43 誓いと決意
「どきたまえ、イレイデル。侵入者を排除するのが我々の使命だ」
悠然と笑みを浮かべるシーヴィスは、曲者たちを守るかのように立ちふさがる黒狼を見下ろす。
しかしイレイデルが鋭い獣の眼をシーヴィスから外すことはない。
「断る」
「ならば兄も裏切者として排除させてもらおう。――こやつ等を玉座の間へ転送させたのは、兄か?」
「私ではない。だが私と同じく、背信者を快く思わないのが長老の中にもいるということだ」
「背信者?」
嘲るように、シーヴィスは唇の端を吊り上げる。
「まさかその背信者とは、私のことではあるまいな」
「白々しい台詞を。貴様は背信者の筆頭だ。エーゼの掟を堂々と破るような者が同族だとは、嘆かわしい」
「私は我が聖地と一族を守ろうとしているだけだ」
「ネオスという破壊の化身を使って、か」
「破壊の化身? ネオスは我らの救世主だ。彼の力は凄まじい。あるいはヴェルディカさえ凌駕するやもしれぬ。いずれは聖地の守護さえ司るだろう」
陶然とした響きさえ感じさせる、シーヴィスの声。
耐え切れず、シャナンはイレイデルの前に出ていた。
「もう――お止め下さい!」
悲痛な叫びだった。
「確かにネオスは……エーゼに最も愛されたと言っても良い力を持った聖霊です。でも、それは彼自身が望んだことではありません。彼はまだ我らからすれば遥かに幼い――生まれたばかりの幼子です。なのに誰も、彼自身を認めようとはしなかった。力ばかりを重視して、私でさえ彼と真正面から向き合うことはしなかった。強大な力を持ったが故に、ただそれだけで……」
しかしシーヴィスは冷淡に遮る。
「そなたもレイハに毒されたようだな、シャナン。聖霊に人間と同じような感情はいらぬ。エーゼから賜ったこの力こそ、我らが下界の管理者たる証――存在を証明する全てだ」
管理――。
確かに聖霊は、ヒトとはいえないかもしれない。神の選民と呼ばれるのに、相応しい存在なのかもしれない。
「ふざけんな……」
低く唸るようにそう言ったレムの拳は、震えていた。
「何が……管理だ。オレたちは管理なんかされる存在じゃない!」
シーヴィスがそれまで一瞥もしなかった獣人の少女に、初めて視線を向けた。
「レム――」
レムをいさめようとしたリュカだったが、それ以上続けることはできなかった。いや、続けなかったのだ。
状況を更に悪化させるとわかってはいても、リュカもレムと同じことを思っていたからだ。
強い意志の宿るレムの瞳は、何かを言いかけたような相棒の顔をじっと見た。
言葉はない。けれど、言おうとしたことはわかる。
リュカは頷いた。
「戯言を、不遜な侵入者どもが――」
ざわり、と体中を怖気だたせるような風が走る。
イレイデルは身構えたが――。
「!?」
目の前に閃いた光に、思わず眼を閉じた。
* * *
「――っ、こ、れは……」
悠然と佇んでいたシーヴィス。
その体を――背後から、光の筋が真っ直ぐに彼の腹部を貫いていた。
その場にいた誰もが――イレイデルさえ――すぐに状況を理解することはできなかった。
シーヴィスの輪郭がぼやける。それがぐらりと崩れたかと思うと、彼の背後に立っていた者の姿があらわになった。
「リリィ!!」
レムの表情が歓喜に震える。
突如として姿を現したリリィの両手には、剣が握られている。光を帯びた刀身がシーヴィスの体を貫いたのだった。
リリィは緊張した顔付きのまま大きく息を吐き、剣を鞘に収めた。
レイハはわずかな違和感を覚えた。リリィの剣、レイハがリリィに与えたもの――しかし何かが違う。
白銀の美しい刃は更なる光を帯び、より一層輝いている。それだけでない――リリィの体を包んでいるように感じられる、何かの気配。それは剣から発せられているようだった。
「間に合った、みたいね」
「リリィ、無事だったのか! 良かった……!」
レムは駆け寄ってリリィを抱きしめる。
リリィも笑って親友の背に手を回した。
「心配させてごめんね、レム」
リュカも安堵したが、驚きも隠せなかった。
「殺した――のか?」
リリィは首を振る。
「ううん。ちょっと驚かせただけ。回復される前に――」
「リリィ、ルシナは? セスも……どこに、いるんだ」
震える声で、レイハは尋ねた。
リリィはすぐには答えない。
「ルシナは……ここには、いない。私を逃がして、残ったわ」
「……!!」
「セスは……」
長い沈黙が続いた。
誰もがその言葉の続きを待ち――そして、悟った。
「まさか……」
レムの眼が揺れる。
「言ってくれよ……リリィ。セスは、どうなったんだ!?」
「……セスは……」
リリィはそれ以上、語らなかった。震える唇を噛みしめてうつむく。
その沈黙がレム、リュカ、レイハ――彼らの背後で見守る二人の聖霊にも、事実を悟らせた。
「……そんな、嘘だろ……?」
最悪の結末を脳裏に描いたレムの声は、ひどく震えている。
リュカとレイハは、何も言葉を発することができなかった。
「助けられなかった……」
リリィの眼から涙が溢れる。しかし、少女はすぐにそれを拭った。
「あたしはルシナに頼まれたの。あなたたちを助けるように。ネオスと二人で、決着を付けるために……」
ぎゅっと剣の柄を握り締める。
そしてイレイデルとシャナン、二人の聖霊の方を見た。
「来て、頂けますか。あなたたちも」
シャナンはすぐに頷いた。
「私の力では、もう“扉”を開くことはできませんが」
「この剣があれば、繋げることができるわ」
イレイデルはリリィの腰にある剣を見て、眼を細めた。
「その剣……宿っているのはレイハの力だけではないな」
「はい。ある人が……助けてくれたんです」
イレイデルはそれ以上追及しなかった。
レイハが尋ねる。
「……イレイデル、どうして来てくれたんだ。玉座の間にいたのでは……」
「シーヴィスが動く気配がしたのでな。ヴェルディカが現れぬ今……私にできることはシーヴィスや奴の配下にいる聖霊を妨害することくらいだが……お前たちに死なれては困るのだ。聖地を血で濡らすことは私とて本意ではない。それに、同族に掟破りをさせるわけにもいかぬ」
「――ありがとう」
そう言って頭を下げるかつての同胞を、黒狼は紺碧の瞳でじっと見ていた。
「行こう――」
覚悟を決めたリリィの眼。焦りと恐怖から、震えそうになる決意を気力だけで支えながら、壁に剣を突き立てる。
音もなく剣は吸い込まれ、“扉”が開かれた。