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アナテマ  作者: はるた
第四章
101/124

28 闇の獣

 それは閃光だった。

 いや、光と呼ぶにはあまりにどす黒く、おぞましい気配に満ち溢れていた。


 戦慄。


 ネオスが最初に感じたのはそれだった。

 今まで、感じたこともない『恐れ』という感情。確かに、その時のネオスを支配していたのは恐れ――それと、歓喜だった。


 全身から怖気の走るような漆黒のオーラを振りまきながら、立ち上がるルシナ。彼を拘束していたリュカは、衝撃で遥か遠くに吹き飛ばされ倒れている。

 リュカの体から死の気配はしないが、意識を失ったら催眠は解ける。しかし、今となってはどうでもいいことだった。


「魔戦士とはよく名付けたものだな!! 闇と破壊の化身――まさにそうだ!!」


 初めて知る感情――身を焦がすような戦慄と歓び。


「ルシナ――だめ!!」


 ネオスの腕に拘束されているリリィは必死に叫んだ。ただでさえ力によって体が疲弊しきっているのに、こんなことをしたら無事でいられるはずがない。

 しかし今のルシナには、何の声も届かないようだった。


 離れた所にいるセスとレムも、驚愕と戦慄に支配され、眼を見開いてその光景を見ているしかない。

 

「素晴らしい……」


 どこか陶然として、ネオスは呟いた。子供のように輝く眼で、魔戦士を見る。


 破壊するのだ。この完璧な『闇』を。

 そうすれば、自分は完全な存在になれる――ディラスを滅ぼすことで、真なるエーゼの継承者になれる!!


 ありとあらゆる負の感情が、ルシナの体を黒いオーラとなって取り巻いている。深紅の瞳は今やぎらつく光を帯び、空中に赤い軌跡さえ残すようだった。

 獣――そこにいるのは、闇をまとった一匹の獣だ。


 牙を剥き出しにして、ルシナが咆哮する。いや、それはもはや声ではなかった。

 大地を揺るがすような闇の雄叫びと共に、凄まじい衝撃波が襲い掛かる。


「!!」


 ルシナのまとう闇がゆらめいた――そう感じた瞬間、魔戦士の姿が目の前にあった。

 気配を感じることもできないほど、一瞬の出来事だった。


 ネオスは咄嗟に結界を張って、ルシナが接近した際に巻き起こった衝撃波から身を守る。

 そのお陰でネオスは辛うじてその場に踏みとどまったが、少し離れた場所にいたレムとセスも衝撃に吹き飛ばされそうになった。


 闇の獣の鋭い牙が、ネオスの首に喰らいつく。


「っ、馬鹿な!!」


 結界を張ったはずだった。しかしそれはさも存在しないかのように、ルシナに食い破られたのだった。

 次いで、ネオスの腕の中にあったリリィの体を奪い取る。


 ネオスが辛うじて体勢を立て直し、反撃に転じようとした時、ルシナの姿はそこにはなかった。


「…………」


 残ったのは、どす黒いオーラがわめきちらした騒音の反動のような、静寂。

 幻の聖殿の中に残されたのは、ネオスとセスだけだった。

 ルシナに咬み付かれた喉からは、通常なら平然としていることなどできるはずもないほど、どくどくと血が溢れ出している。

 恐ろしく現実感のある赤い液体だったが、それは偽りのものだ。ただの飾りでしかない肉体は、聖霊にとってみればただの服。服をいくら裂かれようと痛くはない。


 しかし、『力』を使って核である魂を直接攻撃すれば話は別だ。ルシナがかつて、一人の聖霊を殺したように。

 そこまで頭が回らないほど怒り狂っていたのか、それとも剥き出しになった本能がそうさせたのか。


 流れる血もそのままに、ネオスはゆっくりと辺りを見回した。

 ルシナの手に奪われたリリィは、もちろんいない。ルシナが消えた同時に、彼女も消えてしまったのだ。

 それと同時にレムとリュカの姿も見当たらなかった。一緒に空間転移したのだろう。


「……逃げられた」


 ぽつりと、セスが言った。平静を取り戻しつつあるようだが、額には汗が滲み、息も荒い。あれほどの負の嵐にさらされれば当然のことだった。ましてヒトの身である彼は、力に対する耐性も低いのだ。


 ネオスは変身を解き、流れ落ちる銀髪を払った。

 ほぼ同時に辺りの景色も一変する。

 ネオスが創り出していた幻は消え、そこは再び草原に戻った。夜風が吹き抜け、草とネオスの髪を撫でていく。


「……気配が感じられない。遠くに逃げたか……まあ、急ぐ必要はない。あれほどの力が残されていたとは、正直予想外だったが」


 くすくすと楽しげにネオスは笑う。

 夜の草原に佇むネオスの姿は、まるでそこだけが現実から切り離された空間のように見える。


 そこへ新たな人物が現れた。

 突然ネオスの正面の空気が歪んだかと思うと、次の瞬間には人が出現していたのだ。


   * * *


「何を考えているのですか?」


 妙齢の女性の姿をしているシャナンは、困惑と猜疑が入り混じった視線をネオスに向けている。


「目的はルシナを捕えることです。なのに、あのような真似をして取り逃がすとは……」

「試しただけだ」


 ネオスは草原に座り込む。


「あの男の心を、な。どうやらまだヒトの心を捨てられていないらしい。いや、奴は捨てたと思っていたのだろうが、私が呼び出したのだ。――どれだけ心を捨てようとしても、ヒトである限り根柢の性質は変えられぬ。つくづく、馬鹿な男だよ」


