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アナテマ  作者: はるた
第四章
110/124

37 愛の肖像

 好きだった。憧れていた。幸せになって欲しかった。

 なのにどうして、こんなに許せないのだろう。

 姉を殺されたから? 彼は自分を壊してしまうほど、罪を感じたのに。

 恋した人の心は彼のものだから? 最初からわかっていたはずなのに。


「リーシャ……あんたは、幸せだったよね」


 セスは夜空の天井を見上げながら、ぼそりと呟いた。


「彼を愛して、愛されていたんだから。死の間際まで彼のことだけを気にかけて……彼になら殺されてもいいと思えるほど、好きだったんだろ?」


 右手に握っているのは黒い刃。ネオスの力が込められた、闇の短剣。


「僕も今なら、あんたの気持ちが何となくわかるような気がするよ。彼の気持ちも……」


 ゆっくりと瞬きをする。


「リーシャ、僕は、僕自身に従うよ。……僕を、証明するために」


   * * *


 玉座の間から外に出ると、通路が真っ直ぐに続いていた。壁も天井も、床も全て黄金色に輝いている。


「すごい……」


 リリィは思わず呟いていた。

 神々しくも艶やかな廊下はどこまでも一直線に続いたままで、終わりが見えない。


「これ、一体どこまで続いてるんだよ?」


 足早に歩きながらレムが尋ねる。

 床を踏むたびに鐘が遠くで反響するような足音が鳴り、踏んだ後の床には静かな光が残っていく。


「終わりはない。これは空間と空間を繋ぐ、無限の回廊」


 レイハが短く答えた。


「そういえば、俺も見たことはなかったな」


 ルシナは金色の天井や壁を見渡している。

 幼少期、ルシナはこの宮殿に暮らしていた。しかし決められた部屋から出ることはほとんど許されず、故に宮殿の内部を見て回ったこともないのだ。


 宮殿を出たのはどれほどの昔だったか――しかし、幼い頃の記憶は鮮やかに残っている。

 何も知らずにレイハと過ごしていた時間。もう二度とは戻らない時を、ふと懐かしく思った。


 だが、感傷に浸る暇は与えられなかった。


 ルシナが気配を察知したのとほぼ同時、足元の床がぐにゃりと歪んだのだ。


「!」


 そして驚くべきことに――その歪んだ床が盛り上がったかと思うと、淡い人型の光が出現していた。


 人型の光は、妙齢の女性の姿になっていた。ルシナとレイハを交互に眺める。


「シャナン……」


 レイハが呟くと、シャナンは律儀に礼を返した。


「お久しぶりです、レイハ。できれば、こんな形で再会したくはなかった」

「私もだよ」

「ここを去ってください。あなたたちは聖地の平穏を乱す存在だ。もうこれ以上、関わらないで欲しいのです」


 リリィにとって、ルシナの姿をした聖霊とレイハを除けば、ネオス以外の聖霊を見たのは初めてだった。

 シャナンと言うこの聖霊は、ネオスやリリィが聖霊に抱いていた印象とは随分違うようだった。

 高圧的に力で排除しようとする――少なくともネオスはそうだったが、シャナンからは懇願のような感情が見受けられる。


「俺は聖霊を滅ぼすために来たんじゃない。仲間を助け、ヴェルディカに会うために来た」


 ルシナが言うと、シャナンは首を振った。


「仲間というのは、ネオスが連れて来た魔人の少年のことですか」

「知ってるのか?」

「では、彼を連れて早く去ってください。ネオスの部屋にいます」

「……ネオスは?」


 シャナンの瞳が細められる。


「わかりません。あなた方が聖地へ立ち入ったのとほぼ同時に、どこかへ消えてしまった。呼び掛けにも応じません」

「思い当たる場所はないのか、シャナン。君はネオスの目付け役だろう」


 レイハの言葉に、シャナンは自嘲気味に笑った。


「名ばかりの監視役です。私はネオスのことを何も知りはしない。何を考え、何を求めているのかさえ」


 諦めたような口調。リリィの胸はなぜか痛んだ。

 思い出したからだ。竜人のふりをしてリリィたち一行と行動を共にしていたネオス。正体を現す直前に彼が言った言葉を。


 ――私にはわからないよ。誰かを愛せる気持ちも、愛される気持ちも。私が持っているものは、私しかいない。この魂と、存在意義しか。


 あの言葉がネオスの心だったかはわからない。キナという偽りの人格が作り出した台詞に過ぎなかったのかもしれない。

 だが彼が自分の想いを口にしたのは、あれだけだった。


 エーゼの申し子として大切にされてきたネオス。

 畏怖の対象にはなっても、利害を抜きにして彼を必要とした者はいたのだろうか。


「あなた方が思っている以上に聖地は混乱しています。先程命令がありました。侵入者を何としてでも排除せよ、と。――たとえ命を奪っても」

「何だと!? 誰がそんな許可を出した。まさか、ヴェルディカか!?」


 シャナンは首を振る。


