14 闇夜の戦い(2)
街中での、ルシナと二人の亜人の戦いより、数十分前――。
眠りについていたリリィはふと眼を覚ました。胸に残る粘っこい不安のようなものに起こされたのだ。
不思議と意識ははっきりしている。まるで体が、意識が「起きろ」と言っているかのように。
「…………」
体を起こして眼をこすった。
リリィは起き上がって部屋の灯りをつけた。
「ルシナ……?」
ルシナはソファに寝ているはずだった。
しかし寝ていた痕跡はあるものの、ソファはもぬけの殻だ。
「ルシナ!?」
ルシナが言っていた言葉が蘇る。
『この街で別れよう』――。
自分が寝ている間に、気付かせまいと去ったのではないか。
「どこ……どこに行ったの!?」
ほとんど無意識のまま、リリィは服を着替えて、何も持たずに部屋を飛び出していた。
夜の街を駆け抜ける。今まで感じたことのないような、異様な不安を胸に抱きながら。
どこにいるのかなど、全く見当も付かない。もしかしたら、既にこの街にはいないのかもしれない。しかし、探さずにはいられなかった。
まだ出会って間もないのに、ルシナにはかつて愛する母に感じていたものとも違う、信頼と安心感があった。
ルシナが傍にいると思うだけで、心が安らぐ。何があっても支えてくれるような、そんな気持ちを抱いているのだ。
記憶を失って不安なのは、ルシナのはずなのに――。
リリィの独りよがりかもしれない。ルシナはリリィを煩わしく思っているのかもしれない。
それでも、傍にいてほしかった。もし、どうしても一人で行くというなら別れを言いたい。
当てもないまま、リリィは走り続けたのだ。
* * *
そして今――。
少女の思いが天に通じたのか、奇跡的にもルシナの居場所を見付けることができた。
リリィの目の前にルシナがいる。しかし、彼は地面に倒れたままぴくりとも動かない。
詳しくはわからないが――状況が掴めてきた。
恐らくこの二人はリリィを狙って来た刺客だ。なぜルシナがリリィと行動を共にしているのを知ったのかはわからないが、何らかの理由でルシナを見付けた。そして戦いになり――。
リリィは力なく倒れているルシナの上に座っている少年を睨んだ。
彼の頭からは犬のような耳が生えている。間違いなく獣人だ。
もう一人、背の高い男の方はわからないが、ただの人間ではあるまい。
二人いるとはいえ、ルシナと戦い特に目立つ傷も負わないまま、彼を破ったのだ。
「あなたたちは、あたしを追って来たんでしょ?」
精一杯凄みを出してリリィは言った。
「ああ。あんたを殺すよう依頼されてな」
犬耳の少年が答える。
「だったら、彼は関係ないでしょ。彼から離れて」
「いーや、関係なくないね。こいつが息を吹き返してあんたと逃げたら面倒だからな」
リリィは拳を握りしめた。
ルシナが傷付き倒れているというのに、自分にはどうすることもできない。
「それによ、あんたこいつに騙されてるんじゃねえか?」
「どういうことよ?」
「知らねえんだろ? こいつが――」
「待て、レム」
レムの言葉をリュカが遮った。
「何だよ、リュカ」
不満を唱えるレムを無視し、
「ロザリアのご令嬢。あなたが大人しく我々と共に来るというのなら、この男は解放しよう」
「来る――ですって? 殺すの間違いじゃないの」
「聞きたいことがあるのでね」
リリィは迷わず答えた。
「いいわ。早く――」
ルシナから離れて、と言おうとした時だった。
レムは視界の端に赤い光を見た。
魔性を帯びたそれは、レムの反射神経をもっても反応しきれないほどの速さで動いた。
「!!」
ルシナのその表情は、獲物をとらえた魔物と化していた。
大きく開けた口からは、獲物を確実に仕留めるための牙が生えている。
レムが飛びのくより先に、悪魔の牙は彼の右腕に咬み付いていた。
レムがひるんだ隙にルシナは彼の体を片腕で突き飛ばし、素早く立ち上がって叫んだ。
「リリィ! 走れ!」
あまりにも一瞬の出来事で、リリィは何が起こったから理解できていなかった。
しかし、頭がルシナの言葉を受け入れる前に、体が動いていた。
ルシナたちに背を向け、暗闇を目指して走り出す。振り返りはしない。
「くそっ!」
リュカが舌打ちをしてリリィを追おうとするが、それは叶わなかった。
ルシナが彼の膝を鋭い蹴りで砕いたのだ。神速をもって行われたその動作に反応できず、リュカは地面に膝を付く。
あっという間にリリィに続いてルシナも闇の奥へ消え去る。
「あんの野郎!」
ルシナに倒されていたレムが起き上がって雄叫びを上げた。
牙を剥き出しにして怒りに眼をぎらぎらと燃え上がらせている。
「てめえの匂い、しっかり覚えたぜ! 逃げられると思うなよ!!」
追いかけようとしたしたレムを、リュカが制止した。
「待て、レム!」
「ああ!? 何で止めるんだよ! 逃げられてもいいのかよっ!」
「今追いかけても、やられるかもしれん」
レムは咬み付きそうな勢いでリュカに反駁する。
「馬鹿かっ! もたもたしてたらまんまと逃げられっぞ!」
「馬鹿はお前だ! あの男は魔人だぞ!」
「上等だ! 殺してやる……魔人はオレが殺す! あいつらはオレの家族の仇だ!!」
レムの双眸に燃える激しい憎悪の光を、リュカは痛々しげに見てからなだめるように言った。
「その認識が甘いと言っているのだ! レム、お前は若い。暗黒戦争を知らなければ、直に魔人に会ったこともほとんどないだろう。奴らは竜の鱗も切り裂き噛み砕いて餌食にするような種族なんだぞ! お前が敵う相手でもない!」
レムはぐっと詰まった。
厳しくレムをたしなめていたリュカの表情が、突然曇る。
「それに――」
「?」
「俺の記憶が正しければ――あの男はただの魔人ではない」