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アナテマ  作者: はるた
第四章
108/124

35 動乱へのプロローグ

 その神殿は、深い密林の只中にあった。


 ルシナたち五人は、再びレイハの力でエーゼスガルダに移動した。宝玉を捧げる神殿に赴き、アル・カミアへの道を開くためだ。


 神殿の入口に立ち止まり、レムは声を上げた。


「これが“扉の神殿”か。すっげえボロいのな」


 確かに、聖地への唯一の扉だというこの神殿は、まるで何百年もヒトに立ち入られていないかのような外観だ。

 大きさは神殿というほど大仰なものではなく、セルドナの一般的な二階建ての庶民の家程度だろう。かつては白亜であっただろう外壁は長年雨風にさらされてきたためか黒く汚れ、更に(つた)で覆われている。鬱蒼とした森の中にあるためか、神殿というよりただの廃墟のような不気味さだ。


「ここに来るのは初めてなの?」

「ああ。っていうか、今のエーゼスガルダの住人はほとんどこんな所にゃ来ないと思うぜ。聖霊と頻繁に連絡をとってた暗黒戦争当時ならまだしも、今じゃその必要もねえしなぁ……」


 神殿の入口には扉はない。内部は暗くて全く見えないが、そこから声のような音を立てながら風が吹き出している。わざわざこんな所に参拝したいとは思わないだろう。


「行こう」


 最初にルシナが神殿へ踏み入る。続いてレイハが後に続いた。


「ここに来るのは……久しぶりだな」


 神殿は極めて単純な構造だった。神殿というより、宝玉を捧げる祭壇を置くために造られた建物らしい。内部も、風に運ばれてきた土や枯葉があちこちを汚していた。

 奥行はあまりないので、すぐに祭壇の前に辿り着く。


 ルシナは後ろの四人を振り向いた。


「さっそく“道”を開く。――本当に、良いんだな」

「ここまで来て、今更後戻りするものか」


 力強く答えたのはリュカだ。レムとリリィも、顔を見合わせて頷く。


「あたしたちも覚悟を決めてるわ。後は、できることをするだけ」

「怖気づくもんかよ! せっかくここまで付き合ったんだからな」


 しかし、レイハの表情は厳しい。


「良いか――あちらには“監査役”という聖霊たちがいる。彼らは異常を感知するため、アル・カミア中を力で監視しているのだ。扉を開いた瞬間に監査役に気付かれ、その情報はすぐ長老たちへ伝わるだろう。聖地に無事に入っても、常に我々の行動は知られていると思っていい。私もなるべく妨害するが……完全に奴らの目を絶つことはできない。すぐに我々を排除するため動き出す」


 レイハはルシナに向き直った。


「ルシナ、第一の目的はヴェルディカに会うことだ。他の聖霊は無視するべきだ――たとえネオスや……セスが仕掛けてきても」

「戦わずに、ヴェルディカの元へ行けるとは思ってない。ネオスは何が何でも俺を捕えるつもりだ――ヴェルディカへの接触を許す前に。それに、セスを放置するわけにはいかない」

「……セスは戻らないかもしれない。それでも良いのか?」

「俺はあいつに会わなきゃいけない。じゃなきゃ、たとえヴェルディカに力を封印してもらっても……俺は前を向けない」

「……わかった」


 ルシナは祭壇の正面に立つ。薄汚れた台座に、四つの窪みがある。

 手を差し出すと、そこに光が集まって来た。やがてそれは球体の輪郭をなし、宙に浮かぶ四つの玉になる。水人の青、翼人の緑、竜人の金、獣人の紫――扉を開く四つの鍵たち。

 それらはゆっくりと誘われるように落ちて行き、祭壇の上に降り立つ。

 その瞬間――眩い光が放たれる。薄暗かった神殿に光が広がり、汚れていた壁が白い光を反射していく。


 神殿中を照らす光が、ゆっくりと体を包み込む。その光に触れた部分が、まるで同調するかのように光の中へ溶けて行く。


「――!」


 やがて視界も真っ白に染まっていく。


(何も見えない――)


 手を伸ばしてみても、誰かの肌に触れるような感触はない。ちゃんと床に立っているのか、それさえ判断しがたい。まるで光に抱かれながら空中を浮遊しているかのようだ。


 不意に、どこもかしこも白い視界に、輪郭が現れる。それはやがて、リリィの正面に立つ人影に――。


「あ――あなたは!」


 ルシナがそこにいた。

 いや、正確にはルシナではない。周囲の光に溶けながら、透けているようなその姿。実体のない幻のように見える。


「剣を」


 と彼は言った。口を動かさず、頭の中に直接入り込んでくる声で。


(剣――!?)

