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第4話 王都、震界の魔杖にざわつく

 砦を出立してから三日目の昼、新堂ユウトは馬車の揺れに身を任せながら、遠くに見えてきた巨大な城壁を呆然と眺めていた。


「……でかいな」


 思わず漏れた一言に、向かいに座っていたレティシアがわずかに口元を緩める。


「あれが王都アルセイアです」


「いや、見れば王都って感じはするけど……想像の三倍くらいでかい」


 高い城壁が幾重にも連なり、その内側には尖塔や石造りの建物がびっしりと並んでいる。城壁の上には見張り台が等間隔で置かれ、旗が風にたなびいていた。門前にはすでに長い列ができており、商人らしき馬車、旅人、兵士、聖職者風の一団まで見える。


 これまで通ってきた村や街道沿いの小さな宿場とは、規模がまるで違った。

 たった三日前まで、就活帰りに気まずい紙袋を持って駅前を歩いていた自分が、今こうして異世界の大都市へ入ろうとしているという現実が、いまだにしっくりこない。


 しかも、その立場が最悪だった。


「……あのさ」


「はい」


「今のうちに確認しておきたいんだけど」


「なんでしょう」


「王都に入ったら、俺って普通に目立つ?」


 問いかけると、レティシアは数秒だけ考え込んだ。

 その間がもう不穏だった。


「隠し立てはできないかと」


「でしょうね!」


「ですが、警戒なさらずとも大丈夫です。護衛はおりますし、私もおります」


「物理的な意味じゃなくて、社会的な意味で大丈夫じゃなさそうなのが問題なんだけど」


 ユウトは頭を抱えた。


 砦を出てからここまでの道中で、彼はすでに何度も「まずい」と思わされてきた。途中で立ち寄った宿場町でも、水場で馬に水をやっていた兵士がこちらを見て妙に姿勢を正したし、宿の主人はレティシアから何も聞いていないはずなのに、やけに丁寧に部屋を用意した。市場の露店では、こちらを見てひそひそ話す声まで聞こえた。


 最初は気のせいだと思った。

 だが二日目の夕方、護衛の兵士たちが自分から微妙に一歩引いた距離を保っていることに気づき、三日目の朝には、それがもう確信に変わっていた。


 ――噂、先に行ってるな。


 たぶんあの砦から王都へ飛んだ報告書が原因だろう。

 しかもイーグルスが盛っていないと言い張った、あの悪夢みたいな報告内容である。


 異邦人。

 古代兵装《震界の魔杖》の担い手。

 実戦で魔物の群れを撃退。

 用途は説明困難。

 量産品との証言あり。


 最悪だ。

 文字に起こすと本当に最悪だ。


「シンドウ殿」


 護衛の一人が、馬車の外から声をかけてきた。


「まもなく南門です。身支度を」


「はい……」


 気の重さと反比例するように、馬車は着実に王都へ近づいていく。

 レティシアは鎧の留め具を確認し、剣の位置を整えた。彼女にとっては任務の一環なのだろうが、その手際があまりに自然で、ユウトは余計に自分の場違いさを痛感する。


 黒いスーツ。

 紙袋。

 中身はどう考えてもこの世界の表舞台に出していい代物ではない。


 せめてもっとこう、聖剣っぽい見た目ならよかったのに。


「顔色が優れません」


「優れる要素あります?」


「あります」


 レティシアは真面目な顔で頷いた。


「王都に入れば、あなたの兵装と出自について正式な調査が行われます。つまり、真実に近づける」


「いやまあ、それはそうだけど」


「帰る方法も見つかるかもしれません」


 その一言に、ユウトは少しだけ黙った。


 帰る。

 もとの世界へ。

 就活も途中だし、スマホの中には未返信のメールもたぶんあるし、アパートの冷蔵庫には買い置きの飲み物だってあった気がする。


 そう考えると、急に喉の奥が乾いた。


「……そうだな」


「はい」


「帰れる方法、見つかるといい」


「見つけましょう」


 レティシアの言葉は、相変わらず変にまっすぐだった。

 噛み合わないことも多いし、勘違いも盛大だが、こういうところだけは不思議と信用できてしまう。


 馬車が止まる。

 ざわめきが一気に近づいた。


 南門だった。


   ◇


 王都アルセイアの南門は、もはや門というより小さな要塞だった。


 跳ね橋こそないが、二重の鉄門と高い石壁に囲まれ、その上には弓兵が立ち、門前では数十人規模で検問が行われている。商人の荷車が列をなし、旅人が身分証らしき木札を示し、兵士たちが慣れた動きで通行を捌いていた。


