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第6話 見習い聖女、勝手に神話を作る

 王立魔導院で高位結界を一瞬で壊したその日の夕方、新堂ユウトは騎士団本部の客室で、椅子に座ったまま魂の抜けた顔をしていた。


 机の上には、紙袋。

 その中には、すべての元凶。

 いや、元凶という表現すら生ぬるい。もはや災厄の核だ。


「……もう帰りたい」


 小さく呟く。


 まだ異世界に来て数日しか経っていないというのに、疲労の質が濃すぎる。肉体的にはむしろ大したことがない。問題は精神だ。精神だけがじわじわ削られている。しかもやたら上品で真面目な人々に、やたら本気の目で誤解されながら。


 魔導院では結界殺し認定。

 次は何だ。

 王宮で国家戦略兵器扱いか。神殿で神託だの奇跡だの言われるのか。


「……言ったそばから来そうなんだよな」


 嫌な予感というのは、たいてい外れない。


 とん、とん、と、扉が叩かれた。


「はい……」


 もう期待する気力もない返事をすると、扉が開き、レティシアが入ってきた。夕方の光を背負ったその姿は相変わらず整っているが、ユウトは彼女の表情を見た瞬間、ろくでもない話だと悟った。


 真面目な顔だ。

 つまり、ろくでもない。


「お疲れのところ、申し訳ありません」


「その前置きの時点で休ませる気がないのは分かった」


「……鋭いですね」


「最近、嫌な方向にだけ経験値が貯まってるから」


 レティシアは少し言いづらそうに視線を落とし、それから机の上の紙袋を見た。

 その視線の移動だけで、もう話の方向性が分かる。


「神殿から、正式な面会の申し入れが来ています」


「ほら来た」


「拒否は可能です」


「可能なんだ」


「ですが」


「その“ですが”が重いんだよ」


「神殿側は、あなたの兵装が神話的遺物に該当する可能性をかなり本気で疑っています。ここで完全に拒絶すると、余計な波風が立つかと」


「つまり行った方が面倒が少ない?」


「現時点では」


 ユウトは顔を覆った。


 面倒を避けるために面倒へ行く。

 異世界に来てから、選択肢がずっとその形式だ。


「ちなみに、誰が来るの」


「王都大聖堂の司祭と、見習い聖女フィアナです」


「ああ……あの子」


 昨日、街路で会った白い法衣の少女が脳裏に蘇る。

 妙にきらきらした目。

 妙に詩的な表現。

 そして、何も起動していないのに「やさしい音がします」と言ったあの危うい感性。


 正直、一番相手にしづらいタイプだった。


「面会だけ?」


「神殿側は、簡単な祝福確認と、兵装に対する“聖性の有無”を見たいと」


「聖性」


「はい」


「ないと思うなあ……」


 心の底からの実感だった。


 レティシアは咳払いをひとつして、少しだけ声を和らげる。


「私も同行します」


「それはありがたい」


「少なくとも、勝手に持っていかれるようなことはありません」


「一番心配してるのそこじゃないんだけどな……」


 もっとこう、尊いものを見る目で見られることとか、勘違いが宗教的方向へ育つこととか、そのへんの方が精神的にはつらい。


 だが結局、ユウトは断らなかった。

 いや、断れなかったと言うべきかもしれない。


 この世界で自分の置かれている立場を考えれば、王立魔導院も神殿も、敵に回していい相手ではない。まだ帰る手段も分からない以上、手がかりになりうるものは潰したくなかった。


「……行くよ」


「ありがとうございます」


「感謝されることじゃないよ。たぶん俺の胃がまた死ぬだけだし」


「神殿は魔導院ほど直接的ではありません」


「その言い方は安心できそうでできないな」


「相手がフィアナなので」


「余計に不安になった!」


 レティシアは珍しく、ほんの少しだけ視線をそらした。

 たぶん、彼女なりに言葉を選んだ結果がこれなのだろう。


   ◇


 王都大聖堂は、王都のどこからでも見える建物だった。


 昼間に遠目から見たときも大きかったが、近くまで来ると規模が違う。白い石で築かれた巨大な階段、その上にそびえる正面門、空へ向かって伸びる双塔、色ガラスの大きな窓。夕暮れの光を受けた外壁は淡く金色に染まり、まるで建物自体が静かに呼吸しているみたいだった。


