子供が語る昔語り7
男は娘と共に行動するようになった。
一緒に食事をし、山を育み、春を待った。
「行くのね」
扉に手をかけた男に娘は声をかけた。
「起きていたのか」
目を閉じたまま、横たわる娘は微笑む。
「そろそろかなって思っていたから」
男は振り返らず、娘も動くことは無かった。
「夢は覚めるものだから」
「その夢の世界で生きていこうとは考え無いんだね」
娘は男が山を降りる事を予測していた。
村に帰る道が開かれる、雪解けの季節に去るのだろう、と。
二人の沈黙の間には鳥のさえずりが流れていた。
「私は、永遠の幸せなんて信じていないの。でも、まだ眠っていたいから」
娘は男に背を向けるようにして寝がえりをうった。
「もうひと眠りして、起きる事にするわ」
膝を引きよせ、深く息を吸う。
「夢の名残は少ない方がいい。戸棚の上のものは処分して行って」
「そうだね。夢の名残はない方がいい」
扉が開いた音に反応して娘の肩が跳ねる。
静かに閉められた扉に、振り返るまい、何も流すまいと瞼に力を込め、薄い木の向こうの足音に耳を凝らした。
その音が遠のき、消えるのを待っていた。
ぽろり、零れた何かが娘の中でせめぎ合い、僅かばかりの抵抗が虚しくも堰をきってしまう。
一度溢れたものは容易に止めることはできない。
娘は早々に諦め、膝の上で握りしめた手と重い溜息とともに嗚咽を吐き出した。
溜息は春を夏を秋を呼び込む風のようだった。
冬が、風も凍らせ、雪を呼ぶ。
何度、夢の名残を散らそうとも、娘の頭から足音は消えそうになかった。
年々、少しずつではあるが山は豊かになり、人の干渉を受けない年が続く中で娘は生きていた。
小さな足音など獣の駆ける音に混じり、分からなくなる程山の声を聞く。
そんな穏やかな生活に身を委ね、輪郭はぼやけていながらも、生き方が見え始めた頃だった。
突如として、静寂を焼き払うような音が鳴り響く。
獣避けの鐘の音に獣達は怯え、走り去っていく。
「何故」
たくさんの足音が山を踏み荒らす音が聞こえていた。
「何故、壊してしまうの」
唇をかみしめ、耐えてきた。
娘は優しかった人達を苦しめるばかりの麓の村人が憎くて堪らない。
そんな人達がそんな気持ちでいると知ったら、どんなに悲しむだろう。
愛する人が愛した山ならば、愛し、守ろう。
愛する人が守ろうとした村であるならば、守り、慈しもう。
「犠牲にはならない」
娘が男と分かれた時に誓い、それを支えにして生きてきたのだった。
「山神など信じていない?」
それがどうしたことと言うのだ、娘は吐き捨てるように呟いた。
「信じられないなら、信じさせてあげようじゃない」
陽の光をさえぎる長い髪の中で不敵に笑う。
「末代まで恐れおののき、語り継がれる恐ろしい山神を」
温かな光の差し込む場所で、陰った瞳は炎をあげていた。