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アナテマ  作者: はるた
第一章
14/124

13 闇夜の戦い(1)



「よおーし、もう一軒行くぞ!」

「いい加減にしろ。お前、本当に酒臭いぞ」


 夜は既に深いが、街は眠ることを知らない。


 レムとリュカは先程まで入っていた酒場を出て、人通りの少ない道に出た。


 レムの顔は既に赤く、頻繁にしゃっくりを繰り返している。


「酔いやすいのになぜ酒好きなのか、理解しかねるな。醜態をさらす前に宿に戻るぞ」

「せっかくイグリスまで来たのに遊ばないでどうすんだよ!」

「阿呆が。金に余裕はないし、さっさと依頼を遂行しなければならない。イグリスは広い。もたもたしていると逃げられるぞ」

「ほんと頭固いよなあ。色気がないっつうかさあ」


 ふらつくレムを引っ張って、人通りの少ない暗い道をすたすたと歩く。

 すると、突然レムの体がびくんとはねた。


「どうした?」


 レムの眼はぎらぎらと輝きながら前方の闇を見つめている。その眼は辺りを警戒する狼そのものだ。

 先程までの酒に酔っている様子は一瞬で吹き飛んでいた。


「血の匂いがする」

「!」


 リュカの眼も厳しくなった。


「かなり薄いが、洗い流したような不自然な感じがする」

「まさか」

「アタリかもな」


 レムの耳はわずかな音でも拾おうと、ぴんと立っている。

 リュカも金色の眼を鋭く光らせながら、鋭敏に空気の変化を感じ取っていた。


 そして、二人の鋭い聴覚は前方から来る足音を捉えた。

 限りなく小さい、静かな足音。並みの耳では全く聞こえまい。しかし、二人の人間を超越した感覚は、はっきりとそれを感じ取っていた。


「匂いが濃くなってきた……」


 やがて――。

 それは姿を現した。


 若い男のようだった。

 彼はうつむき加減に歩いている。二人に気付いているのかいないのか、男はゆっくりと足を進めている。


 男はそのまま、二人の間を通り抜けようとした。


「おい」


 レムが男の腕を掴む。

 そこで初めて二人の存在に気付いたように、男は顔を上げた。彼の身長はリュカより低く、レムより高い。リュカは二メートル近い長身なので、人間にしては背が高い部類と言える。


「何か用?」


 レムを見て男が言う。闇に溶け込むような黒く長い前髪に隠されて目元はよく見えないが、眼を見張るほど美しい顔立ちをしていることは確かだった。


「どこ行くんだ? 血の匂いをぷんぷんさせながらよ……」


 レムは男の体に顔を近付けて、鼻から息を吸った。


「石鹸の匂いがするからよく洗い流したんだろうが……オレの鼻にごまかしは効かねえぜ。盗んだ心臓はどこへやったんだ?」


 レムに腕を掴まれても特に反応を示さなかった男の表情が、初めて動いたように見えた。


 リュカも男の腕を掴む。


「聞きたいことがある。――お前が護衛している貴族の少女はどこにいる?」

「……君たちは殺し屋か? それとも公爵に雇われた迎えの者か?」

「前者だな。正確には殺し屋ではないが」


 男はため息をついた。


「手を引いてくれって言っても、無駄だろうね」

「無論だ」

「君たちを殺すけど、構わないか?」


 無機質な男の声に、レムは肉食獣の笑みを浮かべる。


「言ってくれるぜ。やってみろよ!」


 面白そうに言うや否や、眼にも留まらぬ速さでレムは鋭い爪を光らせて男の首に掴みかかる。

 両腕を掴まれている男は身動きできず、レムの爪を受けた。

 レムの爪が男の首に食い込み、血が噴き出る。力を加減したのでその量はそれほど多くないが、男の生命はレムの右手に握られたも同然だった。


 それを見たリュカが、殺すなよとレムをたしなめようとした時だった。


 首を掴んだ拍子に離れたレムの腕を男が掴み、力に任せてレムを投げ飛ばしたのだ。


「!?」


 何が起こったのかわからないまま、細身で小柄なレムの体は吹っ飛び、建物の壁に打ち付けられる。


「がはっ」


 すさまじく強い力だ。小柄とはいえ、人一人分の体重を片手で投げ飛ばすとは、恐るべき怪力である。


「レム!」


 驚愕の出来事にリュカが叫ぶとほぼ同時に、男は既に彼を消しにかかっていた。


 男の手が素早くリュカの左胸へ伸びる。


(まずいっ!)