「でか……」


 ユウトが思わず呟くと、隣を歩くレティシアが答える。


「王都でも最も古い建築のひとつです」


「城と違って、なんかこう……圧が別方向だな」


「神殿ですから」


「それで納得できるのが異世界っぽいよな」


 階段を上がるあいだにも、白い法衣の神官や修道女が行き交う。こちらを見る目は、街路の野次馬とは少し違った。好奇心はある。だがそれ以上に、「確かめる」という色が濃い。


 巨大な正面門をくぐると、空気まで変わった。


 ひんやりとしていて、静かで、少しだけ香が焚かれている。

 高い天井。整然と並ぶ長椅子。床を彩る色ガラスの光。祭壇の前では白衣の神官たちが祈りを捧げ、遠くでは小さな鐘のような音が響いていた。


「わあ……」


 ユウトは思わず声を漏らす。


 宗教に詳しいわけではないが、こういう空間には人を黙らせる力がある。騒げば場違いだと、自然に思ってしまうような威厳があった。


 その中を、場違いの塊みたいな紙袋を持って歩いている自分が、ひどく浮いて見える。


「来ました!」


 その静謐を台無しにしない程度の明るい声が、横手から飛んできた。


 フィアナだった。


 白い法衣に淡い金髪、澄んだ瞳。昨日と同じ見習い聖女の少女だが、今日は昨日以上に目がきらきらしている。というより、完全に待っていた顔だった。


「ほんとうに来てくれたんですね」


「いや、まあ、断りきれなくて……」


「ありがとうございます!」


 そんな事情はまるごと無視して、フィアナは両手を胸の前で組む。

 その喜び方に邪気がなさすぎて、逆に怖い。


 彼女の後ろから、昨日見た年配の司祭がゆっくり歩いてきた。白髪を整えた穏やかな老人だが、その目はやはり油断なくユウトの手元を見ている。


「お待ちしておりました、異邦の方」


「その呼び方、まだ慣れないんですけど」


「では、シンドウ・ユウト殿」


「殿もなんか重いなあ……」


「礼を失するわけにも参りませんので」


 司祭は穏やかに微笑み、一礼した。


「私は大聖堂付き司祭、エラルドと申します。本日はお時間をいただき感謝いたします」


 魔導院と違って、こちらはちゃんと丁寧だ。

 だが丁寧だから安心かと言えば、そうでもない。丁寧な人が本気で誤解してくると、それはそれで対処が難しいのである。


「まずは、兵装をこちらで取り上げるようなことはいたしません」


「ほんとですか」


「ええ。レティシア殿もご同行ですし、神殿としても無用な摩擦は望みません」


「それは助かります」


「ただし、その気配だけは確認させてください」


「気配」


「聖性、あるいは呪性、あるいは神話的遺物に特有の波のようなものです」


 ユウトは思わず紙袋を見る。


 こいつにそんな大層なものがあるようには到底思えない。

 だが、魔導院では確かに結界を壊したし、街路ではフィアナが起動前の「音」だか「律動」だかを感じ取っていた。


「……で、何すればいいんですか」


「小礼拝堂へ移ります」


 エラルド司祭がそう告げると、フィアナが嬉しそうに先導し始めた。

 この時点でもう、ユウトは嫌な予感しかしなかった。


   ◇


 通された小礼拝堂は、大聖堂本殿よりはずっと小さいが、それでも十分広かった。


 丸い天井。白い石壁。祭壇の前に灯された七つの燭台。中央には小さな祈りの台があり、その周囲を薄い金色の紋様が床に描いている。装飾は少ないが、静けさが濃い空間だった。


