第34話 風紀委員長、人生で一番キレる
王都全域を対象にした偽物一掃作戦が正式に動き出した翌日、王立学院の空気は、普段にも増して張りつめていた。
新堂ユウトは学院の正門前で立ち止まり、石造りの校舎を見上げて、心の底から嫌そうに呟いた。
「……また来ることになるとはな」
白い壁、整った窓枠、中央に高く掲げられた学院章。
一見すれば、由緒ある名門校そのものだ。実際そうなのだろう。だがいまのユウトにとっては、ここは「風紀と噂と怪文書が最悪に煮詰まる場所」でしかなかった。
隣に立つレティシアが静かに答える。
「学院内流通が止まらない以上、避けては通れません」
「分かってるけど、気分の問題ってあるじゃん」
「ありますね」
「そこは認めるんだ」
「事実なので」
今日は騎士団付きの立会人として学院へ入ることになっていた。
学院側の摘発に王都騎士団が正式協力する、その最初の一日である。
そして、もちろんというべきか。
「遅いです」
背後から飛んできた声は、寸分の狂いもなく冷たかった。
「うわ、来た」
振り向けば、王立学院風紀委員長セリーナ・ローゼンベルクが立っている。
栗色の髪を高く結び、腕章は正しい位置、制服は完璧。相変わらず“風紀”が人の形を取ったみたいな威圧感だった。
「一分も遅れていません」
レティシアが冷静に言う。
「承知しています。ですが“早く来るべき”案件です」
「厳しいなあ……」
ユウトが本音を漏らすと、セリーナは一拍置いてから言った。
「本件に関しては、いつも以上に厳しくなります」
「知ってる」
そしてそのまま、彼女はきびきびと踵を返した。
「来てください。見せたいものがあります」
「嫌な予感しかしないな」
「では正しい予感です」
即答だった。
◇
学院の中は、見える場所ほど静かだった。
廊下は整っている。
掲示板も、一見すると普段通りだ。
生徒たちも授業時間だからか、騒いではいない。
だが、それは表だけだった。
セリーナに案内されて入った風紀委員室の隣室には、押収された物が山のように積まれていた。
「うわ……」
ユウトが素で引く。
「増えてる」
「増えています」
セリーナの声には、完全に怒気が混じっていた。
机の上に並んでいるのは、もう単なる模造棒ではなかった。
黒い布袋。
意味ありげな順番が書かれた紙片。
“静かな場所で使うこと”と注記された香袋。
偽の祈祷文。
風紀委員会の印を勝手に模したらしい注意札まである。
「これ、だいぶひどくないか」
ユウトが言うと、セリーナは無言で一枚の紙を差し出した。
そこには整った字で、こう書かれていた。
《学院内取扱心得・改訂版》
一、声高に語らぬこと。
二、静かな部屋にて順を守ること。
三、風紀の目は正しい理解を妨げる場合がある。
「最悪!」
ユウトが叫ぶ。
「三が最低だろ!」
「ええ」
セリーナの声が、すっと低くなった。
「私もそう思います」
それだけで、室内の温度が少し下がった気がした。
レティシアが紙を受け取って目を通す。
「学院の正式文書に見えるよう寄せてありますね」
「そこです」
セリーナは腕を組む。
「単に下品な方向へ煽るだけなら、まだ風紀案件として処理しやすい」
「うん」
「ですが今は、“風紀委員会そのものが何かを隠している”という形へ寄せられている」
「うん」
「つまり、秩序の側を腐らせに来ている」
その言葉には重みがあった。
学院の中で風紀委員会は、「駄目なものを止める側」だ。
そこが“独占している”“隠している”“知っているくせに閉じている”と思われれば、もはや取り締まりそのものが逆効果になりかねない。
「……やり口がいやらしいな」
ユウトが言うと、セリーナはわずかに頷く。
「はい。極めて」
◇
さらに悪いことに、問題は押収品だけではなかった。
「見てください」
セリーナは次に、別の書類束を机へ置いた。
「生徒からの投書です」
「投書」
「匿名が大半ですが」
何枚かをめくる。
《禁止するなら理由を明示してほしい》
《なぜ学院は王宮側の理屈だけを信じるのか》