 だが、ユウトたちの一行が近づいた瞬間、空気が変わった。


「ヴァルハルト隊だ」

「例の報告の……」

「まさか本当に来たのか」


 聞こえてくる。

 やっぱり噂、来てる。


 門番の隊長らしき壮年の兵士が前に出て、レティシアへ敬礼した。


「レティシア・ヴァルハルト隊長、帰還を確認。砦からの急報はすでに受理済みです」


「ご苦労」


「こちらが――」


 壮年の兵士の視線が、ユウトに向く。

 その目が自分の顔から服装、そして紙袋へ滑った瞬間、ほんのわずかに緊張が走ったのが分かった。


「……はい。新堂ユウト殿でいらっしゃいますか」


「殿ってつけなくていいです」


「は?」


「いや、なんでもないです」


 もはや訂正の気力も半分消えかかっていた。


 隊長格の兵士はすぐに姿勢を正し、周囲へ命じる。


「通行人を脇へ。道を空けろ」


 その一声で、門前のざわめきがさらに大きくなった。

 人々がさっと道を開き、その視線が一斉にこちらへ集まる。


 好奇。

 畏怖。

 疑念。

 期待。


 それらがごちゃ混ぜになった目を向けられるのは、思った以上に胃へくる。


「うわ……」


 ユウトは思わず肩をすくめた。


「気にしないでください」


 レティシアが小さな声で言う。


「無理だよ。めっちゃ見られてる」


「見られるだけのことを、あなたはしたのです」


「その言い方ほんと重い」


 門をくぐる。


 その瞬間、異世界の王都が一気に視界へ広がった。


 石畳の大通り。

 左右に立ち並ぶ高い建物。

 色とりどりの看板。

 荷車を引く馬。

 香辛料や焼きたてのパンの匂い。

 遠くで鳴る鐘。

 噴水のある広場。

 ローブ姿の魔導士らしき人影。

 そして、神殿へ続く白い階段の向こうにそびえる巨大な尖塔。


「……すげえ」


 怖さと同時に、単純な感動もあった。

 どこを見ても、絵みたいな異世界だ。映画のセットではなく、本当に人が暮らしている街としてそこにある。


 だが、その感動に浸る余裕は長く続かなかった。


 道沿いの露店から、囁きが漏れる。


「黒衣の異邦人だ」

「神器持ちってあの人?」

「紙袋の中に封じてるらしいわよ」

「え、なんで紙袋?」

「それが封印術式なんじゃない?」


「封印術式じゃないからね!?」


 思わず振り返って叫ぶと、露店の店主がびくっと肩を震わせ、隣の客と顔を見合わせた。


「や、やはり不用意に口にしてはいけないのだわ……」


「違うの! そうじゃなくて!」


「シンドウ殿」


 レティシアが静かにたしなめる。


「いま反応なさると、逆に」


「もう逆も何もないんだよ!」


 護衛の兵士のひとりが咳払いした。

 たぶん笑いをこらえている。少しくらい助けてくれてもいいのに。


 大通りを進むにつれ、視線は増えた。

 そして視線だけではなく、待ち構えていた者たちもいた。


   ◇


 王都中央へ向かう途中、大きな交差路で一行は止められた。


 黒いローブをまとった男女が十人近く、整然と道の真ん中に立っていたからだ。胸元には銀糸で刺繍された複雑な紋章。手には杖や巻物。どう見てもただ者ではない。


 先頭に立つ、細身の初老の男が一歩前へ出た。


「王立魔導院の名において、レティシア・ヴァルハルト隊に確認を求めます」


 声に無駄な抑揚がなく、いかにも役所と研究機関を足して二で割ったような雰囲気だ。


 レティシアが馬を止め、前へ出る。


「王立魔導院。急ですね」


「急報の内容が内容ですので」


 初老の男の目が、ユウトへ向く。


「異邦人の保護、および古代兵装所持の件について、対象の身柄と兵装の簡易検査を要求します」


「却下します」


 即答だった。


 ユウトは逆にびっくりした。


 レティシアは一歩も引かない。


「この方は砦防衛の功労者であり、現在は騎士団預かりの保護対象です。正式な命令書もないまま街路で身柄を止めることは許可できません」


 初老の男は眉を動かした。

 その背後で、ローブ姿の何人かが紙袋を凝視しているのが分かる。やめろ。その視線ほんとにやめろ。


「簡易検査だけでも」


「却下します」


「魔力反応の確認程度であれば」


「却下します」


「……頑固ですね」


「職務です」


 ぴしゃりと言い切るレティシアの横顔は美しかった。

 少なくとも今この瞬間、ユウトにとっては救世主に見える。


 だが、魔導院側も完全に引き下がる気はないらしい。


 今度はローブの集団の中から、若い女が前に出てきた。


 年は、たぶん二十歳前後。

 艶のある黒髪を肩口で切りそろえ、金縁の眼鏡をかけている。ローブの下に見える制服めいた服装はきっちり整っていて、全体に隙がない。整った顔立ちだが、目つきにはかなり鋭い知性と気の強さが滲んでいた。


