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第2話 違うと言うほど神秘性が増す

 森を抜けるまでのあいだ、新堂ユウトは三回、自分の頬をつねった。


 一回目は、まだ夢かもしれないと思ったから。

 二回目は、目の前を歩く金髪の女騎士レティシア・ヴァルハルトの背中があまりにも現実離れしていたから。

 三回目は、そのレティシアが振り返るたびに、自分の右手の紙袋へ敬意を込めた目を向けてくるからだった。


「……痛い」


「どうかなさいましたか?」


「いえ。現実確認です」


「さすがですね」


「何がですか」


「極限状況においても己を見失わぬ精神統一。やはり神器の担い手は違います」


「違うんですって!」


 思わず声が大きくなる。


 夜の森にその叫びが吸い込まれ、前を行くレティシアの青いマントがふわりと揺れた。彼女は足を止め、真面目そのものの顔でこちらを見る。


「違う……とおっしゃるのは?」


「だから、その、神器とか、そういう大層なものじゃなくてですね」


 ユウトは紙袋の持ち手をぎゅっと握った。

 いまだに中をまともに見せる気にはなれない。さっきの戦闘で半分くらい飛び出してしまったのを、慌てて押し込んだままだ。


「これ、ほんとに、そこまで特別なものじゃないというか……」


「謙遜を」


「謙遜じゃないです」


「では、秘匿ですか」


「なんでそうなるんですか!?」


 レティシアは眉ひとつ動かさず、静かに頷いた。


「承知しました。古代兵装にまつわる情報は、むやみに口外できぬのでしょう。私も軽々しく詮索はいたしません」


「いや、詮索してほしいような、してほしくないような……!」


 自分でも何を言っているのか分からなくなる。


 レティシアは本気で気を遣っている顔をしていた。

 この人は悪くない。むしろさっき死にかけていた自分を助け、こうして砦まで案内してくれている恩人だ。悪いのはたぶん、この状況全般である。


 森の中の道なき道を進みながら、ユウトは必死に頭を働かせた。


 異世界っぽい。

 ゴブリンがいた。

 騎士もいる。

 そしてなぜか、ただのハンディ電動マッサージ機がゴブリンの武器を粉砕した。


 意味が分からない。

 分からないが、とりあえず命だけは助かったらしい。


「砦までは、あと半刻ほどです」


「は、半刻……?」


「ええ」


 聞き慣れない時間の表現に、今さらながら異世界感が胸に刺さる。

 ユウトが曖昧に頷くと、レティシアは少しだけ歩調を緩めてくれた。


「お疲れでしょう。無理もありません。転……いえ、そのような長距離移動の直後であれば、なおさら」


 今、「転移」って言いかけたか?


 ユウトはレティシアの横顔を見た。

 彼女は口をつぐみ、前方の闇を警戒している。おそらく何かに気づいている。だが確信がないから言わない。そんな様子だった。


 しばらく沈黙が続いたあと、ユウトは意を決して口を開いた。


「あの、レティシアさん」


「はい」


「もし、ですよ。もし仮に……本当に仮にですけど」


「はい」


「この世界の人じゃない人間が、突然現れることって、あるんですか」


 彼女はすぐには答えなかった。

 木々の間から差す月明かりが、その横顔を白く照らす。


「稀に、という伝承はあります」


「伝承」


「星の落とし子。境界を越える者。神々の戯れにより迷い込んだ異邦人。呼び名はいくつかありますが……実際に見た者は少ないでしょう」


「…………」


「ですが」


 レティシアはユウトを見た。


「あなたがそれであるなら、なおさら王都へお連れしなければなりません」


「なんでですか」


「古代兵装を携えた異邦人など、放置していい存在ではないからです」


「その言い方だと、危険物扱いなんですよ!」


「違うのですか?」


「そこだけは否定しづらいのが嫌なんだよな……」


 思わず遠い目になる。


 レティシアは小首をかしげた。

 多分、本人なりに真剣に考えてくれているのだろうが、会話の着地点が全部おかしい。


 やがて森を抜け、石造りの小さな砦が見えてきた。

 高い城壁というほどではないが、周囲を木柵と石垣で固めた前哨基地のような場所だ。篝火が焚かれ、見張り台には槍を持った兵士が立っている。ユウトはその光景を見ただけで、少しだけ胸の奥が緩んだ。


 人がいる。

 文明がある。

 少なくとも今日の寝床は森の地面ではなさそうだ。


 だが、その安心は門前であっさり吹き飛んだ。


「レティシア隊長!」


 門兵の一人が駆け寄ってきた。若い男だ。

 彼はレティシアの無事を確認してほっとしたように息をついたあと、ユウトを見て怪訝そうに眉をひそめた。


「こちらは……?」


「森で遭遇した。保護対象だ」


「保護対象?」


 門兵の視線がユウトのスーツ姿を舐める。

 この世界から見たら、確かに変な格好だろう。甲冑でもローブでもなく、黒い上下に首元の布。しかも汚れてる。


 どう説明されるんだろう。異邦人? 迷子? 不審者?