「抜いて」


 腰に手をやると、そこにはかすかに温かさを感じさせる、硬い感触があった。導かれるように、リリィは剣を引き抜く。

 彼はゆっくりと手を差し伸べて、リリィの手に重ねるようにして剣の柄を握った。


「私が持つ“力”は、歪み(・・)の修正のためだけに、与えられたもの。他者の強い意志によって望まれなければ、行使することはできない。それが私自身に課された制約。秩序の番人、万物の平衡を保つ者としての宿命(さだめ)……」

 

 彼はゆらめく紅い瞳をリリィに向ける。その内側には虹色の光がちらついているように見えた。


「そして運命に干渉することもできない。他者の意志、選択を操作することは不可能だ。たとえそれがいずれどのような歪みを生むとしても――私一人では後に流れを矯正することしかできない。“望む者”がいなければ」

「どういう――こと?」


 独り言のように呟かれるそれは、リリィにはほとんど理解できない。ただその口調は、決意めいたものを帯びていた。


「望んで」

「え――」

「全てが終わった後、君が運命の歪みの修正を願うなら。望んで――」

「待って、わからないわ。運命の歪みって何!? “望む者”って――」


 彼の輪郭は、次第にあやふやになっていく。確実に鮮明さを失い、光の中へ溶けて行く。


()の場所へ案内しよう――今はまだその時ではないけれど――全てが為された後、もう一度そこへ――」


 何重にも響く声。段々と遠くなっていく。


「時が来たら、必ず――君が望むならば……」

「待って――!」


 やがて視界も意識も、白い光に飲み込まれた。


   * * *


 リリィたちがアル・カミアへの“道”を開いたのと同じ時――聖地には動揺が広がっていた。


 最後に残った宝玉を、ネオスはルシナに渡した。その行動に対する反対の意見は強かったが、シーヴィスが力で押し通した。それでしか掟の定める範囲内で、徹底的なルシナの抹殺は不可能なのは事実だったからだ。


 しかし、問題はそこではない。

 通常、神殿から聖地への扉を開いた場合、“訪問者”はアル・カミアのどこか――宮殿の外に転送される。

 扉を開いた時点で監査役の聖霊がそのことに気付いたが、想像を絶する事態が起こった。

 扉を通って聖地に来たはずのルシナたち“訪問者”は、あろうことか宮殿内部に転送されたのだ。聖霊が多くいる宮殿では力の気配があちこちにあるため居場所は特定できないものの、ヴェルディカの結界を潜り抜けて侵入したということになる。

 たとえ聖霊でも宮殿内に入るためには、監査役の許可――結界の部分解除が必要になる。無論、侵入者に許可を出すはずがない。しかし彼らはあたかも結界をないもののように、宮殿内へ転移してきた。

 何者かが手引きしたとしか考えられない。レイハでもない、アル・カミアにいる聖霊の誰かに――裏切者がいるということだ。


 突然の侵入者の出現により、長老会も緊急招集されていた。

 いつもは沈黙を保っている長老でさえ、この尋常ならざる状況には声を荒げている。


「一体、どういうことだ! よもや、宮殿内への侵入を許すとは! ネオスは何をしている!」

「ヴェルディカの結界はどうした!?」

「それよりも、何者がこのような真似を――制裁は謹慎どころではすまされぬぞ!」


 卓上はそれぞれの怒声が飛び交う場と化し、秩序というものを全く失ってしまっている。


「静粛に!!」


 シーヴィスが大声を張り上げると共に、その場は静まった。


「そう慌てても、起こってしまったことはどうしようもない。速やかに事態を収拾するしかあるまい」

「しかし、ルシナは我々を滅ぼす気だ!」

「ネオスがいる。奴のことだ、我々より先にルシナの存在を感知しているさ。監査役の報告では、あのレイハも共に来たらしい」


 その名に、ざわめきが広がる。

 イレイデルも思わず眼を見開いた。


「レイハ――だと。追放されたはずの奴がなぜ……」

「無論、ルシナに協力するためだろう」


 シーヴィスが立ち上がる。


「この際、それはどうでもいい。重要なのは、聖地の心臓たるこの大宮殿に侵入を許したということ。大いなるエーゼの御名において、聖地を穢す者は排除しなければならない。かつての同胞であっても、容赦は無用だ。そして、奴らを招いた者を洗い出し、厳重な制裁を加える。今回は特例だ――何が何でも侵入者は始末せねばならん」


