28 別れの時(2)
翌朝、朝食が済んでからルシナはヴィンセントに呼ばれた。
執事に案内された先は、ヴィンセントの私室だ。
(本当にすごい家だな……)
感心している間に、案内の執事が扉を叩いていた。
「旦那様、ルシナ様をお連れ致しました」
「お通ししろ」
荘厳な扉が開かれ、その奥から射し込む光にルシナは思わず目を細めた。
ヴィンセントは思った以上に若く、それに加えてかなりの美男だった。
握手を交わしてから、彼は深々と頭を下げた。
「昨日はご挨拶ができず、大変失礼致しました」
「いえ、こちらこそ」
「ヘルムートから話を聞いております。娘が大変お世話になりました」
話と随分違うな、とルシナは思った。
リリィから聞いた話では、恐ろしく冷酷な父という印象しかなかったのだが、今目の前にいるこの人は怜悧な雰囲気はあるものの、娘を心配する一人の父親にしか見えない。
「いえ……お世話になったのは俺の方です」
「ヘルムートの話では……記憶を失われているとか」
「ええ、まあ」
「よろしければ、医師を紹介しましょう。そう簡単なことではないことはわかっていますが……何か改善するかもしれません」
ルシナは笑って首を振った。
「いいえ、遠慮しておきます。昔の自分がどうであれ、俺は今のまま生きてみることにしたんです」
ヴィンセントも微笑する。
「それも良いかもしれませんな。それで、これからはどうされるおつもりですか?」
「とりあえず、色々な場所を回ってみることにします。何か思い出すかもしれないし……この眼で様々なものを見聞きしたいので」
「そうですか……あなたさえよろしければ、この家に食客として居てくださればとも思ったのですが」
ルシナは少し戸惑ったような表情を浮かべる。
「正直、リリィと会えなくなるのは寂しいですが……やっぱり俺は流れるのが性に合っている気がします。すぐにでも、ここを出ようかと」
「残念です。リリエルは駄々をこねるかもしれませんが」
ヴィンセントはルシナの両眼を見つめている。
「父君にこんなことを言うのはおかしいかもしれませんけど」
「?」
「俺はリリィをとても大切に思っています。幸せに暮らしてほしい」
ヴィンセントは力強く頷く。
「今まで父親としてろくに愛情も注げなかった。リリエルがここを本当の家だと思えるようになるまで……努力するつもりです」
「お願いします」
* * *
ルシナが退室した後、ヴィンセントは部屋を訪れたヘルムートと話していた。
「不思議な青年だな」
「ルシナ殿のことですか? 確かに、この世のものとは思えぬ美しさですが」
「それだけではない」
ヴィンセントは執事が用意した紅茶を一口飲んだ。
「まとう空気も眼の光も……人のものとは思えぬ」
「?」
「知っているか。暗黒大陸において脅威とされている赤い眼の種族を」
ヘルムートははっとした。
「魔人族ですか? 人を食らうという……」
「恐らく、そうであろうな」
「まさか!」
「彼が誰であろうと、リリエルの恩人であることは間違いない」
「それは、そうですが……」
「彼でなければ、刺客からリリエルを守り通すことはできなかったかもしれんな」
ヴィンセントは窓の外の青空を見上げた。
「エルザ……リリエルを守るために――お前が、彼とリリエルを巡り合わせたのか?」
* * *
ヴィンセントの部屋を出た後、ルシナは屋敷を出ることにした。
リリィにもこのことは言わなかった。今会ってしまったら、名残惜しくなってしまうかもしれないからだ。
特にまとめるべき荷物もないので、ほぼ手ぶらのまま門を出る。
「…………」
ふと立ち止まり、振り返った。
「ありがとう。また、いつか会おう」
今は隣にいない少女に向かってそう言った。
再び歩き出そうとした時、背後から近付く足音が聞こえた。
振り返ると――。
「――リリィ」
息を切らしたリリィが、乱れた髪もそのままに、ルシナの背後に立っていたのだ。




