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第7話 スライム相手にだけは妙に強い

翌朝、新堂ユウトは、騎士団本部の中庭に響く訓練用の掛け声で目を覚ました。


 昨日までなら、異世界の朝だなあ、くらいの感想で済んだかもしれない。

 だが今の彼にとって、穏やかな朝というものは逆に不安だった。


 静かすぎると、次に何か来る。


 王都へ着いた。

 魔導院で結界を壊した。

 神殿で穢れを散らした。

 そして《震界の魔杖》だの《律動の聖杖》だの、勝手に二つ名まで増えた。


 ここまで来ると、次に何が起きても大抵は嫌な方向へ転ぶ気がする。


「……今日は何もありませんように」


 机の上の紙袋へ向かって、小さく祈る。

 もちろん中身は沈黙したままだ。


 だが、その願いが叶う気配は、朝食の席で早くも潰えた。


 騎士団本部の食堂で、固めのパンと具だくさんのスープを前にしていたユウトのもとへ、レティシアが慌ただしい足取りで現れたからだ。


「ユウト殿」


「はい、来た」


「何がですか」


「いやもう、その顔してる時点で絶対ろくでもない話だなって」


 レティシアは一瞬だけ目を瞬かせたが、否定はしなかった。

 つまり、やはりろくでもない。


「王都近郊の灌漑水路で、スライムの大量発生がありました」


「スライム」


「はい」


 言われた単語自体は、ファンタジーの定番すぎて一瞬だけ緊張が緩む。

 スライム。あの、ぷるぷるしたやつ。たぶん。


 だがレティシアの顔は真剣そのものだった。


「被害は?」


「今のところ死者は出ていませんが、農地と水路が止められています。通常種なら焼却か凍結で対処できますが、今回は水系の亜種が混じっているらしく、魔術が抜けやすいとのことです」


「へえ……って、詳しいな」


「騎士団としても対処経験があります」


「じゃあ騎士団だけでなんとかなるんじゃ」


「本来なら」


 そこで彼女は、ほんのわずかに間を置いた。


「ですが、魔導院から“あなたも同行を”と強い要請がありました」


「うわあ」


 声に出た。


 すると、ちょうど食堂の入り口から、聞き慣れすぎた声がした。


「うわあ、じゃないわよ」


 黒髪、金縁眼鏡、朝から一切隙のないきっちりした装い。ミリス・アークライトである。しかも今日は助手らしき若い研究員を二人引き連れていた。大掛かりになってきている。


「昨日の実験で、あなたの兵装は高位結界へ極めて強い干渉性を示した。つまり、流動的な魔力構造を内側から崩せる可能性がある」


「朝食中にそれを言われても頭が回らないんだけど」


「簡単に言うと、スライムに効くかもしれない」


「最後だけでよかったな!」


 ミリスはテーブルへ近づき、ユウトの向かいの席へ当然のように腰を下ろした。

 最近この人、遠慮という概念を捨て始めていないか。


「現場ではすでに通常兵装が通りにくいという報告が出ている。剣は切ってもすぐ再生、槍は抜いたときに絡みつかれる。火は一時的に蒸発させても、水系亜種には決め手にならない」


