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アナテマ  作者: はるた
第一章
12/124

11 魔性



 人通りの多い道も、一歩横に逸れれば暗い路地が枝のように伸びている。

 建物と建物の間の狭い空間で、ルシナとジャンは向き合っていた。


 ジャンは銃を取り出してルシナに向ける。


「ガトーにゃ止められたがな……やっぱり俺はてめえを許せねえ。よくもジスパを殺してくれたな」


 血走った眼をぎらつかせジャンは言う。


「どのみち、依頼人がわからねえ以上もう金は関係ねえ。この恨み、晴らさせてもらうぜ」


 ルシナは鼻で笑った。


「復讐ね……この世で最も愚かな行為の一つだな」

「あまり俺を怒らせるなよ。手元が狂って狙いを外しちまいそうだからよ。いくらてめえが人間離れしてようと、この距離の弾丸はよけられねえだろうがな」

「撃つならさっさと撃ったらどうだ?」

 

 ジャンの眉がぴくぴくと動いている。


「そんなに死にたきゃあ、今すぐ殺してやる!」


 ジャンの指が引き金を引いた。ルシナ目掛け、弾丸が撃ち出される。


 ルシナは動かなかった。

 一寸の狂いもなく自分の頭を狙って向かって来る鉛玉を前にして、よけるのを諦めたのか、それとも――。 


 弾丸は命中した。


 ルシナの眉間を撃ち抜いたのだ。


 ルシナがぐらりと頭をもたげる。

 勝利を確信したジャンが銃口を下げた時――彼はある事実に気付いた。


 出血量が少ない。

 うつむいたルシナの額から、地面にぽたりと血が落ちる。が、極端にその量が少ない。鼻血の方がまだ多い。


 それに、いつまで経っても倒れないのだ。


「……!?」

「あーあ……」


 だるそうな声。それは間違いなく、ジャンがたった今銃で頭を撃ち抜いた男のものだった。


「なっ……」


 ルシナが顔を上げた。


 眉間には黒い穴が空き、そこから赤い血が流れ出して白い肌を汚している。


「服に血が付いた……」


 がくがくと震えているジャンをそっちのけで、ルシナは顔の血を拭った。額に空いた弾痕も手で拭う。


 ジャンは完全に腰を抜かした。


 弾丸が貫通したはずのそこには、何もなかった。綺麗な白い肌が変わらずある。


「ば、ば、化け物……!」

「らしいな」


 すると突然、ルシナは服を脱ぎ始めた。ジャンがあっけにとられている間に、白い上半身が露わになる。


「な、何を……」

「変な想像するなよ。汚れが付くとまずいからさ」


 脱いだ服を地面に置いて、ルシナはへたり込んでいるジャンに近づいた。


「く、来るなあっ!」


 四つん這いになって逃げようとするジャンの髪を後ろからがっしりと掴む。


「うわああっ!」

「静かにしろよ。ただでさえさっきの銃声で人が集まってそうなんだし」


 ルシナはジャンを無理矢理振り向かせ、もう片方の手を彼の喉に突っ込んだ。

 あまりに速やかな『作業』だった。


「か……はっ」


 ルシナの指は喉に深々と突き刺さり、鮮血が迸る。


「これでもう声は出せないな」


 ルシナの赤く染まった左手の爪は、有り得ないほど鋭く伸びていた。


 ジャンが声にならない叫びを上げるたび赤い血が噴き出る。

 それを見たルシナは、ガトーを震え上がらせたあの悪魔の笑みを浮かべた。


「もう関わらなければ良かったのに……お前が悪いんだよ」


 ジャンはぱくぱくと魚のように口を動かしながら助けを乞うている。

 しかし、それは獲物の首に牙をかけた猛獣に情けを求める行為に等しかった。


 ルシナは左手を引き、勢いを付けて突き刺した――ジャンの左胸に――。

 そしてまだ鼓動を続ける心臓を優しく握り、引き抜く。


 力を失って倒れるジャンには目もくれず、ルシナは左手に握ったものを見つめた。


 赤黒いそれを両手で大切そうに持ち、ゆっくりと口に運ぶ。


 リリィと共にいる時の青年ではない、美しくも不気味な魔物が、その醜悪な性を露わにしていた。


 夢中でかぶりつく彼の口からは、赤い血に濡れた確実に人間のものではない牙が生えている。


 好きなだけそれを頬張った後、彼の手の中には何も残されていなかった。ただあまりにも濃厚な赤がその掌を蹂躙しているのみだった。


「――!?」


 血に染まった掌を見た時、ぐらりと視界が傾いた。頭の中に閃光が迸ったような感覚に襲われ、目の前が真っ白になる。


   * * *


 白い世界が再び形を取り戻した時、そこは今までいたはずの街の路地ではなかった。


 建物も何も無い。ただひたすら広がっている厚い雲に覆われた灰色の空。

 視線を下げる。


 大地を埋め尽くす、数えきれないほどの屍。茶色の土は、彼らの血で赤く染まっている。


「…………」


 青の見えない昏い空。血で赤く濡れた大地。

 音も何も聞こえない、死が立ち込める静寂の世界に、たった一つの命あるものとしてその場に立ち尽くしている。


 右腕がゆっくりと動く。動かそうと思ったわけではない。何か別のものが体を支配しているような感覚に襲われる。


 何かを求めるかのように、右腕は空へ向かって伸びていく。

 その手は、肌の色をしていなかった。赤――眼に突き刺さるような鮮血の色だ。足元に転がっている屍の血で染められたのだろう。


 空を見上げた顔の上に、右手の指の間からぽたりと血が零れ落ちた。


「ディラス……この血をあなたに捧げます」


 一人で口が動いて言葉を紡ぐ。その声は紛れもなく自分のものだった。


「どれだけ血を貪れば気が済む? あなたも……俺たちも」


 空が白く染まった。


   * * *


 薄暗い路地。目の前には、仰向けに転がった死体。


「……今のは……」


 ルシナは放心したようにしばらく虚空を眺めた後、地面に倒れている心臓の無い死体に眼をやった。


 死体の衣服の端を掴み、手を拭き、顔に付いた血も拭う。


 辺りに漂っている濃密な血の匂い。それを味わうかのように、ルシナは大きく息を吸った。

 それからゆっくり息を吐いて呟いた。


「手を洗わなくちゃな……」


 死体に背を向け、地面に落ちた服を拾って路地を後にした。

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