 シーヴィスの言葉に何か不吉なものを感じ、イレイデルは低く唸った。


「シーヴィス……何を考えている?」

「掟の一部を限定解除する。『魂あるものの命を奪ってはならない』――今回の事件は、この法の適用外とする」


 ざわめきと共に、イレイデルが吠える。

 侵入者にはヒトもいるが、その生死は問わない――それと同義だ。


「貴様、どこまで堕ちたか! その掟は我らの存在意義と同様、エーゼの御名に約束された原初の掟だ!! いかに長老といえど、そのような横暴は許されぬ!!」

特例(・・)だと言っている。無論、魂を奪うことは許されたことではない。だがこのままルシナの侵入を許すなら、聖地は終わりだ」


 イレイデルは氷の瞳に激しい炎をたぎらせた。


「エーゼの掟すら守れぬなら、滅んだ方がましだ」


 しかしシーヴィスの表情は不敵なまま、変わらない。まるでネオスのそれと同じだ――イレイデルは激しい怒りと苛立ちを覚える。


「さて、皆が皆、(けい)のように崇高な精神を持っているかな? 掟は重要だ。しかしそれだけに縛られては古い考えしか生まれない。今アル・カミアは最大の危機を迎えている。何も掟の限定解除は今回だけではない。あの忌まわしい戦乱……あの時最後の切り札として、ディラスの力を持った汚らわしい魔人を聖地に入れた。それが今回の危機に繋がっているわけだが」

「話をすりかえるな。掟の重要度が違う!!」


 シーヴィスはイレイデルの怒りは素知らぬふりで、歌うように演説する。


「標的はたった数人だ。それだけの数が、世界にどうやって影響する? 大河で跳ねる小魚を数匹釣るだけの話だ。それだけで川の流れが遅くなるでも、速くなるでもない。だが我らは大河の流れを司る番人だ。我らがいなくなれば、川はたちまち氾濫し混沌をまき散らすだろう。それに、必ずしも仕留めよと言っているわけではない。あくまで、やむを得ぬ事態に陥った時のみだ。――諸君は、どう考える? 小魚数匹の命に対して、川の中やその周囲に生きるあらゆる命。どちらが重要であるか、考えるまでもなかろう」


 大勢の沈黙が同意を示した。

 演説者は大きく頷く。


「宮殿中の全ての聖霊に伝えろ。速やかに侵入者を排除せよ――と」


     * * *


 超常的な力を有していても、朽ちぬ体を持っていても、自我を抱く限り聖霊もヒトと変わらぬ。

 イレイデルはどこか達観してそう考えていた。

 いや、だからこそか――滅びを知らぬものが滅びを迎えようとする時、恐れ、混乱し、醜く足掻く。自分もそんな種族の一人に過ぎぬと考えると、虚しい感覚が去来する。


「イレイデル……」


 尖塔の内部からアル・カミアの景色を見下ろしていたイレイデルに、張り詰めた声がかかる。

 振り返ると、シャナンが立っていた。


「ついに、来たのですね。この時が」

「滅びると決まったわけではない。仲間を引き連れてやって来たルシナがどのような思惑か……知る術もないが」

「私は止めることができませんでした」


 美しい女性の声に満ちる、深い後悔の念。彼女の心を支配しているのは、あの銀髪の聖霊だ。


「もし私でなく、もっと力のある聖霊がネオスの世話をしていたら……このようなことにはならなかったかもしれません。間違った方向に力を使うこともなく……」

「誰でも同じだ。あの凶暴で純粋な魂を、抑えることなど誰にもできぬ」

「……レイハのように……」


 ぼそり、とシャナンは呟く。


「レイハとルシナと絆を結ぶことができたら……」


 あの二人のことは、暗黙のうちに口に出すことが禁忌となっていた。聖霊と魔人が親子のように親しくするなど、あってはならないことだったからだ。

 しかし彼らの関係に惹かれた聖霊は、少なからずいた。愛という概念の薄い聖霊にとって、二人の関係は新鮮なものであったのだ。


 掟に従順なシャナンが、このような発言をするなど珍しいことだった。


「何かが変わっていたかもしれません。愛を――与えることができたら」


 そう言うシャナンの口調はどこかぎこちない。


「過ぎたことだ。何もかも」


 淡々とイレイデルは言い、立ち上がった。


「どちらへ?」

「玉座の間だ。せめて待とう……主のおらぬ座の横で」

「そう、ですか――」

「お前はどうする? ネオスに協力でもするか」


 シャナンはうつむいて黙る。答えを待たずにイレイデルは姿を消した。


「何をすれば良い……? 私は、何を……」


 己に問いかけ、やがてシャナンは顔を上げた。

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