3章 エルナト 1話 雲の惑星
アクィラの戴冠式が行われ、ウィリディス王国は新王を迎えた。
それは同時に、イベリスがこの国を去る時が来たということで、自分はこの日をどんな気持ちで迎えるのだろうと思っていたのだけれど、何の感情も起こらなかった。
彼の問題は、まだ解決していない。
そして、アリアとフロースは、惑星ラーウスを訪問する許可を本国から得ている。
それは公式のものではなく、二泊の小旅行で、イベリスは、戴冠式に来ていた帝国の国務大臣を誘ってみた。
国務大臣は、関心は無いとでも言うように「日程が詰まっている」と断る。惑星ラーウスは偏狭の村社会でしかなく、帝国の要人が行くような惑星ではないのだ。
この誘いは彼の反応を見るためのもので、イベリスは、これでルスカのエルナトへの関心は個人的なものだと確信したのだった。
イベリスは、相変わらず自分がラーウスへ戻るのかどうかについて口を閉ざしている。
アクィラと分かれる時も、まるでその日の仕事を終えて帰るかのようで、それはまだここでの仕事を続けるという意味にも取れる。
アクィラも、「では、また明日」とでも言うような感じで、何も言わなかった。
そしてラーウスへの出発の日、アリアとフロースはイベリスを見て驚いた。
彼は髪を切り、簡素で動きやすいラーウス人の民族服を着ていたのだ。
「イベリス、見違えたわ!」
「髪を切りましたからね」
イベリスは、短くなった自分の髪に触りながらアリアに答えた。
その髪は、明るい色で柔らかく、はにかむような笑顔に良く似合う。
「なんだか別人のようよ。ねえ、フロースもそう思うでしょう?」
そう言ったアリアに、フロースは微笑むだけで何も言わない。柔らかなのに、頑なに自分の心を閉ざしている。
フロースは、イベリスに動揺する気持ちを奥底に隠そうとしていた。
王宮を離れたイベリスは、一人の若い男性で、彼の近くにいたいと言う気持ちと、そうしてはいけないと言う気持ちの狭間で揺れている。
彼女は、婚約者の「オーデン伯爵のことだけを思わねば」と自分に言い聞かせ、時間があれば伯爵に手紙を書いていた。心の中で、「伯爵、助けて下さい」と叫んでいる。
ところが彼は、ディフォーレスト子爵の目を盗んで妾と旅行へ出かけていたので、返事などするはずはない。待っても助けのないフロースは、一人にされてしまったようで、大海に、あてもなく漂う丸木舟のように感じる。
そして、イベリスへの思いだけが募っていく。
さて、ラーウスは、雲に覆われた小さな惑星だった。
惑星全体は熱帯雨林気候で、雲が温室の働きをしている。そして一ヶ所だけ雲が切れる所があり、そこだけは温暖気候なので多種多様の植物が生えている。雲は朝になると消え、熱を放出し、深夜過ぎには戻ってくる。
人々の多くは、その地域に住んでいた。
惑星には、ゆるやかな雨季と乾季があり、雨季には植物が良く育ち、朝方に雨が降る。
大海は無いのだけれど、水質の良い川と湖が多く、塩分を含んだ湖もある。また火山が多く、温泉もあちこちに噴出している。地殻変動は少ないので地震も少ないのだが、火山性地震が起こることはある。
山は高くても二千メートルを越えるくらいで、あとはローリングヒルと呼ばれる低い山が多く、平地はほとんどなかった。
大きな町は、人口ニ千人の首都サライだけで、人々は谷間や丘陵地の村に住んでおり、自然農法の自給自足で生活している。天然ガスや地熱発電プラントはあるものの、小規模のものでしかない。
それで、ラーウスの唯一の産業は、薬草の輸出だけだった。
ラーウスの薬草は最高級品の一つだ。
ウィリディス王国が安定した買い取りをしてくれるので、景気の変動もほとんど無く、人々は、この温暖な気候の惑星で、静かに暮らしていた。
イベリスは、アリアとフロース、そして三人の大使館職員の随行員たちと共に、サライの宇宙空港へ降り立った。
ロセウスは、エスペビオスのように進んだ都市だったので辺境の地という感じではなかったけれど、このサライは正にそれだった。アリアは、辺境の地とはどんな所だろうと興味があったので、ここへ来て、やっと目的を達成したという気がしていた。
フロースは森に親しんで育ったので、自然に囲まれたサライに故郷のような郷愁を感じる。
そして一行は、町のはずれの民宿へ向かった。そこはイベリスの親族が経営しているもので、警護の点からもやりやすいと大使館側に説明していた。とはいうものの、それは、彼らを安心させるためのもので、宿泊施設はどこも同じなのだ。互いを知り、鍵もかけないこの町で、不穏な動きは目だって犯罪の起きようもない。
サライに裁判所はあるが、会議所と併用しており、隣接している刑務所は名前ばかりで誰も入っていない。
たまに酔っ払って喧嘩した者が刑務所で寝泊りすることもあるが、食事は出ないので、自分で買い物へも行かねばならず、書類審査が終わるまでそこで待たねばならない。その間は仕事も出来ず、その不便さが罰とも言える。
さらに、車もほとんど見かけない。人々は、ロバや荷馬車に乗るか、歩くかで行き来している。そもそも平地がないので、滑走路や道路は少なく、それらが必要な乗り物は不便なだけなのだ。
アリアたちが泊まる民宿も、薬草の収穫期に客が来るだけで、季節はずれは閑散としている。今は収穫が始まるころで、忙しくなりそうな時期だけれど、まだ少し先のことらしい。
「面白いくらいに、何もない所ね」と、アリアが言った。
イベリスは、今ではアリアの正直な表現に慣れている。
それで、「自然は豊かですよ」と笑顔で答え、
「それに、こんな所だから、人々は安心して生活できるのです」と付け加えた。