「ここで、軽い祝福確認を行います」


 エラルド司祭が説明する。


「祝福確認って」


「兵装に神聖属性の反応があるか、呪詛や穢れに近いものか、それともどちらでもない未知の性質かを見る儀式です」


「未知って言葉、最近すごい頻度で聞くな……」


「今のところ、それが最も誠実な表現かと」


 司祭の言い方はあくまで穏やかだ。

 だが、要するに「得体が知れないから確認させろ」ということである。理屈は分かる。分かるが、こちらとしては気まずい。


 フィアナが祭壇前の位置へ立ち、振り返った。


「シンドウさん、ここへ」


「さん付けなんだ」


「殿の方がよかったですか?」


「いや、さんでいい。すごく助かる」


 この世界で久々に人間らしい呼ばれ方をされた気がした。

 少しだけ安心しながら、ユウトは礼拝堂中央へ歩く。


 レティシアは入り口近くに控え、念のため剣帯に手が届く位置に立っている。完全に護衛モードだ。フィアナはそれを見て少し困ったように笑った。


「大丈夫ですよ。神殿なので」


「場所は関係ありません」


 きっぱりした返答だった。

 フィアナは「そうですよね」と素直に頷くだけで気を悪くした様子もない。どこか不思議な子だ。


 エラルド司祭が目を閉じ、低く祈りの言葉を唱え始めた。

 難しい響きの言葉が礼拝堂の中へ静かに満ちていく。七つの燭台の炎がわずかに揺れ、床の金色の紋様が淡く光った。


「……え?」


 ユウトは眉をひそめる。


 今の祈りに反応したのか、それとも紙袋の中身に反応したのか。足元の光が、どこか魔導院の魔法陣に似た気配を帯びていた。


 フィアナがそっと言う。


「兵装を、出してもらえますか」


「やっぱり出すんだ」


「見た目ではなく、流れを見たいので」


「その“見た目ではなく”っていうフォロー、逆に傷つくんだけど」


 だが、ここまで来て拒むわけにもいかない。

 ユウトは紙袋からそれを取り出した。


 礼拝堂の中に、一瞬だけ沈黙が落ちる。


 エラルド司祭は昨日よりも一層真面目な顔になり、燭台の向こうにいた若い神官が目を瞬かせた。フィアナだけは、やはり嬉しそうだった。


「やっぱり、きれいです」


「そういう感想なんだ……」


「はい。形ではなくて」


「そこ強調しなくていいよ!」


 フィアナは小さく笑うと、目を閉じた。

 そのまま両手を前にかざし、ゆっくりと息を吐く。


 変わったのは、その直後だった。


 何も起動していないのに、礼拝堂に吊るされた小さな銀の鐘が、からん、と鳴った。


「っ」


 ユウトが息を呑む。


 風もない。誰も触っていない。

 なのにひとつ鳴ると、隣の鐘がかすかに震え、そのまた隣も細く共鳴した。澄んだ音が連なり、礼拝堂の静けさへ溶けていく。


「……共鳴している」


 エラルド司祭が低く呟いた。


「起動もしていないのに……?」


 レティシアの声にも、わずかな驚きが滲む。


 ユウトは手元を見る。

 もちろん、ただ持っているだけだ。スイッチは入れていない。だが確かに、掌のあたりでごく細かな震えがあるような気がした。


「なんなんだよ、ほんとに……」


 フィアナが目を開く。

 その瞳は、涙が浮かぶほど澄んでいた。


「やっぱりです」


「え?」


「これ、こわいものじゃないです」


「いや、結界壊したんだけど」


「それでもです」


 フィアナはきっぱり言う。


「強いです。でも、荒れていない。壊すためだけの波じゃありません。もっと……なんて言えばいいんでしょう。寄り添うような、ほどくような、あたためるような」


「そんなに詩的に解釈されると逆に困る」


 エラルド司祭が一歩前へ出る。


「フィアナ」


「はい」


「確信があるのですね」


「あります」


「根拠は」


 フィアナは少しだけ考え、それから礼拝堂の隅を指差した。


 そこには、祭壇へ供える花瓶と、小さな祈りの台が置いてあるだけだった。

 いや、よく見ると祈りの台の下に、淡い灰色の靄のようなものが漂っている。


「……何あれ」


 ユウトが訊くと、エラルド司祭が答えた。


「古い礼拝具に残った穢れです。害はありませんが、ときどき古い物にはそういう残滓が溜まることがあります」


「残滓」


「ええ。掃除や祈りで徐々に薄れますが、完全には消えにくいものもある」


