40 予兆
「!!」
レイハははっと顔を上げた。
「どうした、レイハ?」
「いや……」
先程からルシナたちの気配が感じられない。予想はしていたが、ネオスあるいは他の聖霊の妨害だろう。
嫌な予感がする。言葉では説明できない何かを、心が感じ取っている。
(ルシナ、リリィ……無事でいてくれ……)
願いながら二人が消えた“扉”を見つめる。
しかし突然――壁に開かれていた“扉”が、一際強い光を放ったかと思うと、次の瞬間には跡形もなく消え去っていた。
「なっ――」
食いつくように壁に手をついたのは、“扉”を開いた張本人であるシャナンだ。
「どういうことだ――!? なぜ急に……」
狼狽するシャナンを見て、レムが血相を変える。
「おいっ、二人は大丈夫なのかよ!? もしかして戻って来られないんじゃ……」
「……開かない。なぜ術者である私の意に関係なく閉じた……!?」
リュカとレイハは顔を見合わせた。
「何が起こったのだ」
「恐らく……妨害だろう。ネオスか、あるいは……」
その時だった。
「内通者はそなただったか、シャナン」
低い声と同時に新たな来訪者が現れる。
声の主は、浅黒い肌に真っ白な髪を持つ若い男だった。切れ長の瞳は刃物のごとく鋭い光を放ち、三人の侵入者と一人の同胞を見つめる。
「シーヴィス――!」
「心の底から残念だ、シャナン。協調性があり掟に従順な、まさに一族の模範であるそなたがディラスの化身に関与していたとは」
決して大きくはないのに、聞く者を威圧し退けるような声。
シャナンは一瞬ひるんだようだったが、すぐにシーヴィスと呼ばれた男を見つめ返す。
「一族を裏切ったわけではありません。私は私の意志に従ったまで」
「それを裏切りというのだ。宮殿の最深部にまで侵入を許すとは、いかなる罰も受ける覚悟であろうな」
「最深部……?」
尋ね返したシャナンに、シーヴィスはほんの少しだけ片眉を上げた。
それを見たレイハがすかさず前に出る。
「我々を玉座の間へ導いたのはシャナンではない」
その存在にたった今気付いたかのように、シーヴィスはわざとらしく眼を見開いてみせた。
「おや――レイハではないか。愛情とやらのために全てを捨てた、崇高なる同輩よ」
「……あなたならわかるはず。シャナンは玉座の間に出入りを許された聖霊ではない。まして他者を転送することなど不可能だ」
「庇っているつもりか。どちらにせよ、シャナンはそなたらに協力した。これを裏切りと呼ばぬというのか」
「シャナンは己の意に従い、正しい道を見付け出した。……聖地を破壊するディラスの化身は、あなたではないのか」
ゆらり、とシーヴィスの長い純白の髪が揺れる。精悍な顔に浮かべる微笑は、凄絶な迫力をもたらした。
生身に聖霊の殺気を浴びせられ、レムとリュカは知らず知らずのうちに後退するが、レイハは真っ直ぐにシーヴィスを見た。
「なぜそこまでルシナを恐れる? あの子は生きたいだけだ。誰にもそれを害する権利などない。それだけではない、ネオスのことも……なぜ利用することしか考えられない? 純粋に愛することはできないのか」
「黙れ、痴れ者が。聖霊はくだらぬ感情に振り回される存在ではない」
「くだらない? どうして言い切ることができるのだ。いたずらに長い時を生き、その感情を知ろうともしなかったあなたが――」
張り詰めた空気が一気に弾けた。
シーヴィスの双眸が強い光を帯びたかと思うと、眼に見えぬ空気の刃がレイハ目掛けて襲い掛かったのだ。
その刃は正確にレイハを狙い――。
「――!!」
「……どこまで堕ちた、シーヴィス」
低い声は、シーヴィスのものではない。
レイハにシーヴィスの力が振り下ろされるその瞬間、それは一瞬で張られた結界に当たり霧散したのだ。
シーヴィスとレイハの間に現れた、黒い狼。彼がレイハを守ったのだった。
「怒りに任せかつての同胞さえ消し去ろうとするとは」
「イレイデル……兄まで裏切るとでもいうのか」
「裏切り? 貴様が言えたことか。エーゼの聖典に背いた貴様が……」
シーヴィスは悠然と腕を組む。
「なぜ侵入者を守る? まさかそれがヴェルディカの意志だとでも?」
「わからぬ。だが、これだけは確信を持つことができた――貴様は間違っている」
「やれやれ……なぜこうも私が悪者扱いされねばならぬのか、甚だ遺憾だが――」
ふとシーヴィスは眼を閉じ、そしてかすかに笑った。
「――どうやら、私が介入するまでもないようだ」
「何だと――?」
「エーゼとディラスの戦いに、部外者がしゃしゃり出るのは無粋というものだ。ここで待とうではないか、決着を」
自身に満ち溢れるシーヴィスの言葉に不吉なものを感じ、レイハは思わず問い返した。
「決着……だと?」
「どう足掻いても、そなたらはその場に向かうことはできぬ。私が先程全ての扉を閉じた」
どこか陶然と、シーヴィスは黄金の天井を仰ぐ。
「ついに来る――我らのエーゼの継承者が、忌まわしきディラスの申し子を滅ぼす時が」