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アナテマ  作者: はるた
第四章
105/124

32 優しい光に包まれて(2)

「俺は君を傷付けた。何度も……」


 うつむいたままのルシナは小さくこぼすように言う。


「なのにどうして……どうして、愛してるなんて言えるんだ」

「…………」

「俺には無理だ。傷付けられても、それでも誰かを愛するなんて。それなのに君は、今も俺の目の前にいる。こうして触れられても、逃げずにいる。……なぜ?」

「……傷付けられのは怖いよ。拒否されるのも……でも、あたしはあなたが好きだから。近付きたい、傍にいたい――あたし一人の、勝手な願いでしかないけど」

「……俺はまた君を傷付けるかもしれない。……それでも?」


 リリィが頷くと、ルシナの手は強く彼女の腕を握った。

 そのまま引き寄せられ、何が起きたのかわからないまま、リリィはルシナに抱き締められていた。ルシナの右手はリリィの右手を握ったまま、もう片方の腕は強くリリィの体を抱いている。


「君には他に幸せになれる道がいくらでもある。それでも、俺の傍にいてくれるのか? 本当に……愛してくれるのか」


 心臓の鼓動が伝わってくる。体温も、息づかいも、全てが伝わってくる。

 リリィを見下ろすルシナの表情は、ひどく不安げで――今にも泣きだしそうだった。

 愛おしい。

 言葉では表しきれない想いが溢れ出す。


「いるよ。ずっと……」


 ルシナは優しくリリィの髪を撫で、そしてゆっくりと柔らかい少女の唇に自らのそれを重ねた。

 口付けと呼ぶにはあまりにも短い一瞬の後、ルシナは後悔したように眼を伏せる。しかしリリィは彼の背中に腕を回し、今度は自分から唇を重ねた。


「離さないで。……もう、あたしの前からいなくならないで」


 言葉はもう、いらなかった。

 堰を切って溢れる想いをぶつけるように、唇を重ね合わせる。

 確かな感触と温もり。

 静寂に包まれた世界で、どれくらいの間お互いの温かさを確かめ合っていただろうか。


 どちらともなく唇を離し、それからしばらくの沈黙が流れたが、先に口を開いたのはルシナだった。


「話さなくちゃいけないことがある」


 その言葉に、熱っぽい余韻から抜け出せずにいたリリィは、ふと現実に戻された。

 ルシナの瞳はとても澄んでいて、それは全てを受け入れたような静けさを湛えている。


「俺の命は、もう長くない」


 すぐには理解できないその言葉についてリリィが聞き返すより前に、ルシナは続けた。


「一年か、三年か、あるいはそれ以上か――長くても五年。それくらいで俺は死ぬ。ずっと力を使い続けてきた副作用だ。いずれ、限界が来ることはわかってた」


 突然の告白に、声を出すことさえできない。事実を語るルシナの顔から視線を逸らすことも。


「短い間なら、聖霊に気付かれないような場所で暮らすこともできる。レイハも協力してくれる。俺は……それを君が許してくれるなら、残された時間を君と過ごしたい。……君には家族も友人もいる。帰る場所がある――それでも、俺と一緒にいてくれるなら……」

「……そん、な……」


 たった今、気持ちを確かめ合った愛しい人。

 その口から語られたのは、あまりにも残酷な真実だった。


 ――死。


 やはりそれは、現実味のない――しかしやけに重く、深く沈んでいく言葉。


「……いや」

「……だめなんだ、リリィ……もう、どうすることもできないんだ。俺には当然の報いだよ。今まで多くの命を奪い過ぎた」

「いや! いやだよ……どうして……やっと、やっとまた会えたのに……」


 この幸せがすぐに消えてしまう儚いものなんて。そんなことは到底信じられない――信じたくない。

 ルシナはそっと微笑んだ。儚く寂しげでもあり、安らかなものでもあった。


「いいんだ。俺はもう、十分に生きて……これ以上ないくらいの幸せを味わうことができた。こんな俺を、大切に想ってくれる人がいるということ――それを知ることができただけで、もう十分だよ。随分時間がかかってしまったけれど……」

「ルシナが良くたって、あたしはよくない!」


 リリィはきっとルシナを睨む。


「まだ……方法はあるはずよ。諦めるのだけは、絶対にいや」

「そうは言っても……何か方法があるとは思えない。俺の体を治すのは、聖霊の能力でも不可能だ」


 レイハがルシナに施した『治療』は、一時的に体調を整えるためだけのものだ。根本的な解決にはならない。


「ヴェルディカ……」

「え?」

「ヴェルディカなら、治せるかもしれない!」


 聖霊王ヴェルディカ。全てを凌駕する、絶対的な存在。


「それは……非現実的だ。ヴェルディカは俗世の問題には一切関与しない。アル・カミアを守るだけの存在なんだよ」

「でも、もしそれが可能ならヴェルディカはあなたを治せるだけの力を持っているんじゃないの!?」

「……わからない。ヴェルディカという聖霊は、とても想像のつく存在じゃないよ。俺は一度も直接見たことはないし……」


 リリィはあの聖霊のことを思い出した。

 ルシナの姿をした聖霊。何度もリリィの前に姿を現し、助けてくれた――。


 闇の戦士の救済を望むなら、彼の場所へ。


 彼は確かにそう言ったのだ。


(闇の戦士――ルシナの救済……彼の場所というのは、アル・カミア――ヴェルディカのいる場所なんじゃないかしら……)