「魔法でもだめなんだ」


「効くけど薄い。水路に広がってるせいで、局所殲滅が難しいのよ」


「で、俺?」


「あなた」


 断定だった。


 ユウトはパンを置き、深く息を吐いた。


「なあ、ひとつ確認していい?」


「なに」


「俺って最近、便利な道具扱いされてない?」


「便利かどうかは検証中よ」


「もっと悪かった!」


 レティシアが小さく咳払いする。


「同行は強制ではありません。ですが、現地の被害が広がれば農村部へ影響が出ます」


「そう言われると断りづらいんだよなあ……」


 王都に来てから、断りづらいことばかり増えている。

 いや、断りづらいように皆が話すのが上手いのかもしれない。ずるい。


 けれど、ここで「嫌です」と言って動かずにいると、後で絶対気になる。誰かが困っていて、自分の持ち物が役に立つかもしれないなら、試さないのも後味が悪い。


「……行くよ」


 そう答えると、ミリスが満足そうに頷いた。


「そうこなくちゃ」


「その言い方、俺に拒否権なかったみたいで嫌なんだけど」


「気のせいじゃない?」


「気のせいにしてくれよ!」


 レティシアは静かに言う。


「出発はすぐです。準備を」


「はいはい、分かりましたよ……」


 朝の穏やかさは、やはり長くは続かなかった。


   ◇


 王都近郊の灌漑地帯は、石造りの水路が何本も走る広々とした土地だった。


 整然と区切られた畑。低い石垣。用水を引くための水車。遠くには農家の煙突から白い煙が上がっている。のどかな風景――だったはずなのだろう。


 今は、そこかしこで透明な塊が蠢いていた。


「うわ……」


 馬車を降りたユウトは、思わず顔をしかめる。


 スライム。

 想像していたより大きい。子どもの胴ほどのサイズから、人が抱える樽ほどのものまでいる。半透明の水塊のような身体が、ぬめりと地面を這い、水路の中にも畑のあぜ道にも広がっていた。陽の光を受けてきらきらして見えるのに、近くで見るとかなり気味が悪い。


 そして、その周囲では騎士団と地元の自警団が対応に追われていた。


「右へ回せ!」

「水路を塞ぐな、下流に流れるぞ!」

「火術班、もっと絞れ!」

「駄目です、すぐ薄まります!」


 混乱している。

 剣を振った兵士の前で、切断されたスライムが二つに分かれてぴちぴち跳ね、それぞれが小さな個体として動き出すのが見えた。


「うわ、最悪」


 ユウトが引いた声を漏らすと、横でミリスが真面目な顔で頷いた。


「最悪よ」


「そこは同意なんだ」


「不定形の魔物は、対処法を間違えると被害が増える」


 彼女は観測用の板を片手に、現場へ視線を走らせる。


「見て。切断が有効な個体もいるけど、水系亜種は体積が減るだけで核が残れば再構成する」


「核?」


「魔力の中心。あそこ」


 言われて目を凝らすと、大きめのスライムの中心に、ほんのり青い光の粒が見えた。

 あれが心臓みたいなものなのか。


 レティシアはすでに剣帯へ手を置き、現場指揮官らしい騎士へ近づいていた。事情を聞き終えると、すぐこちらへ戻る。


「下流側で数が増えています。排水門へ達すると面倒です」


「面倒っていうかまずいのでは」


「はい。町側の水路に入られれば被害が広がります」


 言葉に遠慮がなくなってきた。良い傾向なのか悪い傾向なのか分からない。


 そのとき、水路沿いで悲鳴が上がった。


 一人の若い兵士が、足元へ回り込んだスライムに絡まれて転びかけている。剣で払おうとしたが、刃がぬるりと抜けてうまく切れない。別の個体まで這い寄ってくる。


「危ない!」


 レティシアが地を蹴った。


 銀青の騎士服がひるがえり、一瞬で兵士の前へ入る。

 剣閃が二度、三度と走り、最前列のスライムを弾き飛ばす。だが、剣で切られても崩れるだけで、核を潰せなかった個体はすぐに形を戻してしまう。


「くっ……!」


 レティシアが眉を寄せる。


 その表情を見た瞬間、ユウトの背中に冷たいものが走った。

 この人がああいう顔をする時は、本当に厄介な相手なのだ。


「ミリス!」


「分かってる!」


 ミリスが杖を掲げ、詠唱とともに水路の一角へ薄青い氷結魔術を走らせる。数体のスライムが半ば凍りつき、動きが鈍る。だが全部ではない。水の流れと混ざった個体は、そのまま細く伸びて別の場所へ逃れていく。


