8話 迷子
イベリスは、王宮へ戻ると、帝国の外務大臣ルスカに関する情報を取り寄せた。
帝国の真意を確かめなければならない。
これでルスカが、あの公文書をアリアに送ってきた理由がはっきりした。
「やはりエルナトなのだ」とイベリスは思った。
帝国がそのことについて語るのは、今の皇帝になって一度もない。
もちろん、忘れているはずはない。
いつか帝国は、それを持ち出すのだけれど、今がその時とも思えない。
ルスカがアリアに告げたのは、深い意味はなかったとしても、用心した方がいい。
こうなると、自分がエスペビオスへ行くのは都合が良いのかもしれないと思ったりする。
アリアとフロースの授業が再開し、イベリスは、さらに忙しくなっていた。
アクィラの戴冠式は近付き、惑星訪問もあったし、王の助言者を止める準備もしなければならない。
授業も、半日の日が多くなっていた。
その上、こうして、ルスカが何を企んでいるのかを調べなければならない。
ある程度調査してからアクィラに伝えるつもりなのだけれど、どれだけ調べても何も分からない。
時間を取られるばかりで、ベリスの睡眠時間は少なくなっていた。
「今日は終わりにして、早く休もう」と思ったイベリスは、自分のオフィスを出ようとする。
そこへ、アリアが飛び込んできた。
「フロースが戻らないの!」
その日イベリスは、授業を午前中だけにして、午後は自習にするつもりでいた。
ところがアリアは、帝国へ注文していた品物を受け取ったので、ハダサへの贈り物を届けたいと言う。
イベリスはそれを許可し、フロースは手紙を書くので残ったのだ。
フロースが手紙を書き終えると、椅子の上の、チョコレートの入った小さな箱に気付く。
それは、帝国の有名なチョコレート店のもので、アリアが忘れていったのだ。
誰かに届けさせようかと思ったのだけれど、自分で持っていくことにする。
と、そこまでがアリアの知っているフロースの行動だった。
フロースはハダサの所に現れず、夕食時になっても戻らなかったのだ。
イベリスは、広い王宮で迷子になる人は珍しくないので、警備員に捜させようと言った。
ところがアリアは、それではだめだと言う。
フロースの性格からして、騒ぎになれば、恥ずかしさのあまり、帝国に戻る日まで自分の部屋に閉じこもってしまうかもしれない。
イベリスは、そうなのかと思う。
実は、これは、アリアの謀だった。
もちろん、フロースが迷子になったのは事実だ。
とにかく、恥ずかしいからといって、フロースが従者としての役目を放棄するはずはない。
アリアは、イベリスが王の助言者でなくなるので、二人をくっつけるチャンスだと思ったのだ。
イベリスは、アリアに自分の部屋で待つように言い、監視カメラ室へ向かう。
記録からフロースを見つけるのは簡単だったのだけれど、彼は、フロースの取った行動が信じられなかった。
ふらふらと歩き回ったあげく、反対の方へ行ってしまったのだ。
しかもフロースは、携帯電話など持ったことがないので、連絡もできない。
過去の情報を繋ぎ合わせ、現在いる場所も確認し、従者一人と警備犬を連れて迎えに行く。
警備犬は、迷子を捜す訓練もされているので、フロースを見つけるのは簡単なはずだった。
イベリスは、文明の利器を使うことは大切だけれど、最終的には自然の力に任せる方が良いと思っている。
それはラーウス人が良く理解していることで、ウィリディス王国も、自然と科学を調和させている。
ところがフロースの行動は、どちらをしても図れないものだった。
フロースは、自分が迷子になったと気付いた時、すぐに庭師に道を聞いた。
庭師は、「ここは『一般人の庭』で、かなり遠くへ来ている」と言って地図を見せて戻り方を教える。
「一般人の庭」とは、週末に市民に開放する庭のことだ。
フロースは、この庭を楽しんでいたのだけれど、彼が見せた地図は逆さまだったので、反対の方へ歩いて行く。
それで、いつまでたってもたどり着けないので、来た道を戻ることにした。
彼女は森を歩くのには慣れており、庭も問題ない。
問題なのは、暗くなれば、辺りの景色が見えなくなることだった。
しかも、誰もいないので頼ることも出来ない。
おまけに、近道をしたイベリスとも行き違いになっていた。
フロースは、疲れ果て、足も痛くなり、これ以上歩けないと思った。
ふと、自分が「王妃の庭」に紛れ込んでいることに気付く。
ここは、アリアと何度も訪れている。
