7話 黄昏
シャルム国王の葬儀は終わった。
多忙な外務大臣のルスカが帝国へ戻り、短期留学が許されたアリアとフロースは準備に追われる。
そして、少しの暇を見つけたフロースは、家族とオーデン伯爵へ手紙を書き、ふとペンを休め、目を窓の外へやった。
夕闇が、静かに、王宮の庭へと沈んでいくようだった。
フロースは、エスペビオスから遠く離れ、こうして、黄昏時の刻一刻と美しく色を変えていく庭を眺めながら、ふと寂しさに襲われる。
自分は、これからどこへ行くのだろうと思ったのだ。
葬儀に参列したことが、彼女に、何のために生きるのかを考えさせていた。
その時、ドアが開き、アリアが入って来て、
「フロース、明日、わたしたちは、王宮の教育施設の近くの棟に移るそうよ」
と言った後で、彼女が手紙を書いていたのに気付いた。
「あら御免なさい。邪魔したかしら」
「いえ、もう終えるところです。
ちょっとお待ちください」
フロースはそう言うと手紙を封筒へ入れ、雑用係に渡した。
「そう言えば、あなたは、婚約者と三ヶ月も離れることになるわね」
「ええ、そうですが、大丈夫です。
毎日は無理でしょうが、出来るだけ手紙を書きますから」
アリアは、それを聞いて驚く。
フロースは、看護学校で学んでいることが面白く、今までも、そのことを手紙に書いていた。
ところが、伯爵が彼女の話を煩わしく思っているのを知らない。
伯爵の関心は、美しい人形のようなフロースで、彼女の知性や知識に興味などない。
看護学校へ通うのも反対したいのだけれど、皇帝の命令には逆らえず、
出来るだけ早く辞めさせたいと思っていた。
元々、フロースに看護学校へ行くよう仕向けたのは、父のディフォーレスト子爵だった。
フロースの貞節さが皇帝に認められたからで、何より子爵は、これによって娘を伯爵の呪縛から救えるかもしれないと思ったのだ。
伯爵があまりにも巧妙に事を運んだので、先にフロースが伯爵の求婚を受けてしまい、事態を防げないでいた。
彼女を寄宿学校に入れたままでも、貝のように自分を閉ざして貞節を保ち続けるだけで、その学校はと言えば、良き妻になる勉強しかさせない。
子爵は、今になって、賢いと思っていた娘を、あまりにも世間知らずに育ててしまったのを悔いていた。
男の子と違って、女の子は、幼い時から女を思わせるところがある。
フロースは、恥じらいと自分の身を守ることは教えられていたのだけれど、
男が官能的な欲求を持って女を見ると言うことについては、何も知らなかったのだ。
そんな男である伯爵は、結婚するまでは彼女の会話に合わせるようにし、
面倒くさい話は手紙に書かせていた。
届いた手紙は執事が読み、必要な情報だけを伯爵が受け取り、返事も執事が書く。
そんなこととは知らないフロースは、三ヶ月も伯爵をほっとくことになるので、出来るだけ手紙を書こうと思っていた。
さらに、心配させないため、イベリスについては書かないことにする。
若い男性が彼女に近付くと、伯爵は不機嫌になるからで、それは自分を愛するゆえの嫉妬だと思っていた。
手紙は、その人の心を映し出すことがあり、
フロースのイベリスへの関心も表れるはずなのだけれど、
手紙を直接に読まない伯爵に伝わることはない。
そしてアリアは、彼女が毎日のように手紙が書けるほど伯爵のことを愛しているのだろうかと不思議に思っている。
それで、
「あなたが伯爵を愛しているならいいけれど、私は自分が愛した人とでなければ絶対に結婚しないわ」と言った。
フロースは、そのアリアを微笑ましく思いながら答える。
「そうですね。姫様にはそのように自由に考えるところがございます」
フロースは、そんなアリアが好きだった。
自分にはない清々しい力のようなものを感じる。
周りの人々は、この、したい放題の皇帝の末娘を許してしまうところがある。
その天真爛漫な性格は人々から愛されていた。
「それで姫様は、看護学校に入学されたんですものね」
そのフロースの言葉に、アリアは、ほのかに顔を赤らめる。
「姫様は、看護学校へ行かれなくても、皇帝陛下におねだりすれば、
わたしの父は喜んで姫様とカイとの結婚を承諾するはずなのに」
「フロース、わたしがそんな事をするはずないでしょう!? あなたと同じようになって欲しくないわ!」
アリアのその言い方は、フロースの心を突き刺すのだけれど、
フロースには、彼女の言おうとしている意味が分かっていた。
アリアには本当の意味での高貴さがあり、愛する者の幸せを望み、立場を利用して自分の思いを押し付けるような姫ではない。
そこがオーデン伯爵と違うのだけれど、フロースは、自分に向けられた嘘に気付けないでいる。
分別を持っている人でも、欺かれれば、驚くほど騙されることがある。
フロースは、純粋に、伯爵が自分を愛していると思い込んでおり、
高貴さは心から来るものなのを見抜けず、誰もそれを彼女に気付かせることが出来ない。
「そうですね。私は、そんな姫様が大好きですよ」とフロースはアリアに優しく言った。
「きっとカイも、いつか、姫様の気持ちに気付くでしょう」
「本当にそう思う?」
そう質問するアリアの大きな目は、王宮の庭にともった灯りのように、
キラキラと光りながらフロースを見つめる。
フロースは、答える代わりに、穏やかな表情でうなずいた。