「完全固定しきれない……!」


「だから言ったでしょう、現地の水量が多すぎるって!」


 現場の状況は、想像以上に悪かった。


 ユウトは水路の縁に立ったまま、紙袋の持ち手を握りしめる。

 まただ。結局また、自分の出番になりそうな流れになっている。


「……なあ」


「なに」


 ミリスが振り返る。


「俺、どうすればいい」


「理想は核まで振動を届かせること」


「そんな理想論でやれるほど俺、兵器のプロじゃないんだけど」


「知ってる。でも、たぶん近づければいける」


「根拠は」


「ない」


「ないのかよ!」


「でも昨日、結界は外側から崩れた。なら、流動体内部へも波が伝わる可能性がある」


 理屈は分からない。だが、この人がこういう顔をしている時は、大抵なにかしらの筋道は立っている。


 レティシアが短く言った。


「私が前を開けます」


「え?」


「あなたは核を狙ってください」


「いやだから狙えるほど器用じゃ」


「大丈夫です」


「なんでそんな信じてるの!?」


「これまで、あなたはどうにかしてきました」


「全部どうにかなっちゃっただけだよ!」


 叫びながらも、ユウトは前へ出た。


 怖い。

 めちゃくちゃ怖い。


 だが、いま足を止めれば、レティシアや現場の兵士たちがさらに無理をする。しかも相手はスライムだ。剣も槍も通りにくく、魔術も決定打にならない。だったら、もう試すしかない。


 紙袋からそれを取り出す。


 薄桃色の、場違いな質感。

 こんな田園水路の真ん中で構えていい見た目では絶対にない。


「ユウト殿、右から二体!」


「えっ、もう!?」


 レティシアの声に反応して振り向く。

 半透明の塊が、水路の縁をぬめりと滑ってこちらへ這ってきていた。


「うわっ、来るな!」


 反射でスイッチを入れる。


 ぶぉん。


 低い振動音が立ち上がった瞬間、掌から腕へ、いつものように細かな震えが走る。

 だが今回は、相手が相手だった。


 最前列のスライムへ先端を近づけた、そのとき。


 ぶるり、とスライム全体が揺れた。


「……え?」


 透明な身体の内側で、波紋のような震えが一気に広がる。表面ではなく、内部だ。水の塊の中を見えない何かが走り抜け、中心にあった青い核がかすかに明滅する。


 次の瞬間、スライムは音もなく崩れた。


 ただ地面に広がるのではなく、細かな水滴になって霧散するように消えたのだ。


「…………」


 ユウトが固まる。


 今の、何だ。


 だが立ち止まる暇はなかった。二体目が横から這い寄ってくる。反射的にそちらへ向けると、同じだ。表面ではなく中身が震え、核がぶれて、消える。


「え、ちょっと待って」


 自分でやっておいて、混乱する。


 後ろでミリスの声が弾けた。


「内部共振!」


「うわっ、急に声がでかい!」


「核へ直接揺れが入ってる! 外殻を削るんじゃなくて、構造そのものを崩してるのよ!」


「なんでそんな用途があるんだよ!?」


「私が知るわけないでしょ!」


 もっともである。


 だが、結果だけ見れば圧倒的だった。


 剣で叩けば形を崩すだけだったスライムが、ユウトの手にあるそれを近づけただけで次々と消えていく。水路を塞いでいた中型個体も、先端を触れない距離まで寄せるだけで、内部からぶるりと震えて霧散した。


「す、すごい……!」


 現場の兵士が呆然と呟く。


 レティシアの目が見開かれる。


「対不定形決戦兵装……!」


「感動するところ!?」


 つっこみながらも、ユウトの手は止まらなかった。

 いや、止めると余計に危険なのだ。いま明らかに、自分のところへスライムが寄ってきている。正確には、近づいた個体から先に消えているせいで、結果的に自分の前が最前線になっている。


「左、水路の中!」


 ミリスが怒鳴る。


 言われた方向を見ると、流れに紛れて薄く伸びたスライムが、排水門側へ進もうとしていた。


「うわ、地味に嫌な動きするな!」


 ユウトは水路脇へ駆け、身を乗り出すようにそれを近づけた。

 ぶぉん、と振動が水面を細かく揺らし、細長く伸びたスライム全体がひとつの線みたいに震える。次の瞬間、青い核がぴしりと砕けるように明滅し、そのまま水へ溶けるように消えた。


