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アナテマ  作者: はるた
第四章
123/124

エピローグ 遥かなる空の下

 窓から涼しい風が吹き込む。夏の終わり、そして新たな季節の到来を告げる風だ。

 レイハは本を閉じて大きく呼吸をした。この地に芽吹く命が、体の中へ入り込むような感覚を覚える。


「レイハ」


 自分を呼ぶその声に、レイハは振り向いた。

 そこには首に触れる程度に髪を切ったルシナがいる。白皙の美貌は優しい笑みを湛え、少年を見つめている。


「早いな。もう戻って来たのか」

「リリィたちはまだ外にいるよ」

「レムとリュカは、そのまま旅立つのだったな。別れは済ませて来たのか?」

「簡単にね。永遠に別れるわけじゃないし、またすぐに会うさ」


 床に座り込み、大きく背伸びをした。少し息をついて、窓の外に広がる空を眺める。


「この後のことは、決めたのか」


 アル・カミアでの一件以来、一月近くの時が過ぎていた。


 レイハの細工のお陰でリリィの失踪は騒ぎにならず、無事それまでの生活に戻ることができた。それからしばらく、レムとリュカはロザリア家に居候をしていたのだ。


 ルシナはと言うと、このレイハの家で生活をしていた。

 心と体を落ち着けて、今後のことを考えられるようになるまで――リリィの薦めだった。

 目的を持たず、ただ時を過ごすレイハとの日々。たまにリリィたちと会ったりして、今までとは比べものにならないほどの穏やかな時間だった。


「とりあえず、ここを出て――色々な場所を見て回りたいと思ってる」

「それが良いかもしれないな。リリィたちには言ってあるのか?」

「ああ」


 リリィにはロザリア公爵家令嬢としての生活がある。十七年間で形成された立場や人間関係も。

 それらを捨てずに、セルドナ人ではないルシナと生活するのは現時点では困難だった。


「リリィはわかってくれてるよ。リリィもまだ親の庇護下にある存在で学院にも行ってるし、今の俺にはセルドナでリリィを養うだけの力はない。それができるまでの数年間……リリィがもう少し大人になって、俺がセルドナで生活するのに慣れたら……今度こそ二人で暮らしたいと思ってる」

