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アナテマ  作者: はるた
第四章
109/124

36 白の玉座

 眼を開いた時視界に入ったのは、真っ白な天井だった。


「……リリィ! 大丈夫か」


 まだ霞がかったような頭を横に向けると、心配そうなルシナの顔がある。


「良かった、気が付いて。体は何ともないか?」

「……ルシナ……あたしたち……」

「どうやら、目的地に来れたようだ」


 と、リュカの声。

 リリィが起き上がると、既にそこにはリリィ以外の三人が立ち上がってその場にいる。


 リリィたちがいる場所は、とてつもなく巨大な空間だった。

 天井は白亜の装飾に彩られ、同色の太い柱が遥か高くにあるそれを支えている。柱たちが二つの列に並んでいるこの空間は、かつて学校の資料で見たラグディール城の玉座の間のようだ。


「ここは……」

「アル・カミアの大宮殿。聖霊たちの拠り所……」


 レイハの声が、静かな空間に反響していく。

 琥珀色の瞳が見つめる先には――。


「……ここは宮殿の最深部。“玉座の間”だ」

「玉座の間……?」

「いきなり最後の目的地に来れたようだ。まさか、ここへの転送が可能だとは――」


 レイハの口調には動揺の色がある。


「本来の転送先はここではないのか?」


 リュカの問いに、ルシナが頷いた。


「宝玉を使って扉を開いた場合は、まず宮殿の外で監査役に調べられるはずだ。宮殿には容易には入れない、ましてこんな最深部まで……」

「ここには何重もの結界が張られている。入れるのは古参の長老くらいだ。なのに、一体なぜ……」


 ルシナとレイハの言葉に、リリィははっとした。


(まさか……さっきの聖霊がここへ……?)


 だとしたら彼は力ある長老なのだろうか。だがそんなことをしたら、知られた場合の罪はどれほどになるのだろう。


「ん? 待てよ。玉座ってことはまさかここは……」

「ヴェルディカがいる場所だよ。本来はね。――私も足を踏み入れたのは初めてだ」

「ヴェルディカ――!!」


 レイハの視線の先にあるのは、大きくはあるが装飾がほとんどなく豪奢とは言い難い、純白の椅子だった。

 それ自体が月光でできているかのように淡く輝き、静かに、しかし強烈な存在感を放ちながらそこにある。


 しかし、“玉座”には誰の姿もない。

 この空間にもリリィたち以外の気配はなかった。


 レムが部屋中に響き渡る声で叫ぶ。


「何だよ、いねーじゃん! どういうことだ!?」

「確かに玉座の間は本来ヴェルディカがいるべき場だが、ヴェルディカは滅多にその存在をかたち(・・・)にはしない。この部屋は聖霊王の存在を示す、権威の象徴のような場所なのだ。」

「かたちにしない? どういうことだよ?」

「人間にはわかりにくいかもしれないが……私たちのこの肉体は、生まれ持ったものとは違う。我々の存在の核と言うべき部分は、魂そのもの。五感で存在を認識できるように、受肉しているに過ぎない。故に、聖地ならば肉体という服を脱いで漂うこともできるのだ」

「なんかよくわかんないけど……ヴェルディカは今は素っ裸っだから見えないってことか?」

「……ま、そういうことでいい」

「じゃあどこに行けば会えるんだ?」

「具体的にどこに行けば会えるという、わけではない。もしかしたら騒動を察知してこの場で待っているかもしれぬと希望を抱いていたが……」

「何だよそれ!」


 非難の声を上げるレムを、リュカがたしなめる。


「レイハを問い詰めても仕方がない。レム、ここはヒトが足を踏み入れてはならぬ異界だ。そもそも我々の常識で推し量れるものではない」

「でも、ヴェルディカに会えなきゃ……」


 リリィは一人で考えていた。


 全てが終わった後、願う――。


 あの聖霊が残した言葉。

 『()の場所』がここだとするのなら、目的であるヴェルディカがいるはずだ。なのにいない。


(まだその時じゃない――?)


