子供の語る昔語り11
身体を固くした娘の様子に、男は背を抱き込むようにして一番奥の椅子へと誘導する。
促されるまま腰をつけ、俯く。
「あの日、俺達があの山を登った理由を聞いてほしい」
気になっている事がむすめにもあった。
あれ以来、村人は山に入っていない。
山の権利を欲して、攻め入った訳でもなく、生贄と言う負の歴史の生き証人を屠ろうと言う訳でもなく。
むしろ、甲斐甲斐しく世話を焼くのである。
「それは、どういう意味かしら」
娘が覚えているのは他者を威嚇するように打ち鳴らされる銅鑼の音と怯えているかのように震える山。
一月と言う時間は今までのどんな季節より長く感じる程に、たくさんの出来事と感情が渦巻き、警戒せずにはいられなかった。
現在も自分の待遇に首をかしげながらも人間を信じることはできずにいる。
「君に悪い、とは思ったけど調べさせてもらった」
男に促され、怪訝な顔をしつつも紐で綴じた紙束を受け取ると目を走らせる。
娘の様子は驚きから、緊張へと移る。
一文章読むだけで、懐かしい記憶が引き出され、引き摺りこまれるように読み進み、はたと自分の状況を思い出して手を止める。
紙の擦れる音が止んだ時には、人を刺殺せるような視線を男に向けていた。
「誰が書いたか聞いてもいいかしら?」
娘の声は突き刺すように放たれた。
それをものともせず、男は娘の手から紙束を取り、最期のページを指差す。
「誰が書いたか、俺が聞いても?」
娘が知らないことを探しだしてきた男には予想が付いているに違いない。
それをあえて聞く意味を推し量る為には娘の経験値は少なすぎる。
「私の母よ」
求める答えそれだけではないらしい。先を促すように頷く男に溜息を吐いた。
「母が山神について調べていたなんて、私は今の今まで知らなかった」
祖母の話と山神のお伽噺。村の人間から聞いたその頃の村の状況。
麓の村にも度々降りていたことが窺える文章に娘は目が離せない。
誰もが息をつめて、反応を窺っているようだった。
「……全てを知った上であそこにいたってことなんだね」
震えるその声だけが、意味を持っている。
「私だけなんだ」
何も知らず、知ろうともせず。
流れに任せて、悲しみに浸って。
悲劇に浸って、人を恨んで。
これが『足元が崩れていく』という感覚か、と自嘲する。
「二人は幸せだった。きっと、過去を水に流せるくらいに」
独り、それが酷く心に堪え、静かに立ちあがる。
娘を引きとめるものはいなかった。