「そうか……」

「その頃には、きっと()()()も――」


 未来に想いを馳せるルシナの顔には、微笑が浮かんでいる。

 レイハも笑って頷いた。


「会いに行けるといいな」

「ああ……信じてるよ」


 窓の外の空は、どこまでも澄み渡っていた。


     * * *


 透明な水の流れに体を任せ、赤い花が流れていく。どこへ流れていくかはわからない。途中で沈んで、どこにも辿り着かないのかもしれない。それでも良かった。

 今はここにいない友人へ――ここではないどこかへいる彼へ送るものだったから。


 花を流したリリィはしばらく地面に膝を付いたまま、花の流れていく様子を見つめていた。


「さて――そろそろ行くとするかな」


 リリィのすぐ後ろにいるレムが背伸びをして言う。


「そうだな。今から出れば、昼過ぎに街へ着く」


 と、リュカも同意した。


 立ち上がったリリィは寂しげに二人の友人を見つめる。


「そっか……もうお別れなのね」

「寂しいこと言うなよ! どうせまたすぐ会えるだろ。っていうか、オレたちがリリィのとこまで行くし!」


 いつもと変わらず明るいレム。この笑顔にどれだけ助けられたことだろう。彼女たちと過ごした日々を想うと、涙が滲みそうになる。


 リュカの大きな手がリリィの頭を撫でた。


「世話になったな。……お前たちと会えて良かったと思うぞ」

「ルシナは来ねえのか? あいつも旅に出るんだろ。しばらく会えなくなるかもしれねえのに」


 リリィは苦笑した。


「寂しいんだよ」

「ったく、素直じゃねえな」


 不満気に言うレムに、リリィとリュカは顔を見合わせて笑う。


「……本当にありがとう、レム、リュカ」


 堪え切れずリリィの頬を涙が伝う。


「泣き虫だな、リリィは。二度と会えないわけじゃないんだからさ、泣くなよな」

「だって……」


 目元を拭うリリィを、レムは強く抱きしめた。


「いつか……一緒にアル・カミアに行こうぜ。あいつに会いに……さ」

「うん――絶対に、行こう」


 体を離して頷きあうと、レムは背を向けて走り出してしまう。背を向けるその瞬間、レムの眼から雫が零れたのが見えた。


「まったく、あいつは……」


 相棒の背中を見ながら、リュカは呆れたように呟く。


「リリエル。俺も待っている。きっとヴェルディカやシャナンが、もう一度会わせてくれると……信じてる」

「……あたしも……」

「ルシナをよろしく頼むぞ。――また、会おう」


 そう言って微笑みかけたリュカは相棒の後を追って行く。


 あっという間にその背中は見えなくなってしまい、静けさが取り残される。


「また――いつか……」


 リリィは微笑みを浮かべ、彼らが消えた方向をずっと見据えていた。


     * * *


「泣いているのか」


 先程からレムはずっと鼻をすすっている。


「うっさい! しょうがねえだろ、止まらないんだよ……」

「ならばリリエルの近くに落ち着くか? 王都に住めばいつでも会えるぞ」


 するとレムは背の高い相棒をじろりと睨みつけた。


「無理に決まってるだろ。亜人が王都にいるってだけで目立つのにさ。もう一ヶ月も居候させてもらったんだし……それにやっぱり、同じ所に留まるのは落ち着かねえよ」

「同感だ」


 また、リリィたちの出会う以前の生活に戻る。金になる仕事をあちこちで請け負いながら。

 懐かしくもあった。肩の荷が下りたような、そんな気持ちも確かにある。しかし……


「なあ、リュカ」


 ふとレムが声を落としてそう言った。


「何だ?」

「もう、人殺しとかさ……そういう仕事はやりたくない」


 戦闘能力が高く身元も曖昧な亜人は、闇の稼業にはうってつけだった。仕事の性質上、後腐れの無い関係を望む依頼主は進んで亜人を雇うのだ。リュカやレムも、危険は大きいが報酬も高いそういった仕事はを数多くこなしてきた。