 彼女はレティシアではなく、まっすぐユウトを見た。


「あなたが、噂の異邦人?」


「……たぶん、そう呼ばれてる人です」


「その曖昧な答え方、嫌いじゃないわ」


 好きでもなさそうな言い方だな、とユウトは思った。


 女は眼鏡の位置を指先で直し、紙袋を指さす。


「それが《震界の魔杖》?」


「いや、だから、それは――」


「答えなくていいわ。自分で見る」


「え?」


 言った瞬間、彼女の足元に薄い光の円が広がった。


 魔法陣だった。


 複雑な幾何学模様が石畳の上へ重なり、淡い青白い線が幾重にも走る。周囲の空気がぴんと張り詰め、ユウトは反射的に一歩下がった。


「ミリス殿!」


 レティシアが鋭く声を上げる。


「街路で魔術は控えてください!」


「威圧だけよ。危害は加えない」


「そういう問題では――」


「問題あるから言ってるんですけど!?」


 ユウトも叫んだ。


 だが、黒髪の女――ミリスはまったく動じない。彼女の瞳は獲物を前にした研究者のそれだった。いや、研究者というより、未解明現象に目がない厄介なタイプの天才っぽい。


「……妙ね」


 ミリスが小さく呟く。


「見た目に対して、周辺の魔力場が歪みすぎてる」


「だから見た目に言及するのやめてもらえるかな!?」


「形状は不可解。でも反応は本物級……いえ、むしろ記録に残る遺物より変」


 彼女は一歩近づく。

 ユウトはさらに一歩下がる。


「待って、近い近い」


「逃げないで」


「知らない美女に魔法陣出されて逃げない男いる!?」


「美女って自覚あるからそのへんはいいわ」


「そこは否定しないんだ!?」


 周囲の兵士がざわついた。

 レティシアはこめかみを押さえ、魔導院の初老の男は諦めたようにため息をつく。


 ミリスはそんな周囲を一切気にせず、じっと紙袋を見つめた。


「魔力を流していないのに、周囲へ共振が漏れてる。ありえない」


「共振?」


「振動と魔力波が干渉してるのよ。理論上、そんな構造体が安定動作するわけがない。少なくとも今の王都の技術体系では不可能」


「今すごいこと言った?」


「ええ。すごく変なものだって言ったの」


「言い方!」


 ミリスはそこでようやく顔を上げた。

 その目に、あからさまな興味が灯っている。


「あなた、王宮に行くのよね?」


「たぶん」


「その後、魔導院にも来てもらうわ」


「決定事項みたいに言わないでくれる?」


「来てもらう」


「圧が強い」


 レティシアが間に入った。


「ミリス・アークライト。正式な順序を踏んでください」


「分かってる。だから街路で奪い取ってないでしょう」


「それを“分かっている”側の行動と呼ぶには無理があります」


「でも見たかったのよ」


「研究者の欲望で公道を止めないでください」


 どうやらこの二人、もともと知り合いらしい。

 しかもあまり相性はよくなさそうだった。


 ユウトはそのやり取りを見ながら、ようやく気づいた。

 この黒髪の女、ただの魔導士ではない。たぶん、かなり偉いか、かなり有名か、その両方だ。


 ミリスは最後にもう一度ユウトの手元を見た。


「いい? 私はあなたの“神器”が本当に古代兵装かどうか、まだ疑ってる」


「それはありがたい話だな」


「ただし」


 彼女は唇の端だけで笑った。