 シャナンは複雑な表情で、ネオスの背後に立っているセスを見る。


 ルシナを捕えるための手段とはいえ、ディラスの一族の手を借りるとは、聖霊としては褒められたことではない。

 ルシナと親しかったらしいが、どのような目的でネオスに協力しているのか……

 心を読もうとしても、黒いもやのかかる感情の波が見えるだけで、はっきりとした考えを知ることはできない。

 このような場合は、対象の精神がよほど不安定か、催眠あるいは放心状態にあるか、そのどちらかだ。

 表面上落ち着いているように見えるが、何か底知れぬ危険を感じずにはいられない。


「なぜそこまで、ルシナに傾倒するのです? 彼を屠ることを名目に、あなたはルシナと関わろうとしている。そのように、私には見えます」

「初めて恋を知った少年のように、か?」


 その言葉があまりにも意外だったので、シャナンは次の言葉を失った。

 以前のネオスなら、間違ってもこのようなことは言わなかった。眼を細めて、ヒトごときに関わろうとする心などない、聖霊としての責務を果たそうとしているだけだ――そう言うに違いなかったのに。


 そして今のネオスが浮かべている微笑も、以前からは想像もつかないようなものだった。

 どこか危うくて不気味だったものが、完成された余裕のあるものに変じている。


「セス、お前はどう思う」


 セスは何も言わない。

 視線を合わせようともせず、ただそこに佇んでいる。


「初めて恋を知った少年は、お前の方か。ルシナの女にほだされたようだな。お前に限ってそんなことはないとは思っていたが……ヒトの心は計れん」

「…………」

「お前がここにいるということは、ルシナはもうお前のことは仲間として認識していないということかな」


 沈黙を保つセスから視線を外し、仰向けに寝転ぶ。


 ルシナの行方を把握できない今の状況を、どうとも思っていないような態度。ネオスの力でも感知できないほど遠くに逃げたのなら、こんなことをしている余裕はないというのに……


「これからどうするつもりですか」

「大方の居場所は見当がつく。恐らくレイハの所だろう……しかし我々の一存でセルドナへ向かったら長老会がうるさいからな……あちらから来るのを待つことにしよう」


 ネオスは手を虚空に差し伸べる。いつの間にか、その手には宝玉が握られていた。

 その玉をセスに投げ渡す。


「奴らの居場所が特定できたら、それを渡しに行け。転送してやる」

「まさか!」


 シャナンは声を上げていた。


「宝玉は聖地の鍵です! 奪われるのを防いだというのに、こちらから渡すと言うのですか!? そもそも、長老会が許すはずが……」

「危険因子を除くのが私の務めだ。こちらからの干渉が許されぬ以上、ルシナが来るのを迎え撃つしかない」

「詭弁を――宝玉というエーゼの秘宝をセルドナへ持ち込む時点で、許されぬ干渉のはず。ならば以前のように単身でセルドナへ向かう方が、余程合理的です。……あなたはルシナを聖地に招いて、この状況をこじらせるのが目的なのですか?」


 ネオスはかすかに笑みを浮かべながら言う。


「だとしたら、どうだというのだ」

「ネオス!」

「全てに長老の許しを得る必要はあるまい。この件に関しては、私に一任させるように決定させればよいだろう。どうせ私以外の誰にも、ルシナを処理することなどできないのだから」

「……ルシナは聖地へ来る術を失った。これで十分でしょう」

「一時の凌ぎに過ぎぬ。それに、気になることもあるのだ」

「気になること……?」

「内通者がいるかもしれない」


 シャナンはどきりとした。

 ネオスは幸いシャナンを見ていなかったが、もし表情を見られていたら動揺を見透かされたかもしれない。


「リリエルたちと行動を共にしていた時……妙な気配があった。何か、力に包まれていたような……レイハの剣ではない。もっと別の力だ。その正体はわからぬが、気になる」


 ネオスの言う何かの力――シャナンの念視を妨害していた力と同一のものだろうか。


「どちらにせよ、確かめる必要はある。――理由はこんなもので十分だろう、シャナン。長老会の半数以上は、今や私の支持勢力になりつつある。イレイデルたち保守派が吠えたところで、多数の判決がそのまま長老会の議決となるのだ」


 ネオスの双眸が夜空にちりばめられた無数の星々を映す。


「美しい。……闇……光……闇の中の、光」


 シャナンもセスも、寝転んでいるネオスを黙って見ていた。


「ルシナ……光の名を持つ、闇の化身。闇とは、不思議なものだ。ヒトの心を惹きつけずにはいられない。ヒトは恐れを抱きながら、その深淵を覗き込まずにはいられない……」


 呟きながら、ゆっくりと瞬きをする。


「ヒトの身にはあらずとも……私も、その中の一人か」

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