「消えた……」


 思わず自分で言う。


「全部記録して! 核振動の崩壊閾値、発生位置、距離、全部よ!」


 ミリスが後ろで記録係に怒鳴っている。

 いや、怒鳴られている研究員たちもだいぶ必死だ。板へ何かを書きつけ、結晶板へ波形を映し、ひたすら「はい!」と返している。


「記録班、遅い! 今のが一番大事でしょう!」


「もう書いてます!」

「水路反射の影響も!」

「やってます!」

「なら口より手を動かしなさい!」


「十分動いてます!」


 地味にひどい現場だ。


 だが騎士団側の空気は、それどころではなかった。


「押し返せ!」

「排水門側を空けるな!」

「神器持ちの前を確保しろ!」


「神器持ち言うな!」


 反射で叫んだところへ、樽ほどもある大型のスライムが、水路の曲がり角からぬらりと姿を現した。今までの個体より明らかに濃い。中心の核も青ではなく、やや白っぽく大きい。


「うわ、ボスっぽいの来た!」


「大核個体です!」


 ミリスが声を張る。


「普通種より耐性が高い可能性あり!」


「可能性って言われても!」


 その大型個体は、こちらを認識したように水路から這い上がり、ぐにゃりと形を変えた。ぬめる腕のようなものが伸びる。正直、かなりきもい。


 ユウトは一歩下がりかけた。

 その背後で、レティシアが前へ出る。


「シンドウ殿、下がらないでください」


「いや、でも!」


「あなたの方が通ります。私が足を止めます」


 そう言うや否や、彼女は地を蹴った。


 剣が走り、大型スライムの伸ばした擬似腕を斬り払う。普通なら再生するだけだろう。だが、その一瞬でユウトには分かった。レティシアが作ったのだ。核へ近づくための、ほんの一拍の隙を。


「……っ!」


 ユウトは怖さを振り切るように前へ踏み込んだ。


 先端を向ける。

 大型スライムの中心、白い核へ狙いを定める。


「これで、どうだ!」


 ぶぉん、という音が、一瞬だけ強く響いた気がした。


 大型スライムの全身が、びくんと大きく震える。

 表面のぬめりが波立ち、内部の流れが一斉に乱れる。核の周囲だけが特に激しく明滅し、白い光がぶれて、ずれて、耐えきれなくなったみたいに弾けた。


 ぱしゃっ、と。


 今までで一番大きな水音を立てて、大型個体が水しぶきになって崩れ落ちる。


「…………」


 静寂が落ちた。


 直後、周囲のスライムたちが一気に動きを鈍らせた。

 核の大きかった個体が群れの中心だったのか、それとも偶然か。だが、こちらの勢いが優勢に転じたのは誰の目にも明らかだった。


「今だ! 一掃しろ!」


 現場指揮官の怒声で、兵士たちが前へ出る。

 残った小型個体はユウトが近づけば消え、遠い位置のものはミリスの氷結魔術と騎士団の槍で押し込められた。ほどなくして水路は静けさを取り戻し、畑へ這い出ていた個体もほぼ駆逐された。


 ようやく、戦いが終わる。


 ユウトはその場で膝に手をついた。


「はあ、はあ……」


 息が切れる。

 剣を振ったわけでもないし、重い魔法を使ったわけでもない。だが、精神的な消耗がすごい。何より、自分の手にあるものがスライム相手にあまりにも特効すぎて、脳が追いつかない。


「なんでこんな用途があるんだよ……」


 本音が漏れた。


 レティシアが剣を収めながら、深く頷く。


「見事でした」


「見事っていうか、意味が分からないんだけど」


「対不定形において、これほど明確な制圧力を持つ兵装は聞いたことがありません」


「そこでまた感心するのやめてもらえるかな!?」


「感心します」


「即答だな!」


 ミリスがこちらへ駆け寄ってくる。呼吸は少し乱れているが、顔は完全に研究者の興奮で輝いていた。


「素晴らしい!」


「うわっ、近い!」


「剣や槍では物理的に崩すしかない不定形相手に、核へ直接振動を伝えて構造崩壊。しかも水路という伝導環境下で威力が落ちてない。むしろ水媒介で広がってる可能性まである」