 全てが終わった後。一体何が終わった後なのだろう。

 ネオスと戦った後? それとも――。


「リリィ、大丈夫か?」


 心配そうにルシナがリリィの顔を覗き込む。


「気が付くのが一番遅かったから」

「ううん、大丈夫」


 笑って答える。

 彼の姿をした聖霊の、予言めいた言葉を教えるべきだろうか。しかしなぜか、心の中に秘めておいた方が良い気もする。


 リリィが迷っていると、リュカが辺りを見回しながら言った。


「しかし、どこにも扉は見当たらないが……そもそもここから出ることができるのか?」


 すると、まず初めにルシナが――そしてその次にレイハがはっと身構えた。

 二人の視線の先には、壁がある。


「な、何か来るのか!?」

「静かに」


 見つめる先の壁――そこには扉も何もない。

 その壁の一部が楕円形に光を帯び、ぐにゃりと歪む。通常では有り得ない光景に、リリィ、リュカ、レムは息を呑んだ。


 ルシナの血色の瞳が鮮やかな輝きを放ち始める。瞳孔がすっと細まり、禍々しい気配が全身から立ち上っていた。


「ルシナ! 早まるな」


 壁の光っている部分を睨むルシナをレイハがたしなめたが、ルシナはそこから視線を離さずに言った。


「仲間を呼ばれる前に殺らないと、面倒なことになる」

「これ以上奴らに処刑の口実を与えるな。それに力を使えば、それだけお前の命も削られる」

「他に方法はない。ここで皆捕まったら、終わりだ」


 緊迫した空気が立ち込める中、来訪者が姿を現した。


   * * *


「皮肉なものだ。ヴェルディカがいるはずのこの場で、下界の侵入者に出会うとは」


 それは、黒い大きな狼だった。

 青く鋭い瞳には深い知性が宿り、牙の生える口から発せられたのは低い豊かな男性の声だ。


「……イレイデルか」


 厳しかったレイハの表情が、ほんの少しだけ緩んだような気がした。


「久しいな、レイハ」

「あなたにとっては大した時間ではないだろう」


 レイハと会話する狼を、リリィはただ驚愕しながら見つめるしかない。

 リュカとレムは驚きはしたが、リリィほどではなかった。かつてネオスを迎えに来たシャナンという聖霊も、鳥の姿をしながら言葉を操っていたからだ。

 聖霊という存在は、人間の常識では計れない。それは嫌と言うほど思い知らされた。


「どのようにしてここまで来た? 何者にも気付かれず、結界をも潜り抜けたというのか」

「我々もわからない。エーゼの導きか、ディラスの悪戯か……」


 どうやら、この黒い狼も聖霊らしい。

 イレイデルと呼ばれた狼の眼が、鋭く細まった。


「皆が騒いでいる。何者かが、下界人を聖地に招き入れたのだと。血眼になって“背信者”を捜しているところだ」

「背信者だと? アル・カミアの聖霊が我々をここに導いたというのか」

「大方ネオスの悪戯だろうがな」


 違う――。

 ここにリリィたちを導いたのは、彼だ。

 愛しい人の姿をした、優しい光のような聖霊。ずっとリリィを見守り、助けてくれた。


 思い描きはしたが、口には出さなかった。リリィに聖霊の読心能力は通じない。言葉にしさえしなければ、知られることはないはずだ。

 しかし、甘かった。

 かすかな動揺が表情に現れていたのか、黒狼が少女を見る。


 闇の深淵を思わせるネオスの瞳とはまた違う。彼の瞳には、見つめられるだけで圧倒されるような冷たい威圧感を感じなかった。聖霊としては赤子にも等しいネオスには。

 見つめた全てを凍りつかせる、温度というものを知らぬ水晶の眼。

 獣の眼ではない。人間の眼でもない。同じ世界で生きるいきものの眼でもなかった。

 これが果てなき時の住人――“聖霊”の眼なのだ。

 “生”という枠を超えた存在。光に包まれた世界で、穢れた下界を見つめる者。

 

 睨まれているわけではない。敵意を向けられているわけでもなく、ただ視線を向けられただけなのに――。

 臆することは滅多にないリリィだが、思わず言葉を失い身を強張らせた。


 ルシナがイレイデルの視線を遮るように、リリィの前に立つ。


 イレイデルは紺碧の瞳を細めた。

 

「ルシナ……お前とここで(まみ)える日が再び来ようとは」

「できることなら、来たくはなかったけどね」

「……その娘がシャナンの言っていた、“救世主”とやらか。なるほど、意志の強そうな眼をしている」

「救世主? どういうことだ?」

「お前はその娘のために力と記憶を取り戻したのであろう。ネオス以外にお前を止めることができる存在があるとすれば、その娘しかおらぬとシャナンが言っていた。だがお前がここにいるということは、襲撃の阻止は失敗したのか――一人でないところを見ると、それは違うようだな。大方予想はついているが」


 イレイデルは音もなく歩み、玉座に近付く。


「ヴェルディカに助けを求めるためだろう。力を封印するため――確かに、それができるとすればネオスかヴェルディカか、そのどちらかしかおらぬ」

「……それだけじゃない。仲間を助けるためだ」

「仲間だと?」

「ここにいるはずだよ。魔人の少年だ」


 牙の生えた口の奥から、忌々しげな唸り声が聞こえた。


「お前をおびき寄せる人質というわけか。ネオス……よもやディラスの厮徒を内密に聖地に入れるとは」


 イレイデルはセスがネオス側についたことを知らないらしい。

 ネオスは長老の命令によって下界に来たらしいが、全面的に彼らに従っているわけではなさそうだ。


「このままネオスの罠にはまるつもりか?」

「……あいつを助けないわけにはいかない。言わなくちゃいけないこともあるんだ」

「ここを出ればすぐに他の聖霊に見付かるぞ」

「あんたは俺たちを捕えなくていいのか?」

現世(うつしよ)のディラスを捕える力などありはしない。――聖霊王とネオス以外には」


 イレイデルはちらりとリュカとレムを見やる。


「侵入者を見過ごすこと自体、掟にもとる行為ではあるが――」

「っ……!」


 二人が息を呑むのを感じてか、イレイデルは眼を逸らした。


「この際どうでも良い。侵入者が何人であろうと、同じことだ。その中に追放された者がいようとも」

「――すまない。恩に着る」

「早く行け。私はもう少しここに留まる。ネオスが勝手に連れて来たのならば、奴の空間にいるだろう」


 イレイデルが壁を見つめる。そこから光が広がり、先程イレイデルが入って来た時と同じ状態になった。


 レイハは再び玉座の方を向いて座った黒狼を見た。


「イレイデル、なぜこのようなことを……」

「ネオスの信者共が気に食わんだけだ。奴らの勝ち誇った顔が青白く変わるのも一興であろう。――ただ、忘れるな」


 振り向きもせずにイレイデルは言う。


「私はヴェルディカを待つ。そしてその意志に従う。もし聖霊王が(けい)らを排除せんと動くなら――私もそうするのみだ」

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