 フィアナはその灰色の靄を見つめながら言った。


「さっき、少しだけ揺れたんです」


「揺れた?」


「はい。この兵装が礼拝堂に入ったとき、あの残りかすが、一瞬だけほどけるみたいに」


 ユウトは目を丸くした。

 それはつまり、穢れっぽい何かが嫌がった、みたいな意味だろうか。


 エラルド司祭は神妙な顔で頷く。


「試してみましょう」


「試すって」


「もちろん無理はさせません。シンドウ殿、ほんの短く起動できますか」


「また起動するの?」


「一瞬だけで構いません」


 ユウトはレティシアを見た。

 彼女は少し考えたあと、慎重に頷く。


「私も見ています。危険があれば止めます」


「止められるかなあ……」


 不安しかないが、やるしかない。

 ユウトは礼拝堂の隅――灰色の靄が残る祈りの台の方へ向き、それを持ち直した。


「ほんとに一瞬だけだからな」


「はい」


「頼むから、これで礼拝堂壊れたりしないでくれよ……」


 誰に向けた祈りか分からない願いを口にしつつ、スイッチを入れる。


 ぶぉん。


 低い振動音が、小礼拝堂の静けさへ滑り込んだ。


 次の瞬間、床の金色の紋様が淡く明るさを増し、七つの燭台の炎がすっと真っ直ぐ伸びた。

 吊るされた銀の鐘が、今度は先ほどよりもはっきりと澄んだ音で連なって鳴る。


 そして礼拝具の足元に漂っていた灰色の靄が、まるで風に吹かれた煙みたいに細かくちぎれ、そのまま消えていった。


「……消えた」


 ユウトが一番先に言った。


 振動を止める。

 礼拝堂はすぐに静けさを取り戻したが、さっきまであった灰色の気配は本当に残っていなかった。


「いや、なんで?」


 それが率直な感想だった。


 エラルド司祭はしばし沈黙し、それから深々と息を吐いた。


「穢れを散らした……」


「大げさじゃなくて?」


「大げさではありません」


 司祭の声には、昨日までの慎重さだけではない、確かな驚きが混じっていた。


 フィアナは両手を胸の前でぎゅっと握る。


「やっぱりです。これは、ただ強いだけじゃない」


「だからその結論が早いんだって」


「だって見たままですから」


 フィアナは本気でそう言っている。

 そこに打算も誇張もないのが、余計に厄介だった。


「律動です」


「え?」


「この兵装が出しているのは、壊す音じゃなくて、律動です。ずれたものを正して、よどんだものを散らして、変なものをほどく音」


「いや、昨日は結界壊したけど」


「結界がずれていたんです」


「そんな簡単に再解釈しないで!?」


 だがフィアナはすでに完全に納得していた。


 彼女はエラルド司祭へ振り返り、ほとんど祈るみたいな声で言う。


「司祭さま、これ……《震界の魔杖》じゃないかもしれません」


 ユウトがぎょっとする。


 おっ、ようやく間違いに気づいたか。そうだ、そこは違う。ようやくまともな方向に話が――


「もっとやさしい名が似合います」


「そっち!?」


 フィアナの瞳はきらきらしていた。


「《律動の聖杖》です」


「増やすなあああああ!?」


 礼拝堂に悲鳴が響く。


 レティシアが目を閉じて深く息を吐く。

 エラルド司祭はすぐには否定しなかった。むしろ考え込むような顔をしている。やめろ。本気で検討するな。


「確かに……」


「確かに、じゃないんですよ!」


「《震界》は力の現れ方を示す呼び名。しかし《律動》は本質を示す名……」


「乗っからないでください司祭さま!」


 だが、止まらない。


 フィアナはもう完全にその名前が気に入ったらしい。


「すてきです。ぴったりです。振動じゃなくて律動。暴力じゃなくて調律。壊すためじゃなくて、整えるための杖」


「いや待って、かなりの暴力性もあるからね!?」


「でも、こわくなかったです」


 その一言だけは、やけにまっすぐだった。


 ユウトは口を閉じる。

 礼拝堂の白い光の中で、フィアナは本当にそう感じたのだろう。灰色の靄が散ったのも事実だ。だからこそ厄介だ。全部を否定できない。


 エラルド司祭が静かに言う。


「神殿としては、本日の件を上へ報告いたします」


「やっぱりそうなりますよね」


「ただし、危険物としてではなく、聖性を有する未知の遺物候補として」


「言い換えただけで重い」


