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アナテマ  作者: はるた
第四章
114/124

41 願い

 血の赤。死の匂いをまき散らす、忌まわしくも美しい色――。


 何度見たことだろう。何度その匂いと、眼に痛いほどの鮮やかな色に触れたことだろう。


「……セ、ス」


 かすれた声が、リリィの喉から絞り出される。

 眼を見開いた少女の頬には赤い雫が飛び散っていた。そのまま凍りついたように動かない。


「――……っ」


 黒刃は、セスの胸を貫いていた。セス自身の手に握られて。


「セス!!」


 凍てついた時を動かしたのは、ルシナの絶叫。

 苦痛に呻きを漏らしながら、セスは一気に短剣を引き抜いた。

 自らも胸に傷を負っていることを忘れたかのように、崩れ落ちたセスの体を反射的に抱き留める。


「……はっ、痛いや……」


 とめどなく血が溢れる唇を笑みの形に歪めて、セスは呟いた。

 力を失った少年の体を支えるルシナの腕は震えている。血色の瞳も、虚ろな表情をしたセスを映しながら震えていた。


「……自分のせいだなんて、思うなよ、ルシナ……」


 途切れ途切れに、セスは言葉を吐き出す。


「この結末はあんたのせいでも、運命とやらのせいでもない……僕が選んだことだ。僕自身の手で、決めたことなんだ……仮にネオスと会わなかったとしても……僕は同じ選択をしただろう」


 ゆっくりと瞬きをするセスの頬に、透明な雫が落ちた。

 その温かさを感じながら、セスは続ける。


「こうしなきゃ、僕は永遠に解放されなかった。あんたと、リーシャの影から。……これで、いい。これでやっと、自由になれる……」


 息を吐いて、セスは笑った。


「でも、あんたがまだ生きてる、ってことは……僕の“想い”は不十分だったってこと、かな。あんたを、殺すには……」


 大きく息をついて、セスは首を傾ける。

 儚くも優しい視線の先にはリリィがいた。


「……リリィ。僕が憎い?」


 リリィの瞳からはただ涙が流れている。何も、考えることなどできない。

 体も心も置き去りにされて、血の匂いに満ちる空間を漂うような感覚。その中で、リリィは首を横に振っていた。考えた結果ではない。問いに対して、体が動いたのだ。


「憎いなんて、思ってない……」


 そう言った瞬間、あらゆる感情が流れ出す。枯れることを知らない涙が、頬にいくつもの筋を作って流れ落ちていく。


「ただ……ただ悲しい。どうして、なの……こんな、こんなこと……」


 震える手が彷徨う。やがて少女の華奢な手は、血にまみれた少年の手を握った。


「……そう」

「いやだ、セス……!」


 リリィの手を握り返す、確かな体温。失われつつあるほのかな命を燃やしていた。


「泣き虫だな、君は本当に……君に、会えて良かった……」


 セスの声も震えていた。


「それと……さっきの質問の……答え」


 もう一度、呼吸をする。


「嘘じゃ……ないよ」


 そう言って、セスは笑う。

 そして再びルシナを見つめた。 


「ルシナ……頼みがあるんだ……最後に、聞いてくれる?」

「違う……最後なんて言うな。こんなの、最後じゃない……!」

「ネオスを、助けてくれ」


 弱々しくも、はっきりとセスは言った。


「変な……感じだよ、僕があいつを気にかけているなんて……でも、最後の時間、あいつの傍にいてわかった……僕とネオスは似てる。居場所を失くした、哀れな迷子さ……だからあいつの気持ちはわかるんだ。出会い方が違えば、もっと理解できてたかもしれないな……」

「わかった――お前の望みは、必ず叶える。だから――」

「……ありがとう……」

「セス!!」

「不思議な気持ちだ……なんだか、すごく気分がいいんだ。最期にいてくれたのが、あんたとリリィで……良かった」


 瞬いた瞳から涙が流れ落ち、そして瞼が閉じるまでの時間――それは永遠よりも長く、一瞬よりも短かった。

 口元に微かなる笑みをたたえたまま、セスは永久に眼を閉じた。


「何で……何で、そんなことを言うんだよ……」


 ルシナは血の混じる声を喉の奥から絞り出す。

 たった今、自分の腕の中で命の光を失った少年。彼の力のない体を、すがりつくように抱きしめた。


「どうして! 俺はお前からそんな言葉を受け取る資格はないのに――もっと責めて、憎いと……そう言ってくれよ……」


 胸が痛い。

 傷の痛みはもはや感じない。けれど、もっと深い所が抉られて穴が空いている。


「起きろ……起きてくれ、セス」


 閉じられた瞼は、もう開くことはない。失われつつある温もりが戻ることもない。


 声にならないルシナの叫びが、偽りの星空に反響した。


     * * *


「思った以上の出来だ――素晴らしい」


 乾いた拍手の音と共に、歌うような声が響く。


 いつの間にか姿を現していたネオスだった。

 いつものごとく不敵な笑みを浮かべているが、星明りに照らされた麗貌は妖しく神秘的な薫りを漂わせていた。


 顔を上げたルシナは、幾度となく相対した聖霊を見つめる。

 涙と血に濡れた顔。さも満足気に、ネオスは微笑む。


「お前のその顔が見たかったぞ、ルシナ」


 視線を落とし、ルシナの腕に抱きかかえられているセスを見た。

 落ちている短剣を拾い上げ、紫の眼を細める。


「まさか自らも死を選ぶとは思わなかったがな」


 リリィは立ち上がった。

 唇を噛んで、腰の剣を引き抜く。


「――ほう?」


 ネオスは楽しげに片眉を引き上げた。


「勇ましいことだな。その剣で私を葬るつもりか」

「……許さない……」


 真っ直ぐにネオスへと切っ先を向ける――剣を握る手は、震えていた。


「お前さえ……お前さえいなければ! こんなことにはならなかった!! 他人を弄んで……心の傷までも利用して!! 掟が何だっていうの……誰も裁けないのなら、あたしが殺してやる!!」


 ネオスは超然と佇んだまま、顎に指を当てる。


「確かにその剣は、私がセスに与えた剣と同質のものだ……想いの強さが力になる。その刃でまともに貫かれれば、私も無事ではいられまい。だが――お前にできるのか? いくら私を憎んだところで、偽りといえどヒトと同じかたちをしたこの体に、刃を突き立てることが? できるものなら、やってみるが良い」


 ネオスに向けた剣に、リリィの手から震えが伝わっている。

 美しい悪魔は凄艶に笑った。


「お前にはできないだろう。その身と仲間が命の危機にさらされた時さえ、まともに剣を振ることはできなかったのだから。他者の犠牲によってしか、自らを守ることはできない――」


 剣を握り締めた少女は、走り出した。悪魔の声を遮るように叫びを上げながら。


 ネオスは自らを殺そうとしている少女を冷然に見据えた、動かない。


 白銀の刃が肉薄する。

 見開かれた青い眼は、ただ一つの目的だけを宿していた。


 ただ超然と嗤う――このエーゼの現身を殺す。ただそれだけを。

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