「記録にない何か、ではある。そこは断言できる」


 その言葉に、ユウトの喉が少し詰まる。


 自分にとっては、ただの説明しづらいハンディ電動マッサージ機だ。

 だがこの世界では、それが本当に“ただのそれ”ではなくなっているのかもしれない。なぜかは分からないが。


 ミリスは踵を返し、魔導院の一団へ告げた。


「いいわ、通して。騎士団が囲い込む気なら、あとで正式に取りに行く」


「物騒な言い方をしないでください!」


 レティシアの苛立ちが少しだけ表に出る。

 それに対し、ミリスは肩をすくめるだけだった。


「じゃあ異邦人、あとで」


「その“あとで”が全然安心できないんだけど」


「安心はしなくていいわ。興味しかないから」


「正直で嫌だな!」


 魔導院の面々が道を開ける。

 一行が再び進み始めても、ミリスの視線だけはしばらく背中に刺さっている気がした。


   ◇


「……有名人?」


 少し進んでから、ユウトはぽつりと尋ねた。


 レティシアはわずかに眉をひそめたまま答える。


「ミリス・アークライト。王立魔導院の特級研究員です」


「特級」


「若くして多属性理論と古代式魔力回路で成果を上げた、いわば天才です」


「うわ、厄介そう」


「ええ、厄介です」


 即答だった。


「ただし腕は本物です。理論にも実戦魔術にも長けています。王都でも一目置かれる存在です」


「そんな人に“興味しかない”って言われたんだけど」


「ご愁傷さまです」


「そこは慰めてくれないんだ!?」


「嘘はつきません」


 レティシアのそういうところ、嫌いじゃないけれど今はもう少し優しさがほしい。


 だが厄介なのは魔導院だけではなかった。

 次に馬車を止めたのは、白い法衣をまとった一団だったからだ。


 神殿関係者。

 見れば誰でも分かる。胸に太陽を模したような金の紋章をつけ、鈴のような飾りを揺らしながら階段の上から降りてくる。先頭には年配の司祭らしき男、その横には若い修道女たち。


 ユウトは反射的にレティシアを見る。


「また?」


「……またです」


 レティシアの声に、ほんの少し疲れが混じった。

 三日間の護衛に加えて、王都に着いた途端これでは、さすがに彼女でもうんざりするだろう。


 年配の司祭が一礼する。


「王都大聖堂の命により参りました。レティシア殿、急報の件について確認を」


「皆さん、動きが早すぎませんか」


「神託に関わる可能性があると聞けば、神殿としては当然です」


 ほら見ろ。

 やっぱりそうなる。


 司祭の目もまた、紙袋へ向いた。

 いや、ほんとに何なんだこの袋。中身を知らない人間が見るとそんなに神秘的に見えるのか。普通に角がちょっと折れてるだけの紙袋なんだけど。


「伝承には、失われた律動の杖の記述がございます」


 司祭は神妙な顔で言う。


「生の波を震わせ、穢れを砕き、魔を退ける神器――」


「いや、それはさすがに話が盛られてません?」


「盛っておりません。古写本にそのような文言が」


「古写本どうなってるの」


 修道女たちの後ろから、ひときわ小柄な少女が前へ出てきた。


 年齢は十六、七くらいだろうか。

 淡い金色の髪を肩で揺らし、白い法衣をまだ着慣れていないような、少しだけ幼さの残る雰囲気。けれど瞳は驚くほど澄んでいて、ユウトと紙袋を見た瞬間、ぱあっと表情を明るくした。