 そう思っていたら、レティシアは一拍置いて言った。


「古代兵装《震界の魔杖》の担い手だ」


「は?」


 それはこっちの台詞だ。


 門兵の顔色が変わる。

 いや、変わるどころではない。まず目を見開き、それからユウトの紙袋を見て、信じられないものを見る顔になり、最後に一歩下がった。


「し、失礼しました!」


 いきなり背筋を伸ばして敬礼された。


「いや、違います、ほんと違うんです!」


 ユウトが慌てて手を振ると、門兵はさらに青ざめる。


「た、隊長! やはり秘匿級ですか!?」


「そのようだ」


「違うって言ってるのにどうして解釈が悪化するんですか!?」


 だめだ。

 この世界、会話が成立しない。


 通された砦の中は、思ったよりも慌ただしかった。

 夜番の兵士たちが行き交い、食堂らしき建物からは煮込みの匂いがする。井戸のそばでは数人が洗い場を片づけていて、遠くでは馬のいななきまで聞こえた。


 だがユウトがレティシアの隣を歩いているだけで、そのざわめきが波のように広がっていく。


「あれが?」

「本当に?」

「隊長が跪いたって?」

「紙袋に入れて持ち歩いているらしいぞ」

「封印仕様か……」


 最後のやつだけは今すぐ訂正したい。

 ただの紙袋だ。駅前の雑貨屋のロゴが薄く印字された、どこにでもある安っぽい紙袋だ。


 だが、誰もそんなふうには見ていないらしかった。


「まずは中へ。報告を済ませます」


 案内されたのは砦の中央にある詰所だった。

 石壁に囲まれた部屋の中には、大きな机と椅子、地図、ランプ、壁に立てかけられた槍。いかにも軍事施設の執務室という雰囲気だ。中年の髭面の男が書類を見ていたが、レティシアを見るなり顔を上げた。


