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アナテマ  作者: はるた
第一章
3/124

2 少女(2)



 夜の大通りはたくさんの人々で賑わっていた。

 立ち並ぶ店からは灯りや客の談笑する声が漏れ、暗闇の中に昼間のような明るさを与えている。


 行き交う人の群れの中、一際目立つ人影が一つ。


「おじさん、林檎一つ頂戴!」

「はいよ!」


 先程、裏通りの酒場で三人の男をぶちのめしてきた金髪の美少女ーーリリィだった。

 出店の店主は林檎をリリィに渡しながら言った。


「お嬢ちゃん、一人かい?」

「まあね」

「そりゃあ、危ないよ! この辺りにはたちの悪いチンピラ共がごろごろいるんだ。間違っても裏通りなんかにはいくんじゃないよ」


 リリィは代金を手渡し、林檎をかじりながらにやりと笑った。


「ご心配なく。さっきそいつらをしめてきたところだから」

「?」


 彼にはリリィが何を言っているのかわからなかっただろう。

 しかし、聞き返すより先に、リリィは人の波の中へ消えていた。


(とは言ったものの……)


 林檎をかじり、歩きながらリリィは考えていた。


(早くこの町を出た方がいいかしらね。さっきの連中はただのチンピラだったから良かったけど、もっとできる奴らがきたらやばいし、あの酒場にも他の追手がいたかもしれない……やっぱり、興味本位であんな店に行ったのはまずかったかな)


 リリィの表情には強い決意が浮かんでいる。


(まだ捕まるわけにはいかない……目的を果たすまでは、絶対に!)


   * * *


 大通りを抜けると、リリィは町を出た。

 夜は既に深い。間違っても、年頃の少女が一人で出かける時間ではなかった。

 昼間のように賑わう町でも、一歩外に出れば、夜が支配する漆黒の闇に覆われ、ろくに整備されていない道の両脇には、風に揺れて不気味にざわめく木々が枝を広げている。


 しばらく歩いたところで、リリィは足を止めた。


「…………」


 吹き抜ける風。木々がざわめく音。


 数歩進み、また立ち止まる。


 リリィの感覚の網は、つかず離れず、しかし確実に背後に迫っている見えない敵の存在を察知していた。


(まずいわね……つけられてたみたい)


 夜の静寂の中、緊張が張り詰める。


 見えない敵もまた、リリィが自分たちの存在に感づいたことに気付いている。


 背後の敵がじりじりと距離を詰めてくる気配がした。


 刹那――鹿のように敏捷な動きで、リリィは道の脇の木々へ走った。

 この奥は深い森である。

 月が出ているとはいえ、この闇夜の中、灯りがなければ人の眼では抜ける事はできまい。


 しかし、このままでは捕まってしまう。

 リリィは自らの直感と運に全てを委ねることにしたのだ。


 敵も足音を立てて走り出す。その数は、五、六人と言ったたところか。


「回り込め!」


 静寂を切り裂いて声が飛ぶ。


 それを背中で聞いて、リリィは走った。

 どこへ向かっているのかわからない。この森を抜けられるのか、抜けた先がどんな場所なのかも。

 ただひたすら、手を伸ばした先さえ見えない深い闇の中を走り続けた。


   * * *


 どのくらい走っただろうか――。

 リリィは疲労しきった足がもつれて転ぶまで、走るのを止めなかった。

 体の外に聞こえそうなほど、心臓が激しく鼓動を刻んでいる。

 乱れた呼吸は当分収まりそうにない。


(何とかまけたかしら……)


 リリィは木に背をもたれて座り込むと、突如として猛烈な疲労感と眠気が襲ってきた。

 それらを振り払うように金色の頭を激しく振る。


(寝ては駄目だ……あいつらがまだあたしを追いかけているかもしれないのに)


 そうは言っても押し寄せる眠気の波を押し返す事はできない。

 睡魔と戦っていると、ふと、頭上から月明かりが差し込んでいることに気付いた。

 リリィが今いる場所は、比較的木が少なく大分開けているのだった。


 黒い天空にうかぶ見事な満月。闇の世界に光をもたらしているそれを見ていると、眠気も疲労も、追われていることさえ、忘れることができそうだった。


(……?)


 リリィから少し離れた場所――木が生えておらず、月光に照らされ白く浮かび上がっているように見える所があった。


 何かがいる――。


 ここからではよく見えない。

 リリィは無意識のうちに立ち上がり、それに近付こうとしていた。


(何かしら……)


 近付くにつれ、それの姿がはっきりと見えた。


 それは、人間だった。


 追手の男かと思って身構えたが、そうではないらしい。


 それは、うつ伏せに倒れたままぴくりとも動かない。


(まさか……死体?)


 恐ろしいのが半分、好奇心が半分で、リリィはゆっくりと倒れている人物に近付いた。


 うつ伏せに倒れているので顔は見えないが、男のようだった。

 着ている服は無数の刃に斬られたかのようにぼろぼろで、もはや衣服には見えないただのぼろ切れに化している。

 そして、至る所に血のような赤い染みが付いていた。


 本当に死んでいるのかもしれない。


 恐ろしくなったが、リリィの好奇心は観察を止めなかった。


 声の届く距離まで来ると、リリィは思い切って声を掛けてみた。


「あの……大丈夫ですか?」


 返事はない。


 リリィは倒れている男のすぐ傍まで近付き、その場に屈んで『死体』を凝視した。


 顔を地面に付けるような体勢なので、依然として顔はわからないが、ぼさぼさに乱れた黒髪をしている。

 ずたずたの服が元はどのような形をしていたのかわからないため、『死体』の身分や暮らしぶりは不明だ。しかし、まともな暮らしをする者が、こんな場所で殺されるだろうか。


 生死を確認しようとした時、がさりと草を踏む音が聞こえた。

 ゆらりと松明の炎も見える。


「いたぞ!」


 急いで立ち上がり、逆方向へ逃げようとしたが、リリィははっと足を止めた。

 前方からも、後方からも、松明の炎が見える。

 ――囲まれた。


(しまった……)

 

 焦りながらも、リリィは傍らで横たわる死体を見下ろし、内心で毒づいた。


(何だってこんな所で死んでるのよ! あんたのせいで見つかったじゃない!)


 『死体』がもしそれを聞いていたら、そんな理不尽な、と言ったかもしれないが、彼は相変わらず横たわったままだ。


 男たちは全員黒い装束を着て、フードを深く被っている。


 リリィはじりじりと詰め寄ってくる男たちを真っ直ぐに見据えた。


「あんたたち、ロザリア公から直々に雇われた連中ね?」


 男たちは答えない。


「公爵に伝えなさい。戻る気はないってね!」

「リリエル様……大人しく来てくれるのなら、手荒な真似は致しません。ですが、どうしても嫌と仰るなら――」


 リリィはため息をついた。


「あたしなんかに構うくらいなら、もっと他のことをすればいいのに……」


 リリィは男たちの動作を注意深く見ながら、逃亡のチャンスを窺っていた。

 これだけの人数を相手にするのは不可能だ。

 かと言って、逃げる隙があるのかどうか――。


(でも、『逃げる』しかない! それ以外の選択肢はない!)


 男たちが、手の届く距離まで近付いてきた。


(どうする、どうする――! 早く逃げなきゃ!)


 その時だった。


 男たちが気にも留めていなかった、リリィの足元の『死体』が突然動いたのだ。

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