《本当に危険なら、なぜ一部の者は立ち会えるのか》
《風紀委員会も“本物の確認”に関わっているなら、説明責任がある》
ユウトは思わず唸った。
「……だいぶ来てるな」
「ええ」
「“禁止されてるからやりたい”を超えてる」
「超えています」
セリーナはそこで、ほんの少しだけ息を吐いた。
「ここまで来ると、好奇心だけではありません」
「じゃあ何」
「不信です」
短い答えだった。
「“自分たちだけ知らされていない”“大人だけが囲っている”という不信」
それは、王都全体で育てられ始めている空気と同じだった。
隠されている。
独占されている。
上だけが知っている。
王宮にも。
神殿にも。
そしていま、学院にも。
「……黒幕、ほんとに頭いいな」
ユウトが嫌そうに言うと、セリーナは珍しく皮肉もなく頷いた。
「ええ。腹立たしいほどに」
そこへ、風紀委員の男子生徒が慌てて駆け込んできた。
「委員長!」
「何ですか」
「北棟の女子更衣準備室前で、また――」
そこで、ユウトもレティシアも、ミリスもフィアナも、全員がぴくりと反応した。
「また?」
「怪文書です! しかも今度は……ええと……かなり、ひどいです」
「見せなさい」
セリーナの声が冷たい。
男子生徒が差し出した紙を受け取った瞬間、彼女の眉がぴくりと動いた。
それを見て、ユウトはだいたい察した。
「……何て書いてある」
セリーナは数秒だけ黙り、それから、非常に低い声で読み上げた。
《淑女のための本来作法・学院編》
《静けさと順番を守れば、真に軽くなる》
《風紀が止めるのは、委員長自身が知っているから》
沈黙。
「うわあ」
ユウトが心底引いた声を漏らす。
「それはひどいな」
「ええ」
セリーナが答える。
「人生で一番、ひどいです」
その声には、怒りがはっきり乗っていた。
フィアナが心配そうに言う。
「委員長さん……」
「……これで分かりました」
セリーナは紙を机に置いた。
「狙いは学院の秩序だけではない。私個人まで含めて、“隠している側”へ仕立てたいのですね」
「たぶんそうだな」
ユウトも、そこは否定できなかった。
学院。
風紀委員会。
その中でも象徴はセリーナだ。彼女を“何か知っている側”に見せられれば、学院生の反発はもっと強くなる。
そして、なにより。
「……それ、普通にむかつくな」
ユウトが言うと、セリーナが初めて、真正面からこちらを見た。
「はい。非常に」
◇
そこから先は、完全に風紀委員長の逆鱗に触れた時間だった。
セリーナは普段から厳しい。
だが、それはあくまで秩序のための冷たさだ。
いまの彼女は違った。
「北棟の掲示物を全回収。文面の似たものを探しなさい」
「はい!」
「出所不明の私製札を見つけたら、その場で押収。教員にも通達」
「はい!」
「更衣室付近、図書塔、音楽棟の静室、全部見回ります」
「はい!」
指示が早い。
鋭い。
容赦がない。
「……怒ってるなあ」
ユウトがぼそっと言うと、レティシアも小さく頷いた。
「はい」
「分かりやすい?」
「かなり」
フィアナがおそるおそる尋ねた。
「いつもより、ずっと……」
「ええ」
セリーナは否定しなかった。
「いつもより怒っています」
そこも素直だった。
「学院の秩序を乱されるのも不愉快です」
彼女は紙片を指先でつまむ。
「ですが」
「うん」
「こういうやり方が一番、嫌いです」
静かな声だった。
「誰かの善意や真面目さを、その人の弱点に見立てて、逆に汚す」
その言葉が、妙に真っ直ぐ胸に入った。
ユウトは少しだけ黙ってから言う。
「……分かる」
セリーナがこちらを見る。
「え?」
「俺も嫌い」
ほんとに、それだった。
兵装そのものがどうこうだけではない。
自分が嫌がる方向を知ったうえで、そこへ噂を流し込む。
フィアナの善意を餌にする。
神殿の真面目さを揺らす。
そして今は、セリーナの風紀まで材料にしている。
「なんか、腹立ってきたな」
小さく呟くと、セリーナがわずかに目を細めた。
「今ごろですか」
「今までは恥ずかしいが先だったんだよ」