「戻ったか、ヴァルハルト。巡回は――」


 そこで彼の視線がユウトに止まる。


「そちらは?」


「森で保護した異邦人と思われる人物です」


「異邦人?」


「加えて、古代兵装《震界の魔杖》を所持しています」


 髭面の男の動きが止まった。


 完全に止まった。


「……今、何と言った?」


「《震界の魔杖》です」


「……その、失伝したという、あれか?」


「おそらく」


「おそらくって何」


 ユウトが口を挟むと、三人の視線が一斉に自分へ向いた。

 髭面の男――たぶんここの責任者だろう――は椅子から立ち上がり、慎重な足取りで近づいてくる。


「君。名は」


「新堂ユウトです」


「シンドウ……ユウト」


 発音しづらそうに繰り返したあと、男は咳払いをした。


「私はこの砦を預かるイーグルスだ。さて、レティシアの報告が事実なら、君にはいくつか確認せねばならぬことがある」


「はい」


「その兵装は、どこで手に入れた」


 来た。


 どう答えても詰む質問だ。

 ユウトは喉を鳴らし、紙袋を抱え直す。


「ええと……元いた場所から、たまたま持ってきてしまったというか」


「持ってきてしまった」


「量産品、みたいなものではあるんですけど」


 言った瞬間、室内の空気が変わった。


 レティシアが目を見開き、イーグルスの眉が跳ね上がる。

 扉のそばに控えていた兵士まで息を呑んだ。


 しまった、と思ったときには遅かった。


「量産……品……?」


 イーグルスが、信じ難いものを聞いたという顔で呟く。


「え、いや、その」


「同型の兵装が複数存在するのか」


「いや、複数というか、元の世界では別に珍しいものでは……」


「珍しくない!?」


「だから違うんです! そういう意味じゃなくて!」


 ユウトが慌てるほど、三人の顔は深刻さを増していく。

 レティシアなど、今にも王都に早馬を飛ばしそうな顔だ。


「待ってください、誤解です。これ、ほんとに、すごく説明しづらい用途のもので」


「用途を言いづらい……」


 イーグルスが低く繰り返した。


「はい。人に説明するのが、かなり、その、気まずいというか」


「なるほど」


「何がなるほどなんですか」


 イーグルスは重々しく腕を組んだ。


「古代兵装ゆえ、用途自体が禁忌に触れる類か」


「違います!」


「あるいは、特定の対象にのみ伝承される秘儀兵装……」


「だから違いますって!」


「口にすることすらためらうほどの危険性を持つ、と」


「どうして全部そっちに行くんだよ!」


 叫び声が石壁に反響した。


 しばしの沈黙。

 そして、レティシアが静かに口を開く。


「隊長。これ以上の詮索は逆効果かと」


「うむ」


「いや詮索してくださいよ! ちゃんと聞いて!」


「分かっている」


 イーグルスは真剣な顔で頷いた。


「無理に語らせるべきではない。秘匿には理由がある」


「聞く耳を持ってくれ!」


 完全に終わった。


 ユウトが机に突っ伏したくなる一方で、三人の中では何か筋の通った理解が完成してしまったらしい。イーグルスはすぐさま部下へ命じ、王都への報告書を作らせ始めた。


「巡回騎士レティシア・ヴァルハルト、森にて異邦人と遭遇。対象は古代兵装《震界の魔杖》を所持。本人は兵装の詳細を口外せず。ただし“量産品”“用途は説明困難”との証言あり――」


「ちょっと待ってください! その書き方だと変な方向に深刻さが増すんですけど!?」


「事実を記しているだけだ」


「言葉って並べ方で印象変わるんですよ!?」


 だが誰もペンを止めなかった。


 その後、ユウトは一応「保護対象」として空き部屋をあてがわれ、簡単な食事まで用意された。肉と根菜の煮込みに、硬めのパン。それだけで腹は鳴った。気づけば異世界に来てから何も食べていない。


 木の匙を手にしながらも、ユウトの心はまったく落ち着かなかったが、味は思ったより悪くなかった。というか、極度の疲労のせいで何を食べても旨かった。


 そこへ、ノックのあとにレティシアが入ってきた。


 鎧を半分外し、軽装になっている。とはいえ相変わらず騎士然とした雰囲気で、部屋の空気が少し張る。


「少し、お話をよろしいでしょうか」


「……どうぞ」


 彼女は扉を閉め、向かいの椅子に座った。

 少しだけ言いにくそうに目を伏せ、それから真っ直ぐにユウトを見る。


「先ほどは申し訳ありませんでした」


「え?」


「あなたが明らかに困っているのに、私は立場上、報告を優先した」


 意外な言葉に、ユウトは目を瞬かせる。


 この人、ちゃんと人の感情は見えているのか。

 いや、見えてはいるのだ。ただ解釈がずれているだけで。


「……まあ、仕方ないですよ。俺だって、怪しさで言ったら最上級ですし」


「いいえ。あなたは怪しくはありません」


「いや、かなり怪しいと思いますけど」


「少なくとも、森で魔物に襲われていた人を、私は見捨てるつもりはありませんでした」


 その言葉だけは、変に真っ直ぐだった。


 ユウトは少しだけ肩の力を抜いた。

 レティシアは少し間を置いてから、声を柔らかくする。


「王都へ向かうことになります。おそらく、あなたは多くの者に見られ、問われるでしょう。ですがご安心ください。私ができる限り、盾になります」


「……ありがとうございます」


「ただし」


「ただし?」


「できれば、あの兵装は不用意に起動なさらぬよう」


「それは本当にそう思います」


「やはり制御が難しいのですね」


「違う、いや、違わないのか……」


 頭が痛い。


 レティシアはほんのわずか、唇の端を緩めた。

 初めて見る表情だった。厳しい美人が少しだけ笑うと、反則みたいに破壊力がある。


「とにかく、お休みください。夜明けとともに詳しい指示が来るでしょう」


 彼女は立ち上がり、扉の前で一度振り返る。


「シンドウ・ユウト」


「はい」


「あなたが何者であれ、今夜はこの砦の客人です。恐れる必要はありません」


 そう言って、静かに去っていった。


 扉が閉まる。

 部屋に残されたユウトは、しばらく動けなかった。


 恐れる必要はない。

 普通なら、少し安心できる言葉のはずだ。


 けれど彼は知っている。

 この先、自分を待っているのはたぶんもっと面倒で、もっと説明しづらくて、もっと胃の痛い展開だ。


 机の上に置いた紙袋を見つめる。

 中には、薄桃色の、どう考えても異世界の英雄譚に登場すべきではない物体が入っている。


「……量産品って言ったの、まずかったかなあ……」


 呟いてから、いやかなりまずかったな、と自分で訂正する。


 砦の外では見張りの交代を告げる鐘が鳴った。

 夜はまだ長い。だが王都への報告はもう飛んだだろう。


 明日にはきっと、さらに面倒なことになる。


 このときユウトはまだ知らなかった。

 自分が何気なく口にした「量産品」「用途は説明しづらい」という二つの言葉が、王都でとんでもない尾ひれをつけて広まり、やがて彼に**“黙して語らぬ神器使い”**という、最悪に格好よくて最悪に迷惑な異名をもたらすことを。

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