22 魔戦士(3)
彼を初めて見たのは戦場だった。
当時リュカは実戦はほとんど初めてで、右も左もわからない半人前だった。
それでも、魔戦士ルシナの名は知っていた。
闇と破壊を司る神ディラスの現身と呼ばれる戦士。彼が戦に登場してさほど長くはなかったが、既にその名は伝説的なものとなっていたのだ。
他の種族と馴れ合わない魔人族であるということもあり、彼を快く思わない者も多かったが、リュカは彼を尊敬していたし、憧れもしていた。
幼い頃から戦士として育てられ、戦いに誇りを持つリュカにとって、強者こそ尊敬するべき存在であったのだ。
魔人族だろうと何だろうと、ルシナも故郷を守るため戦っている。そこは自分を含め、他の種族となんら変わりはないと思っていた。
実際に彼の戦いぶりを見て、リュカは夢でも見ているのかと錯覚したものだ。
黒い疾風と化し、敵軍の真っ只中をたった一人で駆け抜ける。降り注ぐ矢の雨がルシナを避けているように見えた。
彼は己の体以外に武器を持たず、ろくな防具も身に付けていなかった。いくら魔人族といえど、心臓か頭を攻撃されれば死ぬ可能性が高いのに。
ルシナはいつも血塗れだった。
しかし、それは彼自身の血ではない。彼がその手にかけた、敵軍の兵士たちのものだ。
屍の山の上に立つその姿は、この世のものとは思えないほど恐ろしく、美しかった。
その美しさにリュカは戦慄を覚えながらも、見惚れずにはいられなかったのだ――。
戦場以外でルシナの姿を眼にしたことは数えるほどしかない。しかし、その数回の邂逅は残らず記憶に刻まれている。
竜人族の族長である父に付き添って軍議に参加した際、ルシナもその場にいた。
魔人族は他の種族のように族長を持たない。ごく少数の群れで活動し、その群れのリーダーならいるが、部族単位での長は存在しないのだ。
ルシナは話し合いに参加するわけでもなく、ただその場に異彩を放ちながら座っていただけだった。
間近で彼の姿を眼にして、リュカは改めてその美貌に驚嘆した。
魔人族は皆赤い瞳を持つが、ルシナのそれは単純な赤ではない、血のような、夕陽のような、複雑な赤の中に不思議な煌めきがあった。
肌は抜けるように白く、背は高いが細身で、どこか中性的だった。頑強な戦士たちが揃うその場では、余計その印象は際立った。
その姿だけ見ていると、とても魔戦士という呼び名は似つかわしくないように思えた。白皙の貴公子とでもいう方が遥かに似合っている。
戦場にいる時とはまるで別人だった。
言葉を交わしたこともあった。最も、ルシナからすればそれは記憶にも残らないような些細なものだったのだろうが。
長い時が経っても、忘れることができない彼の言葉がある。
ルシナに強く憧れていた少年のリュカは、彼にその思いを口にしたことがあったのだ。
気安く話し掛けられる存在ではなかったが、彼は一人でいることが多かったので、隙を見付けて話し掛けたのだ。
「俺も、あなたのような強い戦士になりたいんです」
眼を輝かせてそう言ったリュカは、ルシナはその深紅の瞳を初めてリュカに向けたのだ。
その時、闇の深淵を覗き込んだかのような錯覚にとらわれたのを、はっきりと覚えている。
「君には戦う理由があるか?」
いきなりの質問にリュカは面食らったが、すぐに答えた。その問いに対する答えは迷うべくもなくはっきりとあったからだ。
「家族や仲間、生まれ育った地を守るため。それに、俺自身の戦士としての誇りも」
「守るものばかりだな。大変そうだ」
ルシナはさほど興味もなさそうに、独り言のように言った。
「俺にはない。守るべきものもなければ、失うものさえない。戦う理由だって、持っていないんだ。人は俺を魔戦士だなんて呼んでいるが、俺は戦士なんかじゃない。ただの殺戮者さ。――俺は空っぽだ。俺みたいになりたいなんて、言わない方がいい。君は誇り高い戦士で、大事なものがたくさんあるんだろう」
リュカがそれに対して何か言おうとする前に、彼は去って行った。
一番彼と間近で話した記憶。後にも先にも、それが最後だった。
* * *
「リュカ……!」
リュカは地面に座り込んで決まりの悪い顔をしているレムを一瞥し、
「お前のことだ。俺がいくら止めようとルシナを追うだろうと思っていた」
「そ、それは悪かったよ! でも……今の話、本当なのか!? 本当にこいつが――あの魔戦士ルシナなのか!?」
魔戦士――その響きにリリィは聞き覚えがあった。
イグリスの図書館で、ジルバから教わった暗黒戦争の伝説的戦士。
(魔戦士、ルシナ……まさかルシナがそうだっていうの……!?)
