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アナテマ  作者: はるた
第一章
22/124

21 魔戦士(2)




 がさり、と草を踏む音が聞こえた。


 風に紛れたその足音も、ルシナの耳は鋭く感じ取っている。

 音がした背後を素早く振り向いて、濃い闇の奥を見つめた。段々と足音が近付いて来る。


 ルシナは眠っているリリィの肩をゆすった。


「リリィ、起きろ」

「ん……」


 リリィはすぐに眼を覚ました。まだ眼が開いていないが、起き上がって、必死に完全に意識を取り戻そうと眼をこすっている。


「どうしたの……?」

「誰か来た」


 するとリリィははっと身を強張らせた。眠気も一気に吹き飛んだらしい。


「もしかして――この前の」

「静かに」



 ルシナは全ての感覚を研ぎ澄ませ、刺すように気配がする方を見つめた。


 やがて、真夜中の来訪者は姿を現した。


 暗闇の中、ルシナを見つめる肉食獣の眼。――獲物に狙いを定めている。


「――君か」


 ルシナの瞳には、来訪者の姿がはっきりと見えていた。

 灰色の癖のある髪。細く俊敏そうな体。

 レムは鋭い牙を見せて不敵に笑った。


「覚えててくれたみたいだな」

「なぜわざと足音を立てて近付いた? 君なら、気配を完全に殺すことは簡単だろう」

「それじゃ、意味ねえからな。正々堂々、てめえと戦って殺らなきゃ気が済まねえ」


 ルシナはかすかに笑った。


「君は暗殺者には不向きだな。――もう一人はどうした?」


 すると、レムの表情が途端に苦いものになった。


「てめえが魔人とわかって怖気付いたか――いつになく弱気でな。あいつがその気になるのを待ってちゃ、いつまで経ってもてめえと戦えなさそうなんで一人で来たのさ」

「なるほどね……」

「依頼人にゃ悪いが、女を殺すことはもうどうでもいい。魔人を殺せりゃ、満足だ」


 レムの言葉には、深い怒りのような感情が滲んでいるように聞こえる。


「魔人に恨みがあるのか知らないが――とにかく俺は君に殺される気はない」


 ルシナはリリィを背後に庇いながら、立ち上がった。


「向かってくるなら、殺すまでだ」

「上等だ!」


 レムが体勢を低くし、爪と牙を剥き出しにする。

 今まで薄い微笑を浮かべていたルシナは、突然くすりと笑った。


「本当にいいのか? 容赦はしない。たとえ相手が女でもね」


 完全に戦闘態勢に入っていたレムは虚を突かれたかのように、一瞬ぽかんとした後、顔を真っ赤にしてうろたえた。


「なっ……! 何で……!」


 すっかりレムを少年だと認識していたリリィもこれには驚いた。


「この前戦った時、体の感触が柔らかかったから」


 ルシナが淡々とそう言うと、レムは憤怒からか恥じらいからか、更に真っ赤になって食い掛かった。


「やらしい言い方するな! て、てめえ、どさくさに紛れてどこ触ってやがった!」

「わざと触ったわけじゃない」

「うるせえ! このスケベ魔人!」

「それほど触る価値があるようには思えなかったけどね」


 先程までの緊迫した雰囲気はどこへやら、完全に獣人の本性を剥き出しにしていたレムは、すっかり年頃の少女の顔になって、口をぱくぱくさせながら必死に何か言おうとしている。


 ルシナはからかうような笑みを浮かべた。


「それくらいの年なら、もっと成長しててもいいんじゃないか」

「こ、こ、この野郎……!」


 このやりとりにどう反応していいのかわからず、リリィはただうろたえるしかない。

 全身の毛を逆立たせた獣のようにいきり立ちながら再び戦闘態勢をとった。


「殺してやる!」


 目にも留まらぬ速さでルシナに襲い掛かって来たが、精神を乱されたその動きがルシナに見切れないはずはなかった。

 振り下ろされたレムの腕をいとも簡単に受け止めたのだ。


「!」

「駄目だね」


 一瞬でもう片方の腕でレムの首を掴み、地面に彼女の体を叩きつける。


「ぐっ……!」

「この前とは逆だな」


 一瞬の攻防をルシナの後ろから見ていたリリィは、その刹那、異変に気付いた。


 首を絞められ身動きのできないレムを見るルシナの横顔。その口元には、いつの日か刺客を殺した時と同じ寒気のする微笑が浮かんでいた。


「ルシナ――だめ!」


 リリィは反射的に叫んでいた。


 すると、ルシナは視線だけでリリィを見た。先程までとは全く違う、氷のような目つき――。手に込める力を緩める気配はない。


「殺しちゃだめ!」

「どうして?」


 幼い子供が母親に聞くかのようにルシナは尋ねた。

 それがあまりにも純粋な問いかけのようで、リリィはすぐに反応することができなかった。ルシナの瞳を直視することができず、地面に視線をさまよわせながら震える声で、


「どうしてって……まだ子供よ!? しかも女の子じゃない!」

「女だろうと容赦しないとさっき言った。彼女はそれを承知で向かってきた。だから殺す。それだけだ」

「そんな……!」


 今のルシナは、いつもの彼とは明らかに違う。魔人の冷酷な性を剥き出しにしている。

 それが本来の彼があるべき姿なのかもしれない。確かに暗黒大陸では、向かってくる敵は情けなどかけずに殺さなければ生きてはいけないのだろう。

 しかし――。


「お願いだから殺さないで! そんなことしたら……」


 ルシナがルシナでなくなる。リリィの知っているルシナが消えてしまう――。

 そんな気がして、リリィはレムの首を絞めている彼の腕を掴んで引き離そうとした。全身の力を込めても、彼の腕はびくともしない。


「こいつは君を殺そうとしてたんだぞ。それでも、助けろって言うのか?」

「そんなことは関係ない! 簡単に殺すなんて言わないでよ……!」


 苦しんでいたレムは半ば意識を失いかけている。

 こんなことをしても効果がないのはわかっているが、ルシナの白い腕に爪を突き立てた。

 

「やめて! 手を離して!! お願いだから……っ!」


 すると、不意にルシナは力を緩めてレムの首から手を離した。


「大丈夫!?」


 解放されたレムは激しく咳込んだ。首にくっきりと絞められた跡が付いているが、とりあえずは大丈夫そうだ。


「く……そっ!!」


 憎悪の炎をたぎらせて、レムはルシナを睨む。しかしその視線には覇気がなく、どちらかというと動揺しているように見えた。


「てめえ……ルシナ、だと……? ふざけてんのか?」


 ルシナはレムに視線を向けた。


「どういうことだ?」

「とぼけてんじゃねえよ。ルシナ……あのルシナなのか!? いや、そんなはずは……」


 レムが何を言っているのかわからず、ルシナとリリィは顔を見合わせた。


 その時だった。


「その男はルシナだ」


 闇の奥から声が響く。


 輝く黄金の双眸。長く垂らした青い髪。


「リュカ!? なんでここに……」


 驚愕するレムには目もくれず、彼の視線はルシナに焦点を合わせていた。


「暗黒神ディラスの化身、魔戦士ルシナ。暗黒戦争の後姿を消したあなたが、まさかセルドナにいようとは」

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