子供が語る昔語り12
「山に帰りたいか」
行く宛ても無く駆けだせば、結局見覚えのある場所に娘は立っていた。
後ろから掛けられる声に、振り返ることはできない。
感情が邪魔して優しい声さえも遠く聞こえてしまう。
「あの夢はお互いが何も知らないから優しいものだった」
まどろみの中、娘は何度も揺り椅子に座る男を思い浮かべていた。
「けれど、そんなものはいつか崩れるものだよ」
揺り椅子が揺れている音を期待した朝はことごとく裏切られる。
「居心地の良いもの程、少しの傷が許せないものなんだ」
触れられたくない場所がお互いにある事を知っていた。
ソレに触れないように日々の小さな幸せを分け合っていた。
「本当はあの優しい場所を壊してしまうのが怖かった」
目耳を塞いで、暖かな陽だまりの中で生きていけるなら、どんなに良かっただろう。
汚いもの、辛いものに蓋をして、互いの体温を感じているだけで満足できるならそれで良かったのかもしれない。
「恐れるばかりで、表面を撫でるばかりだった」
「でも、それは『生きてる』って言わないんじゃないか?」
幸せ、だった筈だ。
現に思い出すことは穏やかな生活に優しい人。
痛みの無い世界は、とても都合がいい。
自身が傷つかない為の世界。
自分の思うように造って。
「お互いの傷を舐めあって」
自分の望む偶像を押しつけていやしなかったか。
「可哀想な自分に浸っていたんだと思う」
それは本当に、自分が欲しかった幸せだったのか。
一人になって過ごした年月を娘は数えなかった。
ただ、ひどく長く感じながら生きていた。
「君と一緒に生きたい」
できるなら、足音を追って、手を掴みたいと望んだその手が目の前にあった。
「まやかしじゃない、君を知りたい」
人、と言うものは未知なものに怯える。
だからかもしれない。
離れるまいと思っていたのに、手を取れないのは。