のどが渇いていたフロースは、池へ行くことにした。
飲んでも大丈夫なのかは分からなかったけれど、どちらにしても、そこで一休みするしかない。
イベリスも、フロースが引き返した所まで行ったものの、警備犬がそれ以上進まないので戻ることにする。
再び元気良く嗅ぎまわる犬だったけれど、自分はへとへとだった。
ところが、フロースはうろうろしながら歩いているし、「王妃の庭」に近付くと、彼女の匂いはあたり一面に散らばっている。
監視カメラも、イベリスが出た後は、もとの仕事に戻ったので、フロースを見失ってしまっている。
つまり、お手上げだったのだ。
イベリスは、こんなに捜しても見つからないフロースに呆れていた。
これは、王宮の人間を総動員して捜すことになりそうだとも思う。
彼女を見つけられない自分を、腹立たしいとも思っている。
そこで、ふと、「王妃の庭」の池を思い出した。
何となく、フロースがそこにいるような気がしたのだ。
それは、彼女を遠くに感じたあの時が、彼の心に焼き付いていたからだった。
イベリスが木の枝を掻き分けて池を見ると、そこにフロースがいた。
彼女は、あの平たい岩に跪き、身をかがめ、両手ですくった水を飲もうとしていた。
フロースが、枝が揺れる音に振り向く。
その姿は、池を照らしている灯りに浮かび上がり、彼女の髪は水面に垂れ、まるで水の精のようだ。
フロースは、木々の間から現れたイベリスに驚き、急に胸の高鳴りを感じる。
彼は自分を捜しに来てくれたのだと思うと、嬉しくて、心が解けていくようだった。
そして、「ああ、王妃様、どうか、わたしの愛を目覚めさせないでください」とつぶやき、水を口にふくむ。
その瞬間、イベリスが叫んだ。
「フロース! その水を飲むな!」
その夜遅く、イベリスはアクィラの部屋に呼ばれた。
フロースの迷子騒ぎを聞いたからだけれど、ルスカのことも聞こうと思ったのだ。
「やはり、そうか・・・帝国は、エルナトを警戒していると思うか?」
その質問にイべリスは答える。
「かなり調べましたが、警戒しているとは思えません。
これは恐らく、ルスカの個人的な興味でしょう。
それをプリンセスに言わせて、こちらの反応を見ているのかもしれません」
アクィラは少し考えるとイベリスに言った。
「面白いではないか。
では、イベリス、お前があの二人をエルナトへ案内してくれ」
「エルナトへですか!?」
イベリスは驚く。
「ルスカの興味を冷やしてやろう。
でなければ、いずれ、それが膨らむかもしれない。
今の内に、危ない芽は摘んでおいた方がいい。
どちらにしても、辺境のさらに奥の惑星の要塞だし帝国が恐れる必要はない。
だが、もし、まだ機能しているのを知れば、こちらへ付け入ってくるかもしれない。
せいぜい、はねっかえりのプリンセスに見てもらい、報告してもらおうではないか」
アクィラは、アリアを騙すのは簡単だと思っている。
「分かりました。
戴冠式の後、わたしはラーウスを訪問してからエスペビオスへ行くことにしていたので、その時、彼女らも一緒に連れて行きましょう」
そう答えるイベリスは、ぐったりと疲れている。
アクィラは、「彼女らに振り回されているのだな」とおかしく思うのだけれど、心配でもある。
それで、
「イベリス、明日は休め」と言った。
次の日の朝、イベリスは秘書に起こされ、アリアがロセウスの街に出かける許可を求めていると言われた。
フロースは飲んだ水が体に合わなくてお腹を壊し、イベリスも休むので、暇になったアリアは出かけたいと言うのだ。
夕べ、二人をくっつけようと画策していたアリアは、戻って来た二人が、疲れ果て、ぼろぼろになっているのを見て、自分の策は撃沈したのだと思った。
そして、二人が休んでいるのをいいことに、買い物に出ることを思いつく。
もちろん、アリアはフロースと買い物をするのが大好きだ。
とはいえ、従者は付くとしても、一人で街へ出るような気分になり、わくわくしている。
今でも、二人をくっつけるチャンスはあるのに、詰めの甘いアリアは、やはりティーンエイジャーなのだ。
起こされたイベリスは、迷惑そうに、
「好きなようにさせてやってくれ」
とだけ言って、頭からブランケットを被って目を瞑る。
そして、この日、自由になったアリアは、フロースのベッドの横にチョコレートの小箱を置き、
腹痛で、しばらくは食べられるはずもないのに、
「フロース、元気になったら、これを食べてね」
と言って出かけた。