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アナテマ  作者: はるた
第四章
107/124

34 黒刃の影

 青い闇が立ち込めるホール。ゆらゆらと漂う発光体が照らすのは、卓を囲む長老たちと、その脇に佇む人影だ。


 浅黒い肌の青年――長老の一人シーヴィスは、長老会に召喚された聖霊を見つめた。


「では、状況報告を――ネオス」


 卓の傍に立つ人影――身の丈ほどもある銀髪を垂らしたネオスだった。

 その場にいる長老の誰よりも超然と、神々しさを身にまといながら立っている。

 ネオスは恭しく礼をして答えた。


「下界にて目標を補足、追跡を開始。しかし捕縛を試みた際に想定外の出来事が起こり、目標を喪失――以後の消息は不明です」

「想定外の出来事?」

「ルシナが想像以上の抵抗を見せ、私を上回る力を発揮した――あくまで一時的にですが」

「馬鹿な――」


 そう言ったのは、椅子の上にいる狼――イレイデルだった。青い眼は鋭く光らせ、若い聖霊を見ている。


「いくらルシナとはいえ、疲労しきった体を酷使している現在、お前に敵うはずがない。余計な戯れでもしていたのだろう」


 ネオスは妖しい微笑を見せる。


「私としたことが、奴を取り逃がしてしまうとは――私の過失です。いかなる罰もお受けしましょう」


 深く礼をするネオスを、イレイデルは苦々しげに見つめた。

 あの傲慢で自分勝手なネオスがこのように変貌を遂げたのは、突然のことだった。謹慎が解けてから、ネオスの態度は今までのものと一変していたのだ。

 聖霊に限ったことではないが、若者が突然成長を遂げることはよくある。何かをきっかけに、急に大人びるのだ。

 しかしネオスのそれは、あまりにも――。


(気味の悪い限りだ――表情も言動も態度も、何もかも以前と違う。刺々しい危うさがない――)


 今ここに立っている銀髪の麗人は、そこにいるだけで周囲の視線を惹きつけてやまない、圧倒的な存在感を放っていた。

 そして神秘的な空気――そう、エーゼに愛された選ばれし者の。


 信じたくはないが、一向に姿を見せないヴェルディカより、新たなカリスマを統率者に選ぶという意見も出るかもしれない。現にシーヴィスはそのようだ。


「制裁などとんでもない――お前の働きには満足している」


 シーヴィスの表情は満足げだ。


「恐れ入ります」

「ルシナの消息は未だに掴めぬままか?」

「正確には。――予想はある程度ついていますが」

「ほう?」

「レイハ。恐らく、彼の元でしょう。他の仲間共々、そこへ逃げたはずです」

「ふむ……」


 ネオスは落ち着いた、流れるような声で続ける。


「もしかすると、レイハの力を借りて我々の力の及ばぬ場所へ逃げるかもしれません。あるいは、再びエーゼスガルダへ戻るか……しばらくは様子を見るべきと考えるのですが、長老会のご見解はいかがでしょう」

「この件は基本的にお前に一任している。好きにするが良い」

「待て」


 シーヴィスとネオス、そしてこの議題に納得しかけていた者の視線が、黒い狼に集まる。


「これは最重要案件だ。安易に決定を下すべきではない」

「それではどうしろと? またヴェルディカに答えを求めよと言うのか」

「シーヴィス――この聖地を守っているのが誰か、忘れるな。宮殿の結界も、アル・カミアが下界と分離した聖地でいられるのも、ヴェルディカがあってこそだ」


 イレイデルの言葉に、シーヴィスは唇を吊り上げた。


「ふん……確かにそうだ。しかし、この状況はどうだ。実務を任されているのは我々長老会、ヴェルディカはもはや聖地の一部となっているだけに過ぎん。それでも、ヴェルディカに我らの君臨者たる資格があると?」

「ヴェルディカを穢すということは、エーゼを穢すことだ――貴様、真の背信者に成り下がるつもりか?」


 イレイデルのただならぬ怒気に、沈黙を保っていた長老たちが身構える。

 その場を張り詰めた緊張が支配した。


「イレイデルの意見に同意します」


 沈黙を破ったのは、落ち着いた声。

 全員の視線が発言者――ネオスに集中した。


「我々の秩序はヴェルディカによって保たれている。それを破っては、内部から綻びが生じる――イレイデルの言う通りです。しかし、ヴェルディカがこの件に関与しない姿勢を見せているのも、また事実。長老会が秩序を失っては、他の聖霊にも動揺が広がる――現在のような状況ならば、尚更。ヴェルディカの権威を守るのは当然ですが、長老会で独自に決定を下すのも、今は必要かと。私はそれに従う次第です」


 言い終わり、ネオスは頭を下げる。


(なんだ? この雰囲気は――)


 イレイデルは銀髪の聖霊を睨みつけることしかできなかった。

 ネオスが発言した途端、場のぴりぴりとした空気は霧散してしまったのだ。まるで、絶対者の演説でも聞かされたかのように。


(ネオスがヴェルディカに代わる統率者だと? 冗談ではない――)