 リュカが身動きするより速く、鋭い爪を持つ悪魔の手と化した男のそれは、リュカの胸を貫いた――かに見えた。


 骨の砕ける嫌な音がして、男の指はあらぬ方向へ曲がる。まるで鋼鉄に防がれたかのように、リュカの左胸に触れたところで男の手は止まっていた。

 今度は男の表情のない美貌に驚きの色が浮かんだ。


「……!」


 驚いていたのも束の間、鋭く空を裂く音がして、男は横へ飛びのく。体勢を立て直したレムがその爪で斬りかかったのだ。


「よくも思いっきり投げ飛ばしてくれたな! ぶっ殺す!」


 レムはすっかり頭に血が上っているらしく、歯ぎしりしながら叫んだ。食いしばった口から見えるのは、鋭い二本の犬歯だ。


「レム、くれぐれも殺すなよ」


 リュカは冷静に、短気な相棒をたしなめる。


 とはいえ、思った以上の強敵であることは確かだった。

 素手でリュカの左胸に手を突っ込もうとしたことから、昼間の死体もそのようにして心臓を抜き取ったのだろう。

 道具を使わず人間の体に風穴を空けられる人間など存在しない――間違いなく、この男も亜人だとリュカは思った。


 しかし、一体何の種族だろうか。

 腕力自慢は獅子や虎系の獣人の特性であり、獣人ならば体に動物的な部位があるが、この男にそれらしきものは伺えない。


 レムは口の中の血を吐き捨てた。


「ああ、殺さねえよ……手足の一本や二本は噛み千切るかもしれねえがな!」


 レムの足が地面を蹴る。


 その動きは、男の眼にも捉えられなかった。


「っ!」


 一瞬で間合いを詰めたレムは爪で男の体を斬り払う。

 反射的に男は身を引いたが、服の胸部が裂かれ鮮血が飛び出る。


 男が体勢を崩した瞬間、瞬時に背後へ回ったリュカが男の頭部へ強烈な拳を食らわせた。


 ぐらりと体が傾き、うめき声も上げず男はうつ伏せに倒れる。

 しかし意識は失っていないのか、震える手足を動かして立ち上がろうとしていた。


「リュカの一撃をまともに食らって意識があるとは驚きだけどよ」


 近付いたレムは男の腹部を蹴って仰向けに転がした。


「悪あがきは見苦しいぜ!」


 レムは男の腹部にまたがって、胸倉を掴む。そしてその頬を思い切り殴った。


「気失うんじゃねえぞ。てめえにゃ聞きてえことがあるからな!」


 頭と口から血を流している男は荒い呼吸を繰り返している。

 ふいにその唇が笑った。


「……!」


 途端、レムの背筋が凍った。

 男はゆっくりとレムの顔を見る。自分に焦点が合ったその赤い眼を見た瞬間、レムは驚愕に眼を見開いた。


「な……! 赤い眼――何で魔人がこんなところに……」

「何だと!?」


 リュカも驚いてレムの下で倒れている男の顔を見る。


「――!?」


 彼の黄金の瞳は限りない動揺に揺れていた。


「お前は……」


 震える唇で何かを言おうとしたが、レムに遮られる。


「てめえ……まさか魔人だったなんてな! なるほど、そういうことかい。殺した奴の心臓を抜いて食ったってことか!」


 レムは男の首を見た。

 先程爪が食い込んで鮮血が噴き出たはずの傷口が、跡形もなく消えている。あるのは白い肌に残った血のみだ。


「魔……人……?」

「とぼけんじゃねえよ。その再生力は紛れもなく魔人の特性だ! それに、人間を食うなんて真似をするのも魔人しかいねえ。頭の傷も治らねえうちに、さっさと寝てもらうとするぜ」


 そう言ってレムは男の首を掴んだ。


「ぐ……」

「いくら再生力があったって、こうすりゃどうしようもできねえだろ。今なら体の自由も効かねえはずだしな。ちっ、魔人だってわかってりゃ、最初から頭か心臓を狙って動けなくさせてたのにな」


 しばらく男は意識を保っていたが、やがてがくりと力を失った。

 レムは気を失った男の顔を恐ろしいものを見るような眼で見つめた。


「しかし驚いたぜ。魔人が護衛をやってるとはな。だが、魔人にしちゃあ弱かった気もするが……」


 リュカはレムの言葉を聞いてる様子もなく、何やら考え込んでいる。


「おいっ、リュカ! 聞いてんのかよ。早くこいつを連れて行って身動きとれなくしてから女の居場所を吐かせねえと――」


 その時――。足音がして、レムとリュカは弾かれたように音のした方を振り向いた。


 そこに立っているのは、一人の少女だった。


 暗闇の中でも輝く金髪を下ろし、そこには昼のような光が漂っている。

 彼女の青い瞳は恐怖と驚愕を宿してレムたちを見つめていた。


「リュカ……あの女」

「ああ。どうやら――リリエル・ロザリアに間違いなさそうだ」


 標的の写真は穴が空くほど見たので、リリエルの顔だとすぐにわかった。


 しかし、リリエルには二人の亜人は映っていない。

 眼を見開いて地面に倒れて意識を失っている男を見ている。


「悪いな、お嬢ちゃん。あんたの用心棒はこの通り、もう役に立たねえぜ」

「あ、あなたたちは……」


 震える声でリリエルは言った。


 地面に倒れている男――ルシナはそのままぴくりとも動かない。

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