あまりの驚愕に目が回りそうだった。しかし、心の片隅で――予想していたことでもあったのだ。
ただの勘でルシナと魔戦士の繋がりを見出しただけで、根拠は何もなかったが――。
「以前戦った時は、すぐにはわからなかった。雰囲気もかなり違う。だが、その眼……確かに俺が知る魔戦士ルシナと同じものだ」
「…………」
ルシナは何も答えない。
「俺は竜人族のリュカ。訳あって、このレムと共にリリエル・ロザリアの殺害を依頼された。……が、今はその依頼を全うする気はない。魔戦士が相手とあってはな」
「おい、リュカ!」
口を出そうとしたレムをリュカは視線だけで制し、話を続ける。
「竜人族は、長命の種だ。このなりでも俺は二百年以上生きている。暗黒戦争の末期、丁度魔戦士が活躍していた時に俺も戦士として参加していた。魔戦士の戦いを間近に見たことも、直接会ったこともある」
「…………」
「正直、今のあなたはその時とは大分違う。まとう空気が徹底的に異なっているし、俺とレムのたった二人を相手にして苦戦するというのは考えられない」
「じゃあ、何で俺と魔戦士が同一人物だって思うんだ? 他人の空似かもしれない」
「いくら何でも、この距離で向かい合って話をして、見間違うはずがない。こんな美貌が二つとあるわけがないからな」
「――どうだか」
リリィははっとしてルシナの握られた拳を見た。
――かすかに震えている。
動揺しているのだ。当然のことだろうが、彼の動揺しているところなど見たことがないので、リリィは驚かずにはいられなかった。
「だったら君は、俺が記憶を失った理由を知っているのか?」
ルシナの問いに、リュカは首を振った。
「さあな。心当たりはなくもないが」
ルシナは視線だけでその先を促した。
リリィは段々と鼓動が速まっていくのを感じていた。ルシナが記憶を失った理由。その謎の扉がほんの少し開かれようとしている――。
「噂では、魔戦士はある罪を犯し神の怒りを買ったと――その罪のために、エーゼスガルダを追放されたとも、処刑されたとも言われている」
「エーゼスガルダ?」
「暗黒大陸のことだ。暗黒大陸に住む亜人はそう呼んでいる。大いなるエーゼ神の地という意味だ」
エーゼスガルダ――イグリスの図書館にあった本で見たことのある言葉だ。そういえば、ジルバも言っていた。暗黒大陸というのは、セルドナ大陸に住む人間たちが未開の原野である彼の地を、蔑みの意味で呼んだ名であると。
「その罪がどのようなものであるかはわからない。真実であるのか、虚構であるのかも。あくまで噂だからな」
罪――。
ルシナの頭の中を覆う黒い霧が、不穏に渦を巻いている。
夢の中の光景が蘇って来る。
灰色の空の下、荒廃した大地に立っていた血塗れの自分。
あれは失った記憶、魔戦士と呼ばれていた頃の自分なのか。
『奴ら』を滅ぼすことがルシナの使命であると、彼は言っていた。奴ら――それが一体誰であるのか、全く見当もつかない。もしかするとそれは、リュカが言う『エーゼ神』という存在なのか。
「……なるほどね。よくわかったよ」
ルシナはリュカを鋭く見据えた。
「話はそれだけか? 君もリリィを殺すつもりなら――」
するとリュカは首を振った。
「もうそのつもりはない。記憶を失っているとはいえ、相手があの魔戦士だとわかったのだからな。手を引かせてもらう」
「リュカ!」
食い掛かろうとしたレムを、リュカは視線だけで制した。
「お前に反論する権利はない。勝手な行動を起こした上、リリエルが止めに入らなければ殺されていた」
「見てたんなら助けろよ!」
「あんな殺気の中に割って入るなど、冗談ではない。俺も殺されるのはごめんだ」
「て、てめえ……」
「とにかく、俺たちとはこれでおさらばだ。もう追うことはしない」
そう言ってリュカは背を向けて立ち去ろうとした。
「待て」
ルシナの声に、リュカは立ち止まって振り向く。
「リリィの命を狙っているのは誰だ?」
「……残念ながら、それだけは言うことはできん」
「あくまで依頼主との契約は守り通すつもりか」
ルシナは少し笑った。
「……わかった。無理矢理には聞かないよ。何をしても言わないだろうし。それに、色々と参考になる情報を聞かせてもらったからな」
「そうか。――それでは、もう会うこともあるまい」
リュカは足早に闇の奥へ消えて行ったが、レムはしばらくの間その場に立っていた。
その瞳の中に激しい炎を燃え滾らせてルシナを見る。その激しい憎しみのような、悲愴のような感情が入り混じった炎に、直接視線を向けられているわけではないリリィも、身を焼かれるような思いがした。
「……オレの家族は魔人に殺された」
「…………」
「あんたはオレの直接の仇ってわけじゃない。オレは魔人に真っ向から戦いを挑んで勝てるほどの戦士でもねえし、無駄死にするってわかってても……許せねえんだ。家族を殺したあいつらが」
「……そうか」
「リュカがもうやめろって言うなら、もう付け狙うような真似はしないさ。一応、今回のことはリリエルが標的の仕事だったしな」
「レム」
「……なんだよ」
リュカの後を追おうとしていたレムは忌々しそうに言う。
「さっきは悪かったな」
「……!」
するとレムは動揺したような、何か言いたげな表情をしたが、振り切るように背を向けて走り去って行った。
* * *
「……ふう。疲れたな」
「疲れたどころじゃないわよ!」
まだ頭の中が混乱している。
全てを受け入れているかのようにさっぱりとしている当の本人が不思議でならない。
「もう何が何だか……」
リリィは脱力して地面に座り込んだ。
「怖くなった?」
「えっ?」
「俺が暗黒戦争で人間を殺しまくった魔人だってわかって」
「驚きはしたけど……でも、怖いとか、そういう感情はないよ。だってあたしが知ってるルシナは、今ここにいるルシナだけなんだから。あたしが今向き合ってるのは……」
「無理しなくてもいいんだよ?」
「無理なんかしてないわ」
するとルシナはくすりと笑った。
「本当、変わってるよ、君は」
「そう?」
「多分、俺は今まで生きて来てそういうことを言われたことなんかなかったと思う。嬉しいよ、すごく」
そう言ったルシナの表情はどこか眩しそうで、満ち足りているもののように見えた。