 そうは思いつつも、今のネオスに非の打ち所は見当たらない。

 以前なら、軽率さ、傲慢さ、その他もろもろの不安定さ――それ故に危険な存在であると言うことができた。

 しかし、今はどうか? 思慮深く、長老会には素直に従い、挙句まとめてしまっている。

 闇色の瞳の奥には何も見えず、微笑の下にどのような思惑が隠されているのか、窺うことはできない。


 ネオスは自分を鋭く見つめるイレイデルに、意味ありげな微笑を向けるのだった。


     * * *


 会議の後、ネオスは自室に戻った。

 夜空を模した半球形の天井。アル・カミアはいつでも明るい太陽に照らされ、暗闇が訪れることはない。しかしネオスは、下界にしかない夜という時間が好きだった。


「気分はどうだ、セス」


 部屋の中にはセスがいた。柔らかい草の床に寝転んでいる。セスは眠ってはいなかったが、ネオスの問いかけに反応はしなかった。

 ネオスはセスの横に座り、背伸びをする。


「老人たちの相手は疲れる――宮殿の奥深くでさえずっているだけの存在だ。話し合いなど、無駄だと思わないか? ルシナに対抗できるのは、私しかいないというのに」

「大した自信ですね。僕を連れ込んでいることがばれたら、まずいんじゃ? 宝玉をルシナに渡したことだって、報告なんてしなかったでしょう」

「どうせあの連中は私が全てどうにかすると思っている。口を出してくる者もいるが――実の所、私を排斥することもできない。私がいくら問題を起こそうとも」

「……変わりましたね」


 セスはかすれた声で、ぽつりとそう言った。


「まるで別人だ。僕と初めて会った時と……前のあなたは進んで僕と話などしなかったし、聖霊に批判的な発言もしなかったのに」


 ネオスは楽しげな笑みを作る。


「前にも言っただろう? この部屋に閉じ込められていたおかげで、落ち着きというものを得たのさ。わかりやすく言えば、大人になったということかな」

「……随分急な成長ですね」

「私たちは、お前たちの時間の外に生きている。ヒトの一日が聖霊の一日に相当するわけではない――わかりにくいだろうがね」

「考えた結果、ルシナを殺すことは変わらないわけですか」

「殺す? 捕えるだけだ。――永遠に」

「殺されるのと同じ――ルシナはそう考えている」

「確かに、そうだな。閉じ込められているだけというのは退屈極まりない」


 そう言って、からかうような眼でセスを見た。


「それはそうと、お前も変わったようだな。セス」


 ネオスは不意に、横たわっているセスに覆いかぶさるようにして、吐息がかかるほど顔を近付けた。長い銀髪がベールのように流れ落ち、それと同時に甘い花のような香りも漂う。

 目の前のネオスの顔が淡い光に包まれたかと思うと、次の瞬間には、銀髪は黄金に、紫の瞳は夏空の青に変わっていた。

 

「リリエルに近付いたのはルシナを傷付けるためだっただろう? それがいつの間にか本気になってしまうとは、呆れたものだ」


 リリィの声でネオスは言う。


「自分が傷付くとわかっていて、なぜ近付いた? 深みにはまって抜け出せなくなる前に、なぜ逃げなかった?」

「……感情を制御できる生き物ではないですからね、ヒトというのは」

「魔人は自己の欲求に素直な種であるらしいな。ならば、ルシナから奪いたいとは思わないのか?」


 ネオスはセスから離れ、金髪を払った。すると再びネオスの体は光に包まれ、元の姿に戻る。

 セスも起き上がった。


「あなたに言われる筋合いはないな」

「よく言う――」


 ネオスが言い終えた直後だった。

 セスは眼にも留まらぬ速さで起き上がり、短剣を抜き放つ――その切っ先がネオスの胸に深々と突き刺さったのは、一瞬にも満たぬ間のことであった。


「――!!」


 ネオスの顔が驚きと苦痛に歪む――しかしその表情は、すぐに笑みに変わった。


「……おかしいな」


 全く表情を変えずにネオスを刺したセスは言う。


「殺意を持って攻撃すれば、誰でも殺せるんじゃなかったんですか?」

「自分を殺すことができる武器を、この状況でお前に渡すわけがなかろう。この剣は私の分身だ。私には効果がない」

「なんだ、残念だな」


 恐ろしく簡単に、何の手応えもなく短剣を引き抜くことができた。ネオスの胸からは血も何も出ていない。


「だが、私以外に使えば別だ」


 やけに優しく、囁くように言う。


「その剣は、お前の想いに呼応する。想いが強ければ強いほど、力を増す――特に負の感情には敏感だ。強い殺意を持って攻撃すれば、小さな傷でも毒のように力が浸透し、致命傷をもたらすだろう」

「……誰に対しても?」

「私を除けば、そうだ。たとえ魔人でも――無事では済むまい」


 試すようなネオスの口ぶりだった。


「セス――私に見通せぬことはない。表面上の態度や性格は変わっても、心の奥底にある欲求は私と会った時から変わっていない。――思い出せ。私と手を組んだ、その真の理由を」


 ネオスは口元にかすかな笑みを湛えたまま、セスの瞳を見つめている。

 全てを見透かしてしまいそうな濃紫の瞳――吸い込まれそうなその闇に、セスは思わず口をつぐんだ。


「魔人は本能に従う生き物なのだろう。素直な欲求に従えば良い。お前の中の殺意に……」


 囁きは、甘く、深く、奥深くまで響いていく。


「お前の大切なものを奪ったのは誰だ? お前が愛し、そして憎むものは何だ?」


 あの時――この悪魔と出会った時と、同じように。

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