 リリィやルシナと知り合ったきっかけも、最初はリリィを暗殺する依頼を受けてのことだった。


「それ以外に亜人がいい報酬をもらえる仕事なんて、そんなにないけどさ。でもやっぱり……人殺しで大金もらっても喜べないよ。あいつらにも、顔向けできないし……」

「……そうだな。元々俺もお前も金遣いが荒いわけではないし、今まで貯めた金もそれなりにある。報酬は少なくてもまともな仕事をするのも、いいかもしれん」

「本当に? 気遣ってないか?」

「お前相手に気を遣うわけがない」


 その言葉に単純に喜んでいいのか、レムはちょっと不満気な顔をしたが、すぐに真剣な顔に戻って正面を向いた。


「……あのさ」

「ん?」

「お、覚えてるか?」

「何をだ」

「だ、だからその……前に……あれだよ……け……」

「け?」


 心なしか顔を赤くしながらうつむくレムは、ごにょごにょと呟くだけでうまく言葉が聞き取れない。

 しかしいきなり大声でリュカの追及を遮ろうとする。


「やっぱ何でもないっ!」

「結婚のことか?」


 あっさり言ったリュカに、レムは絶句した。次いで、ますます顔が真っ赤になる。


「な……気付いてたのかよ!?」

「まあな」

「何ですぐ言わねえんだよ!」

「照れているのが面白かったから」


 からかうように笑ってリュカは言った。

 赤い顔のレムは眼を吊り上げてそっぽを向く。


「からかいやがって! もう知らねえからな!」

「覚えてるぞ。自分で言ったことを忘れるわけがない」

「……いいよ、もう何でも。何も聞かなかったことにするから」


 疲れたような顔で、レムはひらひらと手を振った。

 はっきりと想いを伝えたわけではない。恥ずかしさのあまり、レムが最も嫌う非常に中途半端でどっちつかずの状態となってしまった。

 しかし、リュカがずっと一緒にいてくれると言ったのはとても嬉しかった。結婚という提案がただの契約的なものとしてリュカが認識していたとしても。

 ずっと昔から傍にいるのが当たり前の存在。いずれは別れが来るかもしれない。そうだとしても、今は一緒に過ごすことができる。


「……それでいいや」

「何だ?」

「何でもない」


 満たされた笑顔を頭上の空へ向ける。涼やかで眩しい青だった。


「レム」


 不意にリュカが相棒の名を呼ぶ。


「ん? 何だよ」

「俺はお前の傍にいたいと思っている」

「どっ、どうしたんだよ……急に」

「結婚の話はただの口実だ。お前と一緒にいられれば、それでいい」


 そう言ったリュカは真っ赤になって固まっているレムに笑いかけると、先へ歩いて行ってしまった。


「な、なな、な……んだよ、今の」


 眼をぱちくりさせながら立ち尽くすレム。

 しばらくしてから我に返り、


「おっ、おい! 待てよリュカっ!」


 叫びながら走ってリュカの後を追いかけていった。


     * * *


「もうレムとリュカは行ったのか?」


 草の上にぼんやりと寝転がっていたリリィに、ふと影が落ちる。

 いつの間にか来ていたルシナが青空を背にしてリリィを見降ろしながら立っていた。


「うん……見送らなくて良かったの?」

「別に、どうせすぐ会うよ」

「寂しいくせに」


 からかうように言うと、リリィの横に腰を下ろしたルシナは苦笑する。


「君こそ、泣いてただろ」

「……だって、寂しいんだもの」


 わざとらしくむすっとして、リリィは体を起こす。


「ルシナも、行っちゃうんでしょ?」

「うん。君を家に送った後……すぐ」


 前から決めていたことだ。リリィも納得していた。

 それでも――心の中ではずっと一緒にいたいと願ってしまう。最初にルシナと別れた時のように。


 無言になったリリィの頭を、ルシナは優しく撫でた。


「たまに会いに行くよ」

「前みたいに女の人誑かして生活したりしたら、許さないから」

「……別にそんなつもりはなかったんだけど」


 このしなやかな手に触れられることも、淡々としながらも優しい声を聞くことも、しばらくはない。

 次に会うのはいつだろう。まだ社会で子供と呼ばれる年齢のリリィは、自由に動くことはできない。待つことしかできないのだ。


 しかし、涙は出なかった。

 寂しい。けれど悲しくはない。互いの間にあるものが揺るがぬ絆であることが、わかっていたから。


「いつに、なるかな」


 不意にリリィが言う。

 ルシナにはその言葉の意味が、わかっていた。


 アル・カミアで命を落としたセス。そしてごく小さな魂の核のみでしかなくなってしまったネオス。

 二人の記憶と魂を受け継ぐ、新たな命。()が無事に生まれることができたのか、できたとしたら現在どのような状態なのか、知る術はない。

 しかし、族長ヴェルディカと約束した。いずれ()に会いに行くと。

 レイハ、レム、リュカ――あの時共に過ごした仲間たちとも誓ったのだ。


「きっとすぐだよ」


 どこか笑ってルシナは言った。


「確証はないけど……そんな気がする」


 頭上に広がる青空を仰ぐ。眩しげに、懐かしげに……


「……そうだね」


 草の上で、リリィはルシナの手に自らのそれを重ねた。そして強く握る。


「そういえばあの時……言ったこと、覚えてる?」

「何?」

「アル・カミアで……最後に別れた時に」


 ためらいがちに言うリリィの頬はほんのり赤い。

 それを見て、ルシナは微笑んだ。


「覚えてるよ。もう一回言おうか?」

「そっ、それは遠慮しとく……あのね」

「うん」

「あの時は余裕なくて何も言えなかったけど……あたしも……同じだよ」


 笑って、リリィは言った。


「愛してる」


 柔らかく、そっと唇を重ねられる。優しくあたたかい感触だった。


 風がそよぐ。果てしなく遠い空の上へ、命の光を運んでいくために。

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