめた。
確かにそこには、リリィへの婚約を申し込む旨が書かれている。
「ど、どういうことなのっ!? 何でこんな話に!」
「私の方も寝耳に水だ。セス殿からこのようなことを言われた覚えはあるか?」
「あるわけないわよ! わけわからない……」
「ただ……セス殿の方はお前をいたく気に入っているようだ。二週間以内に返事を、とある」
二週間――オディールの誕生日までの期間だ。リリィが再びダーモット邸に招待されるまでの期間でもある。
「冗談じゃないわ!」
何が何だかわけがわからない。
セスがリリィを気に入っているなど――確かにあの時彼は、口説いているような素振りも見せた。しかし、いくらなんでもこれは話が飛躍しすぎだろう。それにあの時からたった数日だ。
「断るに決まってるじゃないですか、こんなの!」
「うむ……お前がそう思うなら、そうしたいところではある。しかし……」
ヴィンセントは複雑な表情で考え込んだ。
「断る理由がない」
「……っ! そんなの、いくらでも――」
付けられる、と言おうとした言い留まった。
ダーモット伯爵はヴィンセントと同じ、議会の有力議員だ。リリィに仕事のことはよくわからないが、繋がりがある以上関係に溝を空けるようなことは望ましくないのはわかる。
これで下手に伯爵を怒らせたら、ヴィンセントの仕事に影響が出るのかもしれない。
「じゃ、じゃあ、他に婚約者がいることにすれば」
「架空の人物では、伯爵は納得せんだろう。調べるに違いない」
「誰かに依頼するのは?」
「その誰かにどうやって説明する? 一時的に婚約して一方的に破棄するなど、失礼にも程があるだろう」
リリィは頭を抱えた。
決められた誰かと結婚なんて、絶対に嫌だ。だが、どうすればいい?
「お前は相手が嫌なのではなく、結婚自体が嫌なのだろう?」
「……はい」
「こちらのわがままを受け入れてくれるような人物でもいれば別なのだがな……」
リリィは突然、はっと閃いた。
まさかあの男、これを知っていたのか? 伯爵がリリィに縁談を持ち込むことを知っていて――いや、むしろ持ち込ませたのでは?
ルシナを捜させるようにも思える、セスの口振り。
セスの思い通りになるのは癪だが、結婚させられるのはもっと嫌だ。
「……心当たりがあります」
ヴィンセントは驚いて顔を上げた。
「本当か?」
「ルシナです」
その名を聞いた瞬間、ヴィンセントは眼を見張り、その後段々と何とも言えない表情になっていく。
「なるほど……しかし、彼は今どこにいるのかわからないのだろう?」
「それが、そうでもないんです」
リリィはセスが持っていたルシナの絵について説明した。セスから貰ったことは避け、入手経路はうまく誤魔化したが。
「調べてみる価値はあるな……わかった。今日からでも調査させよう」
ヴィンセントはそう言ったが、リリィは素直に喜べなかった。
セスとの縁談を断りたいというのはリリィのわがままに過ぎない。むしろヴィンセントにとっては、仕事上の有利な繋がりができると言える。
それなのに、忙しい父に何もかも任せて自分はただ報告を待つというのか。
「……いえ、あたしが自分でやります」
「何?」
「これは、あたしのわがままですから、あたしが自分で何とかします」
ヴィンセントは首を振った。
「それは違う。私には父親としての責任がある」
すると、リリィはにっこり笑って見せた。
「私にも、父親には苦労させないって責任があります」
「……!」
「いつぞやは随分苦労をかけちゃいましたから。今回はあたしに任せてください」
「リリエル、しかし」
「何を言っても無駄ですよ。もう決めたことですから。お父さんはどっしり構えていてください。ダーモット伯爵の使者の方には、あたしには婚約者がいるからセス様とは結婚できないって言っておいてくださいね」
ヴィンセントが何か言う前に、リリィは部屋を出て行ってしまう。
ぽつんと取り残されたヴィンセントは、ふっと笑った。
「本当にそっくりだな……」
* * *
とは言ったものの――どこから手を付ければいいのやら。
自分で調べるにしても、とにかくルシナが目撃されたと言われるロルカという街を探さなくてはならない。間違いなく、王都近郊の街ではない。ひょっとすると外国かもしれないのだ。
そうなってくるとリリィ一人で何とかするというのは厳しくなってくる。
「どうしようかなあ……」
ルシナの絵を眺めながら、リリィは試行錯誤していた。
改めて考えてみれば、ルシナがリリィの結婚に形式だけでも応じてくれることが大前提なのだが、もしかすると断られるかもしれない。
(ルシナのことだ……面倒臭いとか言いそう)
問題が山積みである。
リリィは改めて考えなしな自分を呪った。――が、退くに退けない。
「とにかく、やるしかないわ」
ロルカがどこにある街かは少し調べればわかる。――問題はそこからなのだが。
(何かいい方法ないかなあ……)
そして、その考えはまさに天啓のように降りてきたのだ。
* * *
「兄さんっ!」
どたばたとリリィは兄ヘルムートの部屋へ押しかけた。
「な、何だ?」
ヘルムートは大学の課題をこなしている最中だった。
静かに勉学に励んでいたところに、興奮したリリィが入って来たのだ。
「頼みたいことがあるんだけど!」
「何?」
「あたしが家出してフェルマまで来た時に、イアン叔父さんの家にあったメモを持ってたでしょう!?」
「メモ?」
ヘルムートは少し考えてから、
「ああ、ルシナ殿が持っていたメモか」
「そう、それ! 今手元にある!?」
「保管はしているが、それを何に使うんだ?」
イアンの家にあった、雇った殺し屋のリストだ。
「いいから、見せて! お願い!」
リリィの嘆願に、ヘルムートは不審に思いながらも引き出しを開けた。
極めて大雑把なリリィには想像もできないほど整然としている引出しから、一枚の紙を取り出す。
「これか?」
「ありがとうっ!」
リリィは紙をひったくり、それを凝視する。
(あった……!)
そこには殺し屋の名前と連絡先が書かれていた。
レムとリュカ。
リリィの目当ての名前も、きちんと書かれている。
連絡先はミルタのとある宿になっている。
彼らのような人種は一定の住居をもたないのだろう。今もここを拠点としている保証はないが、連絡してみる価値はある。