「長老会が決定しました。強硬派――特にシーヴィスが筆頭になって掟の限定解除を言い渡したそうです」

「シーヴィスか……ネオスの後見だな」

「聖地を下界の血で汚したくはありません。セスとかいう魔人を連れたら、どうか早々に立ち去って下さい」

「……わかった」


 そう言ったのはルシナだ。


「俺もさっさとこんな場所からは出たいんだ。用を済ませたら帰らせてもらうよ」

「あなたの目的とは、ネオスを屠ることですか。それともヴェルディカへの接触?」

「後者だが、ネオスが向かってくるなら戦う」


 揺るぎないルシナの瞳を見て、シャナンはため息をつく。


「どうあっても、戦いは避けられないのでしょうね。せめて、ヴェルディカがいてくれたら……」


 シャナンはおもむろに横の壁と向かい合う。ほっそりした手を当てると、黄金の壁が内側から光を放ちながら歪んだ。


「ネオスの部屋へ繋げました。罠があるかもしれませんが、あなたが望むのなら向かいなさい」

「……良いのか? 俺に協力したことがばれたらまずいんじゃないのか」

「ネオスの暴走には私にも責任がある。止めようとしたが、叶わなかった。ならばせめて、あなたに望みを託します」


 そう言ってシャナンはルシナの方へ向き直り、胸に手を当ててゆっくりと跪いた。


「――現世のディラス。どうか我が一族の傲慢と混沌をおおさめください」

「俺はディラスじゃない。ただの下界人だよ。俺は俺の願いを叶えるために、ここへ来ただけだ」


 跪いたままのシャナンに、リリィが歩み寄った。しゃがみこみ、彼女の肩に触れる。


「シャナン……さん。私、できる限りのことをします。ネオスのことも……」


 シャナンはうつむいたまま何も言わなかった。


「――俺はセスの所へ行く。君たちはここにいてくれ」

「待って、あたしも行くわ」


 しばらくルシナはリリィを見ていたが、頷いた。


「――わかった。レムとリュカ、レイハはここにいて入口を見張っていてくれるか。レイハ、何かあったら俺に伝えてくれ」

「ああ。気を付けろ」

「任せとけよ!」

「ルシナ、リリエル。くれぐれも油断するな」


 強く頷き合い、まず初めにルシナがシャナンの作った“扉”に手を沈める。リリィと手を握り合い、やがて二人はその奥へ消えて行った。


     * * *


「行かせて良かったのかな。心配になってきた」


 と、レムは二人の消えた場所を見て言う。


「大丈夫だ。未知の場所に大勢で行くのは危険が多い。ルシナならリリエルを守り抜けるだろう。それにリリエルも荷物にはならないはずだ。今までどんな危険もくぐり抜けて来たからな」


 頼もしい幼馴染の言葉に、心なしか安堵した様子でレムは頷いた。


 床に膝をついたまま動かないシャナンを、レイハは複雑な表情で見下ろす。


「君がルシナにあんなことを言うとはな。掟に忠実で聖霊の鑑だった君が」


 しばらくして、シャナンはぼそりと呟いた。


「……自分でもわかりません。先程ネオスのことをわからないと言いましたが、私は自分自身のこともよくわからないのです。特にネオスが絡むと、自分が何をしたいのかまるで見えなくなる」

「君は他のどの聖霊よりも、ネオスと共に時間を過ごしてきた。ネオスに特別な想いを抱くのは当然だ」

「私はどうしたいのでしょう。ネオスを排斥したいのか、守りたいのか……ネオスには強力な存在感で聖霊たちを統率し得る力がある。けれど同時に、秩序を乱す存在でもあります。必要でもあり、異端でもある。今までネオスに掟を守らせることばかり考えて来ましたが――私はどうするべきだったのか。もし私が正解を選んでいたのなら、こんなことにはならなかったかもしれない……」

「正解などないよ」


 シャナンの正面に同じく跪き、レイハはきっぱりと言った。


「私もずっとそうして後悔をした。私が自らの過ちに気付く頃には、全てが手遅れだった。けれどまだ間に合う。ネオスまだここにいるんだ。君の手の届く所に」

「ネオスは……自らが死ぬか、ルシナが死ぬまで戦いをやめないでしょう。もう手遅れです」

「あの子は、ネオスを殺しはしないよ」


 そう言ったレイハに、レムとリュカも思わず視線を向けた。


「命を奪う苦しさも痛みも、思い知ったはずだから。何か別の方法を探している。互いができるだけ傷付かずに全てを終わらせる方法を」

「……根拠はありません。それにそんな方法は存在しない。あったとしたら、とうにこの一件は決着がついている」

「根拠はない。だが、私は信じている」

「甘いですね。あなたは昔から」


 シャナンの肩に、少年の小さな手が置かれる。


「私は一度、諦めた。でも今、せめてできる限りのことをするべく足掻いている。だから君も、足掻けばいい」

「…………」

「自分ではない誰かのために」


 おもむろにシャナンは片手を上げ、肩に置かれたレイハの手に触れた。

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