 ルシナを助けられる聖霊は他に存在しない。もう、ヴェルディカに一切の望みを託すしかないのだ。


「行こう、ルシナ。アル・カミアへ――ヴェルディカのいる場所へ!」

「だめだ」


 ルシナはきっぱりと言い切った。


「アル・カミアに人間を入れるというのはそれだけで罪だ。その場合、不干渉の掟は特例的に適用されなくなる。殺すとまではいかないにしても、聖霊が罰と称して君に危害を加えることは有り得ることなんだ」


 しかしリリィは断固として首を振る。

 その青い瞳に宿された強い光は、決して揺るがない。ルシナはそれを知っていた。


「自分だけで何もかも解決しようなんて、そうはさせないわよ。これ以上かやの外でじっとしてろなんて、絶対にいやだからね」

「……はあ。どうして君はこうなんだ……」


 呆れたように言うルシナの表情には、かすかな笑みがあった。


「おい、お前ら――オレたちを忘れてるんじゃねえぞ。そのおっかねえ旅行、オレたちも同行させてもらうぜ」


 突如として、高く明るい声が響く。

 声がした方向を向くと、そこには二つの人影があった。


「レム――リュカも!」


 いつも通りの姿でそこにいる二人の友人を認めて、リリィは自然と笑顔になった。


「い、いつからいたの!?」

「ついさっき。心配いらねえよ、変なもんはなーんにも見てねえから」


 にやにやと笑うレムの頭をリュカが小突いた。


「心配するな、リリエル。俺たちもつい先ほど気が付いたばかりだ」

「体は大丈夫なの?」

「ああ。レイハが治療してくれたのでな」

「良かった……」


 ネオスに捕らわれた時は、どうなるかと思った。このまま無事で済むことはないかもしれないと――。

 けれどもまた、こうして無事に会うことができた。ルシナとレイハが助けてくれたお陰だ。

 ただ一人――セスはいないけれど――。


 彼のことが頭をよぎり、無意識にリリィの顔が曇る。それに気付いたのか、リュカが低い声で言った。


「先程――セスが現れた」

「えっ!?」


 リリィとルシナは眼を見開いてリュカを見る。


「最後の一つ――獣人の宝玉を持って来た。ネオスの指示で」


 その声は足音と共に聞こえてきた。

 レムとリュカが来た方向から、レイハが歩いてやって来る。


「レイハ――どういうことだ?」

「ネオスの策略と言ったところか。こちらから向かわない限り、聖霊は干渉できないからな――」


 そう言ってレイハは右手を差し出す。その掌には、紫に輝く玉があった。


「どうする? ルシナ」


 ルシナはじっと宝玉を見つめる。

 アル・カミアへの最後の鍵。ルシナが所有している三つの宝玉と合わせれば、後戻りの出来ぬ戦いへの導き手となる。

 最初からこれを望んでいたはずだった。そのためだけに、突き進んできたのだから。


「――行こう」


 小さな声。けれども強い意志に満ちていた。


「ネオスを――聖霊たちを殺すためじゃなく……生きるために」


 そう言ってレイハから宝玉を受け取ったルシナの顔は、どこか晴れやかだった。

 その表情を見て、リリィの眼から涙が溢れそうになる。


「だが――ルシナ。いいのか? ネオスの側には、セスもいるんだぞ」


 リュカの落ち着いた声に、その場の雰囲気が張り詰める。

 ルシナは頷いた。


「もう一度……セスと直接会いたい。会って、言わなきゃいけないことがある」

「……そうか」


 それ以上は、聞かなかった。

 セスとルシナの間には、複雑な()と壁がある。それは誰も立ち入ることができないものだった。


「まっ、とにもかくにもこれからのことは決まったな。そろそろ休もうぜ。皆疲れてるだろ? 全然休んでねーし」


 レムが背伸びをして、ついでに大きなあくびもする。


「あったりまえだろ! ここまで付き合ったんだ、とことんまで付き合ってやるよ」

「……頼んでないんだけどな」

「ああ!? てめえ、相変わらず素直じゃねえな!」

「君に言われたくないよ」


 ルシナとレムのやり取りを眺めるのも、いつぶりだろう。そう時間は経っていないはずだが、何年も前のことだったように思える。

 顔を見合わせるリュカとリリィの表情に、自然と笑みが零れる。


「……ありがとう」


 誰にも聞こえないほど小さな声で、ルシナは呟いた。

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