「なるほど」
彼女は少しだけ、ほんの少しだけ、口元を緩めた。
「では、ようやく同じ土俵ですね」
「土俵って言い方、風紀委員長っぽくないな」
「いま少しだけ、個人的に怒っていますので」
それはもう、十分すぎるほど伝わっていた。
◇
その日の午後、学院内では本格的な一斉点検が始まった。
更衣室周辺。
静室。
図書塔の奥。
音楽棟の倉庫。
掲示板裏。
風紀委員だけではなく、教員まで動員される騒ぎになった。
もちろん、ユウトもまた引っ張り回された。
「なんで俺まで更衣準備室の前に立たされてるんだろうな」
「現物確認のためです」
セリーナが歩きながら答える。
「いや、理屈は分かるんだけど!」
「ここに貼られていた文言が、兵装の誤解とどう結びついているか、あなたの反応が一番分かりやすいので」
「最悪の使われ方してるな!」
だが、その途中でまた見つかったのは、さらにひどい紙片だった。
《委員長が知る“二段目”》
《順を進めれば、ただの軽さでは終わらない》
「意味が分からなさすぎて逆にひどい」
ユウトが言うと、ミリスが紙片を覗き込み、珍しく真顔で言った。
「これ、ほんとに意味ないわよ。言ってること空っぽ」
「でも引っかかるんだよな」
「ええ」
セリーナが冷たく答える。
「意味が空っぽだからこそ、人は勝手に埋めます」
その説明は、ぞっとするほど正しかった。
◇
点検が終わる頃には、学院の空気は少し変わっていた。
風紀委員会がここまで本気で動くのを見て、軽い気持ちで模造品を持ち込んでいた生徒たちも、さすがにこれは遊びではないと気づき始めたらしい。
それでも、完全には消えない。
怪文書の火は、見えない場所でまだくすぶっている。
学院の中庭を見渡せる廊下で、セリーナはふっと息を吐いた。
「……今日はここまでです」
「お疲れ」
ユウトが言うと、彼女は少しだけ驚いたようにこちらを見た。
「あなたがそれを言いますか」
「言うだろ。今日はだいぶ頑張ってたし」
「当然のことをしたまでです」
「その当然が一番きつかったんだろ」
セリーナは答えなかった。
だが、その沈黙がもう答えみたいなものだった。
「委員長さん」
フィアナがそっと声をかける。
「今日、すごく……かっこよかったです」
セリーナはほんの少しだけ目を見開き、それから小さく息を吐いた。
「ありがとうございます」
「でも、無理しすぎないでください」
「それはあなたもです」
フィアナが苦笑する。
レティシアは、そんな二人を見てから、静かに言った。
「少なくとも、学院側の意思は今日で明確になりました」
「ええ」
セリーナが頷く。
「ここからは、もう学院の風紀だけの話ではありません」
そして彼女は、ユウトの方へ向き直った。
「シンドウ・ユウト殿」
「はい」
「ここからは私も、風紀委員長としてだけでなく、個人的にこの件を潰しに行きます」
「お、おう」
かなり重い宣言だった。
「こういうやり方は嫌いです」
セリーナは繰り返す。
「学院も、風紀も、そしてあなたまで、好き勝手な噂の道具にされるのは」
ユウトは少しだけ言葉に詰まった。
なんというか。
今までのセリーナは、“学院の秩序を守る人”という感じが強かった。
だがいまの言葉は、それを少しだけ超えていた。
「……ありがとな」
小さくそう言うと、セリーナはほんの少しだけ視線を逸らした。
「礼を言われることではありません」
「そこも変わらないんだな」
「変える必要がありませんので」
だが、声はさっきまでより少しだけ柔らかかった。
◇
その夜。
王都北区の古い宿屋、その屋根裏部屋で、リグは小さく笑っていた。
学院はよく燃えた。
風紀委員長も本気で怒った。
異邦人も、ただ恥ずかしがるだけではなく、怒り始めている。
「よろしい」
彼は机の上の新しい紙片へ指を滑らせる。
《偽物を潰すほど、本物は遠ざかる》
《次は“証明”を求めよ》
「次は、もっと大きな場が要るな」
彼の目が細まる。
学院。
神殿。
市場。
次に燃やすなら、王都そのものだ。




