1 少女(1)
「むさくるしい店ね」
血のように真っ赤な夕陽が西の空を染める頃。
軋むドアを開けて入って来た新たな客は、開口一番にそう言った。
ざわめいていた店内が静まり返り、男たちのぎらついた視線が新たなる客人に集中する。
夜よりも濃い闇が立ち込める裏通りの酒場では、いつものように昼間の稼ぎを自慢気に語り合う男たちで溢れかえっている。
羽虫がたかる、暗い橙色の電球の下で、濃密な酒の匂いを纏いながら大声で話す多くの男たち。ろくに灯りの灯っていないこの酒場は、彼らのようなならず者たちの絶好の溜まり場だった。
彼らの視線がドアへ集中したのも無理もない。躊躇いや戸惑いの全くない足取りで席に着いたその人物は、この店には明らかに不釣り合いな小柄な少女だったのだ。
「適当にお酒くれる? あ、高くないやつね」
自分に集中する男たちのねっとりとした視線など知らぬげに、少女は店員に向かってそう言った。
歳は十六、七と言ったところか。極めて軽装の旅人風の出で立ちである。
薄暗いこの場所でも明るく光り輝く金髪を、頭の高い位置で一つに結び、背中に垂らしている。
その輝きと言えば、少女の動きに合わせて揺れるたび、辺りに金粉が舞うようだった。
大きく愛らしい瞳の色は夏空を思わせる鮮やかな青で、一見すると可憐な印象だが、その奥底には刃のような鋭さが宿っている。
真っ直ぐな瞳、ぴんと張った背中、きゅっと結んだ唇――見た者は彼女に、強気な少女という印象を抱くだろう。
しかし、それは単に性格の問題だけではない。
この掃き溜めのような場所にいても汚れることを知らない女神のような気高さが、その姿に滲み出ていた。
少女は青い瞳を光らせ、観察するように店内を見回す。
その視線が近寄ってくる三人組の男を捉えた。
男たちは下品な笑みを浮かべながら、少女が座っているテーブルを取り囲むようにして立った。
「よぉ、嬢ちゃん。可愛いねェ」
「それはどうも」
その内の一人が、平然と答えた少女の向かい側に座る。
「俺達と一緒に呑もうぜ」
「おい、酒!」
テーブルの脇に立っている男が奥にいる店主に声を掛けた。
少女は目の前にいる男をまじまじと眺める。
「俺の顔に何か付いてるかい?」
「そういう訳じゃないけど」
凛とした声で少女は答える。
そこで、店員が火酒とグラスを持ってきた。
男はグラスに酒を注いで少女に渡す。
「名前は?」
「リリィ」
はっきりと答え、少女はグラスを手に取った。
男は下卑た笑みを浮かべる。
「名前も可愛いなぁ……どこから来たんだい?」
「ところで……」
男の言葉には興味はないとでも言いたげに、リリィと名乗った少女は顔にグラスを近づけた。
しかし飲もうとはせず、匂いを嗅いでみせる。
「これ……相当強いお酒よね。ちょっと飲んだら酔っちゃいそう」
リリィは悪戯っぽく笑った。
「何が入ってるの?」
「……何の事だ?」
「見えちゃったのよね……あたしにグラスを渡す時、入れてたのを。睡眠薬か何か?」
空気が変わった。
それまでにやついていた男たちの表情が、獲物を狩る猛獣のものに変わる。
リリィはそれにも臆することなく、舌を出してみせた。
「やっぱりそうか……本当は、見えてたなんて嘘。カマかけただけよ。でも、図星だったみたいね。あたしを寝かせてどうするつもりだったの?」
座っていた男ががたりと音を立て立ち上がる。
「しょうのねえ嬢ちゃんだ。大人しく飲んでりゃ、楽だったものを」
「どこかに売り飛ばすつもり? こんな人目があるのに、いい度胸ね」
「ここにゃ、憲兵にチクる奴なんざいねえよ!」
その声を合図に、リリィの背後にいた二人の男が一斉に彼女に掴みかかった。
大柄な男たちの背後からの攻撃に、華奢な少女は屈するかに見えた。しかし――。
四本の太い腕は空を切ることになる。
リリィの姿はたった今いた場所から姿を消していたのだ。
三人の男は何が起こったのかわからなかった。
それも無理はない。少女の動きはまさに、風のごとくと表現するのに相応しかったからである。
少女は一瞬で身をかがめ、背後から襲ってきた二人の男の間をくぐり抜けたのだ。
それを彼らが理解するより先に、リリィのか細い脚は強靭な鞭と化し、二人の男を蹴り倒していた。体勢を崩したところへ素早く手刀を叩き込み、昏倒させる。
一瞬の沈黙。
次の瞬間、野太い歓声がどっと沸き起こった。
「く、くそっ!」
一気に二人の仲間を失ったリーダー格の男はナイフを取り出し、半ばやけくそになってリリィに襲いかかった。
「うおおおおっ!!」
リリィはナイフを突き出した男の手を余裕でかわし、体勢を崩した男の背を思い切り蹴りつけた。
男は盛大にテーブルに激突し、派手に酒をぶちまけた。
そんな男の姿を見下ろし、リリィは呆れたように呟く。
「力自慢の能無しね。お話にならないわ」
リリィは倒れ伏す男たちとテーブルの残骸に背を向け、入口に向かって歩き出した。
「あ、そうだ」
思い出したように足を止めて後ろを振り返り、呆然としている店員に向かって、
「酒代とテーブルの修理代、グラスの弁償代はそいつらにつけといてね」
店員は頷くしかなかった。
「ありがとっ」
突如としてやってきた少女は、まさに嵐のような爪痕を残し、颯爽と去っていった。