「わあ……」


 第一声がそれだった。


「なんですかその反応」


「すごいです。ほんとうに、やさしい音がします」


「音?」


 少女はこくこくと頷く。


「まだ動いていないのに、残ってます。細かくて、規則的で、あたたかい感じの……」


 いや、何を感じ取っているんだこの子は。


「フィアナ、前へ出すぎです」


 司祭がたしなめる。

 だが少女――フィアナは気にした様子もなく、一歩近づいてきた。


「あなたが、あれを使う方なのですね」


「“あれ”って言い方やめてくれるかな。すごく心に来るから」


「ごめんなさい。でも、すてきです」


「何が!?」


「その律動です」


 満面の笑みで言われても困る。

 困るどころか怖い。なにをどう受け取ったらそんな純粋な目で見られるんだ。


 フィアナは胸の前で手を組み、うっとりした顔で呟いた。


「神殿で聞く祈りの鐘とも違う。心臓の鼓動とも少し違う。でも、どこか人を安心させる波で……」


「待って待って、それ以上詩的に表現しないで」


「慈悲深い神器って、きっとこういう――」


「やめてぇ!」


 王都の往来で、ユウトの悲鳴が響いた。


 司祭は咳払いし、フィアナを下がらせる。


「失礼。見習い聖女なもので、感受性が強すぎるところがありまして」


「見習い聖女」


「ですが、感覚そのものは侮れません。神殿としても後日、正式にお話を伺いたい」


「また後日が増えた……」


 魔導院。

 神殿。

 次はどこだ。王家か。いや、たぶん王家だろうな。もう嫌な予感しかしない。


 レティシアは一礼だけ返し、半ば強引に馬を進めた。

 神殿側はそれ以上は止めなかったが、フィアナだけはきらきらした目でいつまでもこちらを見送っている。


「……レティシアさん」


「はい」


「俺、王都来ない方がよかった?」


「それはないです」


「即答だね」


「少なくとも、あなたの周囲で起きている現象を解明するにはここしかありません」


「まあ、それはそうなんだけど……」


「それに」


 レティシアは少しだけ声音を和らげる。


「いまのところ、あなたに敵意を向けた者はいません」


「好奇心と神秘視のほうが強いだけで、十分きついんだけどな……」


 ユウトが呻くと、護衛の兵士が小さく肩を震わせた。

 絶対笑ってる。もういいけど。


   ◇


 一行が最終的に辿り着いたのは、王宮に隣接する騎士団本部だった。


 巨大な石造りの建物で、広い中庭では訓練中の騎士たちが木剣を打ち合わせている。馬房、武器庫、詰所、宿舎らしき棟が整然と並び、門前には王家の紋章と騎士団旗が掲げられていた。


 ここまで来て、ようやくレティシアが少しだけ息をつく。


「ひとまず、ここなら落ち着けます」


「ほんとに?」


「比較的は」


「比較級なのが怖いな」


 だが実際、街路で囲まれるよりはずっとマシだった。

 騎士団本部に入ると、外の喧騒はさすがに届きにくい。兵士や騎士たちの視線はあるものの、露骨に立ち止まって見物されることはない。少なくとも門前ほどのさらし者感はなかった。


