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アナテマ  作者: はるた
第一章
29/124

28 別れの時(2)




 翌朝、朝食が済んでからルシナはヴィンセントに呼ばれた。


 執事に案内された先は、ヴィンセントの私室だ。


(本当にすごい家だな……)


 感心している間に、案内の執事が扉を叩いていた。


「旦那様、ルシナ様をお連れ致しました」

「お通ししろ」


 荘厳な扉が開かれ、その奥から射し込む光にルシナは思わず目を細めた。


 ヴィンセントは思った以上に若く、それに加えてかなりの美男だった。

 握手を交わしてから、彼は深々と頭を下げた。


「昨日はご挨拶ができず、大変失礼致しました」

「いえ、こちらこそ」

「ヘルムートから話を聞いております。娘が大変お世話になりました」


 話と随分違うな、とルシナは思った。

 リリィから聞いた話では、恐ろしく冷酷な父という印象しかなかったのだが、今目の前にいるこの人は怜悧な雰囲気はあるものの、娘を心配する一人の父親にしか見えない。


「いえ……お世話になったのは俺の方です」

「ヘルムートの話では……記憶を失われているとか」

「ええ、まあ」

「よろしければ、医師を紹介しましょう。そう簡単なことではないことはわかっていますが……何か改善するかもしれません」


 ルシナは笑って首を振った。


「いいえ、遠慮しておきます。昔の自分がどうであれ、俺は今のまま生きてみることにしたんです」


 ヴィンセントも微笑する。


「それも良いかもしれませんな。それで、これからはどうされるおつもりですか?」

「とりあえず、色々な場所を回ってみることにします。何か思い出すかもしれないし……この眼で様々なものを見聞きしたいので」

「そうですか……あなたさえよろしければ、この家に食客として居てくださればとも思ったのですが」


 ルシナは少し戸惑ったような表情を浮かべる。


「正直、リリィと会えなくなるのは寂しいですが……やっぱり俺は流れるのが性に合っている気がします。すぐにでも、ここを出ようかと」

「残念です。リリエルは駄々をこねるかもしれませんが」


 ヴィンセントはルシナの両眼を見つめている。


「父君にこんなことを言うのはおかしいかもしれませんけど」

「?」

「俺はリリィをとても大切に思っています。幸せに暮らしてほしい」


 ヴィンセントは力強く頷く。


「今まで父親としてろくに愛情も注げなかった。リリエルがここを本当の家だと思えるようになるまで……努力するつもりです」

「お願いします」


   * * *


 ルシナが退室した後、ヴィンセントは部屋を訪れたヘルムートと話していた。


「不思議な青年だな」

「ルシナ殿のことですか? 確かに、この世のものとは思えぬ美しさですが」

「それだけではない」


 ヴィンセントは執事が用意した紅茶を一口飲んだ。


「まとう空気も眼の光も……人のものとは思えぬ」

「?」

「知っているか。暗黒大陸において脅威とされている赤い眼の種族を」


 ヘルムートははっとした。


「魔人族ですか? 人を食らうという……」

「恐らく、そうであろうな」

「まさか!」

「彼が誰であろうと、リリエルの恩人であることは間違いない」

「それは、そうですが……」

「彼でなければ、刺客からリリエルを守り通すことはできなかったかもしれんな」


 ヴィンセントは窓の外の青空を見上げた。


「エルザ……リリエルを守るために――お前が、彼とリリエルを巡り合わせたのか?」


   * * *


 ヴィンセントの部屋を出た後、ルシナは屋敷を出ることにした。

 リリィにもこのことは言わなかった。今会ってしまったら、名残惜しくなってしまうかもしれないからだ。

 特にまとめるべき荷物もないので、ほぼ手ぶらのまま門を出る。


「…………」


 ふと立ち止まり、振り返った。


「ありがとう。また、いつか会おう」


 今は隣にいない少女に向かってそう言った。

 再び歩き出そうとした時、背後から近付く足音が聞こえた。


 振り返ると――。


「――リリィ」


 息を切らしたリリィが、乱れた髪もそのままに、ルシナの背後に立っていたのだ。

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