「早口早口!」


「記録班! 大型個体消失時の波形をもう一回見せて!」


「いま整理を――」

「整理はあと! 先に写しを三部!」


「無茶です!」

「無茶でもやるのよ!」


「だから怒鳴るなって!」


 ミリスが本当に嬉しそうなのが、余計に疲れる。


 だが現場の人々にとっては、そんなことより安堵が先だった。


「助かった……」

「水路が持ったぞ」

「今年の苗を諦めずに済む」

「やっぱり王都の英雄さまだ……」


「英雄じゃないです!」


 慌てて否定したが、兵士や農夫たちの顔には、露骨な感謝と尊敬が浮かんでいた。

 これが一番つらい。悪意や恐怖ならまだ距離が取りやすい。感謝はそうはいかない。


 年配の農夫が帽子を取って頭を下げる。


「ありがとうございますだ、旦那」


「いや、旦那ってほどの者じゃ」


「水路を救ってもらいました」


「それはまあ、結果的に……」


「今年の水が止まったら、この辺の畑は終わりだった」


 その言葉に、ユウトは返す言葉を失った。


 スライム災害。ゲームっぽい単語なのに、ここではちゃんと生活に直結している。水が止まれば畑がだめになる。畑がだめになれば食べるものが減る。当たり前のことだ。


 ユウトは紙袋へそれを戻しながら、小さく息を吐いた。


「……役に立ったなら、よかったです」


 それしか言えなかった。


   ◇


 王都へ戻る馬車の中で、ユウトは座席へ半ば沈み込んでいた。


 向かいではミリスが記録板を見ながらぶつぶつ言っている。


「対不定形でこれなら、霧状呪詛にも通る可能性が……いや、水媒介で増幅されるなら生体系寄りか……でも核を持たない群体にはどう出る……?」


「ねえ」


「なに」


「せめて帰りくらい静かにしてくれない?」


「無理」


「即答ありがとう、でも無理じゃない道を探して」


 ミリスは顔を上げ、わずかに首をかしげた。


「今日は大成果だったのよ?」


「俺にとっては精神的災害だったんだけど」


「でもスライムにはすごく効いた」


「それが一番意味分かんないんだって」


 レティシアが隣の席から口を開く。


「結果として、王都近郊の被害拡大は防がれました」


「うん」


「騎士団としても、正式に感謝状が出る可能性があります」


「うわあ、いらない」


「そうでしょうね」


「そこは分かってくれるんだ」


「はい」


 レティシアは真顔のまま答えた。


「ですが、出るものは出るかと」


「この世界、ほんとに面倒なところだけ律儀だな……」


 馬車の外では夕方の風景が流れていく。畑、水路、石橋、遠くの城壁。

 ついさっきまでスライムと戦っていたのが嘘みたいに平和だった。


 けれど、その平和の一部に自分が絡んでしまった以上、もう完全な傍観者ではいられないのかもしれない。


 そう考えたところで、ミリスがさらっと言った。


「次は不定形以外も試したいわね」


「落ち着け」


「対粘性植物、対霧状呪詛、対寄生性魔物――」


「落ち着けって!」


「だって今日の結果、最高だったもの」


「研究者の最高はだいたいこっちの最悪なんだよ!」


 レティシアが小さく、しかし確かに笑った。


 ユウトはそれを見て、思わず肩の力を抜く。

 この世界に来てからずっと面倒ばかりだが、こういうときだけは少し救われる。


 ……とはいえ、救われきるには程遠い。


 王都に戻ればまた噂が増えるだろう。

 《震界の魔杖》だの《律動の聖杖》だのに加えて、今度はきっと「スライムを霧散させる神器」みたいな、またろくでもない尾ひれがつく。


「……もう嫌だ」


 ぽつりと漏らすと、レティシアが静かに答えた。


「お気持ちは察します」


「ほんとに?」


「はい。ですが」


「ですが?」


「今日は間違いなく、よい働きでした」


 真顔で言われると、反論しづらい。


 ユウトはしばらく黙っていたが、やがて窓の外を見ながら、小さく返した。


「……それなら、まあ、いいか」


 その言葉に、レティシアは何も言わなかった。

 ただ、少しだけ表情を和らげた。


 王都の城壁が近づいてくる。

 穏やかに見える夕暮れの中で、ユウトは紙袋の持ち手を握り直した。


 この中身が何なのか、自分でもまだよく分からない。

 だが少なくともひとつ、今日ではっきりしたことがある。


 この世界では、スライム相手にだけ、やたら強い。


 それはまったく嬉しくない発見だったが、同時に確かな事実でもあった。


 そしてその事実は、王都でまた新しい誤解と評価を呼び込むに違いない。


 ……本当に、たまったものではない。

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