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アナテマ  作者: はるた
第四章
120/124

47 見上げた空

 リリィの体はルシナの傍らに座ったまま、彼の手を握り締めて動かない。


「もう……リリィは行ったのか?」


 恐る恐るレムが尋ねると、ヴェルディカが応じる。


「彼女の意識はここにはない。完全にルシナの意識へ沈んだ」


 眼を閉じている以外にリリィに変わった様子はない。居眠りをしているように見えるくらいだ。


「ヴェルディカ……」


 そう言ったのはシャナンだった。

 不安げに眉を寄せて、聖霊王を見つめる。


「ネオスはどうなるのでしょうか。ルシナに取り込まれて……その後は……」


 ヴェルディカは無言でおもむろに片手をルシナの胸にかざす。


「――!!」


 驚くべき光景だった。


 確かに実体を伴っているはずのヴェルディカの手が、まるで水の中へ沈むかのようにルシナの胸の中へ音もなく飲み込まれていく。

 肘の辺りまで手を沈めると、ゆっくりと引き上げる。


 その手には、小さな――今にも消え去りそうな光が握られていた。


 シャナンの表情が驚愕と絶望に強張る。その傍らで、イレイデルが紺碧の眼を細めてその光を見た。


「そ、れは――」

「我々がネオスと認識していたもの(・・)。わずかに残った彼の命の核……」


 これがあのネオスだというのか。このちっぽけな、弱々しい光が――。


「ほとんどがルシナの中へ溶け込んで、これのみでは形を成すことすらできない」

「消滅、するしか……ないというのですか」


 ふいにヴェルディカは手を口元へ持ち上げ、光を飲み込んだ。


「私の中へ、ひとまず居場所を作った。しばらくは保つが、このままではいずれ消滅する」

「……何をしても無駄なのですか」

「――あるいは……」


 誰にも聞こえないほど小さく、ヴェルディカは呟く。

 そして横たわるもう一つの体――セスを見た。


     * * *


 目覚めた時、最初に視界に入ったのはただひたすら灰色の天井だった。


「…………」


 いや、これは天井ではない。空だ。

 次第に意識がはっきりしていく。頬を撫でる風の生温かさ、視線を下ろすとそこには枯れた色の土。それにどこからか漂ってくるこの臭い――血だろうか。


「……無事に来れたのかしら」


 立ち上がると周囲の景色がより鮮明に見えてくる。

 空はどこまでも灰色の雲に覆われ、光の射し込む気配はない。遠くには地平線が見える。そこに至るまでの大地には草一本生えていない。


「どこなんだろう。ここは……」


 ルシナの心の中の風景だろうか。

 色を失った世界。ここまで荒廃した風景を、リリィは見たことがなかった。


「一体、どこまで入って来るんだ?」


 よく聞き慣れた、けれど違和感のある口調。

 先程まで周りには誰もいなかったはずなのに、振り返るとそこには佇む人影があった。


「――!!」


 ルシナだった。

 いや――リリィの知る彼とは違う。

 深紅の瞳は冷ややかな光を帯び、リリィを見つめている。その白い肌やあちこちが破れた服には、あちこちに血がこびりついていた。


「どこまでもずかずかと……お前がいなければ、とうに()は聖地をここと同じような景色に変えていたのに」

「……あなたは、ルシナなの?」

「そうだよ。正確には、ルシナが最も強く抱く記憶と自己意識が具現化した姿、かな」


 リリィは気が付いた。

 これは“魔戦士”と呼ばれ暗黒戦争を戦っていた時のルシナだ。彼をどこまでも苛み、闇の底へ引きずり込もうとする記憶の影。

 ルシナの苦しみの元凶――。


「あなたの目的は?」

「破壊だ」


 彼は即答した。

 美しい顔にはまるで不釣り合いな、おぞましい危険をはらんだ笑みを浮かべる。


()を邪魔する全てのものを壊す。全てを塵にすれば、もう()を妨げる者はいない」

「その後は……どうするの。全てを壊した後、あなたはどう生きるの」


 彼は眉をひそめた後、蔑むようにリリィを見た。


「自由を得られれば、その後はどうでもいいさ。()が求めるまま、生きるだけだ」

「……そう」


 リリィは静かに歩み寄った。


「殺す気か?」


 試すように両手を大きく広げる。


「やってみろよ。ネオスを殺そうとしたように」

「……今まであたしは、ルシナのほんの一部しか知らなかった。なのに彼の全てを知った気になって、自分の気持ちを押し付けようとしていた。だから記憶を失っていたルシナが見せなかった一面を初めて見た時、戸惑って……自分の無力を嘆くしかなかった。何が彼を苦しめていたのかもわからずに。でもようやく……辿り着けたわ」


 手を伸ばせば触れるほどの距離に立って、リリィはルシナの顔を見上げる。少女の表情は優しく微笑んでさえいる。


「ここに、いたんだね……()()()

「…………」

「ずっとあなたに会いたかった。ううん……もっと早く、会うべきだったんだわ」


 そして魔戦士の体を抱きしめた。優しくも、強く。


「帰ろう。皆が待ってる」

「……帰る場所なんてない。()の居場所はここだ」


 血生臭い胸に顔を埋めたまま、リリィは首を振った。


「大丈夫。あたしがあなたの手を引くから……迷わないように。だから、怖がらないで。一緒に帰ろう」


 リリィを温かいものが照らした。


 はっとして頭上を振り仰ぐと、灰色だった雲に小さな穴が空いている。丁度二人のいる場所に陽光が差し込んでいた。

 みるみるうちに、穴が広がり澄み渡った青が顔を覗かせる。光が照らす灰色の土が、淡い緑に染まっていく。


 何でもない青空だ。けれどリリィはこれほど美しい空を見たことがなかった。


「見て……ルシナ。綺麗だよ……」


 体を離して、ルシナの手を握る。

 ふわりと魔戦士の体を陽光が包んだ。輪郭がぼやけ、やがてその姿は――。


「ずっと、みたかった……」


 そう呟いた声は、不思議と高かった。

 手は繋いだままだったが、リリィの目線よりも低い位置に黒い頭がある。


「――!」


 横にいるルシナは、少年の姿だった。

 リリィがよく知る彼よりも、遥かに幼いその姿。髪と瞳の色は変わらないが、あどけない顔立ちや少年らしい声はリリィの全く知らないものだ。


 少年は潤む瞳でリリィを見上げる。驚く少女の、青い瞳。雲一つない晴れ渡る空の色――。


「……きれい」


 差し伸べられた少年の指先は、かすかに光を帯びている。

 それがリリィの頬に触れた瞬間――視界が温かい白に包まれた。

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