 案内された応接室で、ようやく椅子に腰を下ろす。

 座った瞬間、全身から力が抜けた。


「つ、疲れた……」


「お水を」


 レティシアが差し出してくれた木杯を受け取り、一気に飲み干す。冷たい。生き返る。


「ありがとう」


「どういたしまして」


「……王都って、すごいな」


「そうですね」


「街もすごいけど、噂の回り方がもっとすごい」


「否定はできません」


 レティシアも向かいに腰を下ろした。

 鎧を着たままなのに、姿勢が少しも崩れないのがすごい。騎士って日常生活まで騎士なんだな、などと妙なところに感心する。


「この後ですが」


 彼女は事務的に告げた。


「まず騎士団上層部へ帰還報告。その後、あなたの身元と兵装について、王宮側からの指示が来るはずです」


「魔導院と神殿も絡んでくる?」


「高い確率で」


「だよなあ……」


「ですが、順番は守らせます」


「そこは頼りにしてる」


 そう言うと、レティシアはごくわずかに目を丸くした。

 たぶん、ストレートに頼られるのに慣れていないのだろう。


「……任せてください」


 少し遅れて返ってきた言葉は、短いが頼もしかった。


 と、そのとき。


 扉の外が急に騒がしくなった。

 足音。何かを止める声。言い争う気配。


「待ってください、ミリス殿! まだ――」

「うるさいわね、正式な手続きはあとで踏むって言ってるでしょ。先に顔を見るくらいいいじゃない」

「よくありません!」


「あ」


 ユウトが嫌な声を漏らしたのと、扉が勢いよく開いたのはほぼ同時だった。


 入ってきたのは、案の定ミリスだった。


 王立魔導院の天才。黒髪の研究者。目の前の不可解に対して、遠慮という概念が薄そうな女。


 彼女は応接室へ踏み込むなり、まっすぐユウトを見た。

 その視線は、相変わらず熱量が高い。


「いた」


「いた、じゃないんだよ」


「逃げてなかったのね」


「騎士団本部でどこに逃げろって言うの」


「それもそう」


 ミリスはさも当然のように室内へ入り、レティシアの向かい、つまりユウトの斜め前の椅子を引いて座った。


 レティシアの額に青筋が立ちそうなのが見える。


「ミリス・アークライト」


「分かってる、正式命令前なのは。でも見張ってるだけよ」


「それを見張ると言います」


「じゃあ観察」


「言い換えても変わりません」


 ミリスはそんなやり取りを気にも留めず、片肘をついてユウトを見る。


「さて、異邦人」


「名前あるんだけど」


「シンドウ・ユウト」


「急に名前呼ぶじゃん」


「あなた、あれの起動条件は?」


「いきなりだな!」


「魔力? 意思? 接触圧? それとも別の刺激?」


「いや、ただスイッチ――じゃなくて、ええと」


 危なかった。

 今のは危なかった。


 ミリスの目が細くなる。


「いま何か隠した」


「隠してない。言い間違えただけ」


「ふうん」


 絶対納得していない顔だ。


 彼女はそこで、少しだけ真面目な表情になった。


「ひとつだけ言っておくわ」


「何」


「私はまだ、あなたの持つものを“神器”だとは断定していない」


「そこは助かる」


「でも、ただの道具でもない」


 ミリスの声は、今までで一番落ち着いていた。


「街路で見た限り、あれはこの世界の魔術理論と整合しない。なのに結果だけは出ている。なら、私にとっては“未知”よ」


 未知。

 その言葉が妙に重く残る。


 ユウトにとっても、それは未知だった。

 なんでこんなことになるのか分からない。なぜ異世界で、ただのハンディ電動マッサージ機がこんな挙動を示すのか。自分でも知りたい。


「だから調べる」


 ミリスは言った。


「徹底的に」


「その宣言、本人の前でやる?」


「やるわよ。隠す理由がないもの」


 レティシアが深く息を吐く。


「……少なくとも、今日はこれ以上の刺激を与えないでください」


「刺激って言い方、ちょっとやめてほしいな!」


「失礼」


「最近みんなワード選びが危険なんだよ」


 ミリスはそこで初めて、小さく笑った。

 からかうような笑いではなく、純粋に面白いものを見つけたときの笑みだった。


「なるほど。噂よりずっと普通の人ね」


「嬉しいような嬉しくないような」


「でも、その普通の人が王都を騒がせる“ありえない何か”を持ってる」


 彼女の金縁眼鏡がきらりと光る。


「面白いじゃない」


 ユウトは椅子の背もたれへ体重を預け、天井を見上げた。


 王都に着いた。

 噂は広がっていた。

 魔導院も神殿も食いついた。

 しかも、一番厄介そうな研究者に目をつけられた。


 まだ王家にすら会っていないのに、この有様である。


「……帰れる日、来るのかな」


 ぼそりと漏らした独り言に、誰もすぐには答えなかった。


 ただ、レティシアが静かにこちらを見ていて、ミリスが興味深そうに目を細めていて、そのどちらの視線も、もう簡単には自分を手放さないだろうことだけは分かった。


 新堂ユウトの王都入りは、静かな到着とは程遠かった。

 むしろ、古代兵装の再来だの、異邦の神器使いだの、説明しがたい噂を巻き上げながら、最悪に目立つ形で始まってしまった。


 そしてその中心で、本人だけが切実に思っていた。


 どうか頼むから、これ以上、話を大きくしないでくれ――と。


 だが、そんな願いが叶うほど、王都という場所は優しくなかった。

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