「また、兵装の呼称についても再検討が必要でしょう」


「不要です!」


 だが、ユウトの抗議はもはや誰にも届かない。


 フィアナは小さく頷きながら、すでに半分夢中で呟いていた。


「律動の聖杖……。いいですね。すごく、しっくりきます」


「しっくりこなくていいんだよ……」


 レティシアが横から低く言う。


「フィアナ。その名は軽々しく広めないように」


「はい」


 素直な返事。


 だが、その返事に安心できないのは、もはや全員同じだっただろう。


   ◇


 その日の夜。


 騎士団本部へ戻ったユウトは、部屋に入るなり机へ突っ伏した。


「だめだ……」


 精神が限界である。


 魔導院では結界殺し。

 神殿では穢れ払い。

 そして新たな異名、《律動の聖杖》。


 もうやめてくれ。

 異世界に来てから、自分の知らないところで二つ名だけが増えていく。


 そのとき、扉が軽く叩かれた。


「入るよ」


 レティシアだった。


 彼女は部屋へ入り、ユウトの様子を見るなり、少しだけ声を和らげた。


「……お疲れさまでした」


「今日は本当に疲れたよ」


「でしょうね」


「神殿の人たち、丁寧なのに余計止めづらいんだよな……」


「否定はしません」


 レティシアは机の向かいに立ち、腕を組む。


「ひとつ報告があります」


「もう嫌な予感しかしない」


「先ほど、神殿側から正式な書状が届きました」


「早いな!?」


「内容は、今日の礼拝堂での現象確認についてです」


 レティシアは少しだけ言いにくそうに間を置く。


「神殿内部では、すでに一部で《律動の聖杖》という呼称が使われ始めています」


「もう広まってるじゃん!!」


「“軽々しく広めないように”とは伝えたのですが……」


「伝わってない!」


「フィアナが善意で説明した結果かと」


「善意が一番止めづらいんだよ!」


 叫んだあと、ユウトは机に額を押しつけた。


 だめだ。この世界、善意で話が大きくなりすぎる。悪意がない分、対処のしようがない。


 レティシアは少しだけ黙っていたが、やがて低い声で言った。


「……ですが、少なくとも神殿はあなたを敵視していません」


「うん、それは分かる」


「むしろ好意的です」


「それも分かる」


「だからこそ、やっかいですね」


「だよなあ……!」


 初めて心から分かり合えた気がした。


 レティシアはわずかに口元を緩める。ほんの一瞬だけだが、確かに笑った。


「明日は今のところ、表立った予定はありません」


「ほんとに?」


「はい。王宮側の返答待ちです」


「その“待ち”が怖いんだけど」


「それでも今日は休んでください」


 彼女はそれだけ言うと、机の上の紙袋を見た。

 その視線には、昨日までのような単純な畏敬だけではなく、少しだけ考える色が混じっている。


「ユウト殿」


「なに」


「私はまだ、それをどう呼ぶべきか分かりません」


「うん」


「ですが」


「うん」


「少なくとも、あなたが持つときだけ、妙にしっくりきている気はします」


「それも結構重いこと言ってるからね」


「そうでしょうか」


「そうなんだよ」


 レティシアは小さく頷くと、今度こそ部屋を出ていった。


 扉が閉まる。


 静けさが戻った部屋で、ユウトはしばらく動けなかった。


 紙袋を見る。

 中にある薄桃色の、説明しづらすぎる代物は、もちろん何も語らない。


 なのに周囲の人間たちは、勝手に意味を見出し、勝手に名をつけ、勝手に神話を育てていく。


「……《律動の聖杖》、か」


 口にしてみると、妙に語感がいいのが腹立たしい。


「よくないよなあ……」


 そう呟いた声は、誰にも聞かれないはずだった。


 だが同じ頃、王都大聖堂の一角では、見習い聖女フィアナが年若い修道女たちへ、目を輝かせながらこう語っていた。


「あれは怖い兵器じゃないんです。きっと、神さまの律動を帯びた聖なる杖なんです」


 善意と感動をたっぷり込めたその説明が、翌日には神殿内のあちこちへ広がっていくことを、ユウトはまだ知らない。


 そして当然、それは王都の噂にまた新しい尾ひれを与えることになる。

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