第16話 最も言えない秘密を抱えたまま、英雄になる
刺客の襲撃から、まだ半日も経っていなかった。
王都の夜は表向きには静かだったが、その裏では騎士団本部も王宮も、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
新堂ユウトは、ほとんど眠れないまま朝を迎え、重たい頭を抱えながら客室の机に向かっていた。
黒布袋は目の前にある。
中には、あの最終兵器と、二つの付属品。
王都へ来てから、ずっと事態は大きくなる一方だった。
噂は増え、敵は警戒し、ついには刺客まで現れた。
「……ほんと、どうしてこうなった」
ぼそりと呟いた、その時だった。
扉が叩かれる。
「シンドウ殿、至急です」
レティシアの声だ。
しかも、昨日の刺客騒ぎと同じ種類の緊張が混じっている。
「また!?」
反射的に立ち上がり扉を開けると、そこにはレティシアだけでなく、ミリスまでいた。二人とも完全に臨戦態勢の顔をしている。
「何があった」
ユウトが問うと、ミリスが短く答えた。
「刺客の狙い、あなたの暗殺だけじゃなかった」
「え?」
「囮よ」
その一言で、背筋が冷えた。
レティシアが続ける。
「王都地下水路の点検班が、未確認の魔力反応を発見しました。しかも位置が悪い」
「位置?」
「王都の地下魔力炉です」
意味が分からず、ユウトは目を瞬かせる。
「地下魔力炉って、なに」
「王都の一部結界と給水制御を支える中枢です」
ミリスの声は、いつになく低い。
「そこに魔族の細工が入ってる可能性がある。もし暴走か破壊が起きれば、地下水路ごと吹き飛ぶか、最悪、王都中心部の地盤が崩れる」
「……いや、それ普通に大惨事じゃん」
「だから至急なの」
ミリスが苛立たしげに言う。
「刺客は護衛の目を上に向けるため。ほんとの狙いは地下だった可能性が高い」
ユウトは一瞬、言葉を失った。
昨日の襲撃すら、前座だったのか。
自分を狙ったのは事実だろう。だが、それだけではなかった。王都そのものを揺さぶる破壊工作が、別で進んでいた。
「王宮は?」
「第二王女殿下の命で、すでに地下区画の封鎖が始まっています」
レティシアが答える。
「ですが、構造が複雑で、深部は騎士団だけでは対応が難しい」
「呪具と障壁の混成反応も出てるわ」
ミリスが言う。
「つまり、またあなた向き」
「全然嬉しくないなあ!」
だが、嫌だと言っている暇はなかった。
王都が吹き飛ぶかもしれない。
そこまで言われて動かない理由は、もうなかった。
「……行くよ」
レティシアが強く頷く。
「ありがとうございます」
「感謝されるのもそろそろ慣れないな」
「慣れなくていいです」
その返答だけは、妙にやわらかかった。
◇
王都の地下へ続く入口は、王宮裏手の給水塔の下にあった。
石段を降りる。
空気がひんやりと湿っていく。水の流れる音が近くなる。ランプの明かりが石壁を照らし、長い影を作っていた。
同行者は、ユウト、レティシア、ミリス、フィアナ、それに騎士団精鋭が四名。
セレスティアは地上で指揮を執り、エラルド司祭は上層の封鎖と祈祷に回っているらしい。
「地下水路って、もっとこう、ただの水道みたいなの想像してた」
ユウトが小声で言うと、ミリスが先頭近くで答える。
「王都は古いのよ。何代も増築して、魔導式の補助まで入ってる。だから面倒なの」
「つまり、壊れたらもっと面倒ってことか」
「そういうこと」
石段を降りきると、そこは大きな地下通路だった。
左右に水路が走り、中央には人が通れる石道。ところどころに古い魔法陣めいた刻印があり、淡く青い光を放っている。だが、その青がところどころ濁っていた。
「……嫌な感じだな」
ユウトが呟くと、フィアナが小さく頷く。
「下の方で、泣いてるみたいな感じがします」
「その表現はちょっと怖いな」
「ごめんなさい」
「いや、たぶん合ってる気もする」
進むほどに、空気は重くなった。
水音の中に、かすかに別の響きが混じる。金属がこすれるような、何かが脈打つような、不快な低音。
ミリスが立ち止まり、結晶板を見る。
「近い」
その直後だった。
前方の暗がりから、黒い影がぬるりと現れた。
「……またかよ」
人型だが、昨日の刺客とは違う。
もっと粗い。もっと露骨に魔族寄りだった。黒い革鎧、鈍い光を返す曲刀、赤く濁った目。数は五体、いや後ろにまだいる。
「地下守備隊……じゃないな」
レティシアが低く言う。
「魔族の潜入兵です」
影たちは無言で構えた。
こちらを排除するためだけにここにいる、その気配がはっきりしている。
「問答なしか」
ユウトが言うと、レティシアが剣を抜いた。
「その方が、むしろ分かりやすいです」
戦闘は、一気に始まった。
先頭の魔族兵が飛び込む。レティシアが真正面から受け、剣を滑らせるようにいなして喉元を打つ。横から来た二体目へ、騎士団の一人が槍を突き込み、ミリスは短い詠唱で足元に氷の膜を走らせた。
だが地下通路は狭い。
数で押されると厄介だ。
「シンドウ殿、後ろ!」
言われて振り向くと、水路の縁から黒い手が伸びていた。
液状の影。スライムではない。呪詛に近い何かが、人の形だけを真似して這い上がってくる。
「うわ、また気持ち悪いの来た!」
「守り手の残滓よ! 核は薄いけど邪魔!」
ミリスの言葉に従い、ユウトはとっさに広域寄りの付属品を装着した。
ぶ……ぉん。
出力は弱い。
だが、広がる振動は地下の水音に乗って、影の群れ全体へ触れた。
ぶるり、と影が揺れる。
形を保てなくなったそれらは、そのまま黒い霧みたいにほどけて消えた。
「助かった!」
騎士の一人が叫ぶ。
だが、前はまだ抜けない。
魔族兵は明らかに時間稼ぎをしていた。正面から勝つつもりではなく、深部へ近づけないように押しとどめるためだけの動き。つまり、奥で何かが進んでいる。
「まずいな……!」
ユウトが歯を食いしばる。
「このままだと間に合わないんじゃ」
「だから突破するの!」
ミリスが叫ぶ。
「レティシア、三秒!」
「はい!」
レティシアが踏み込んだ。剣が閃き、連続で二体を下がらせる。その間にミリスが圧縮魔術を撃ち込み、通路の中央へ衝撃を走らせた。魔族兵がよろめく。
「今!」
その声で、一行は一気に前へ抜けた。
すべてを倒しきるのではなく、抜く。
地下という地形では、その判断が正しかった。
◇
深部は、異様な空間だった。
広い。
地下水路の終点というより、古代の施設跡に近い。円形の大部屋の中央に、巨大な石の台座があり、その上で青白い光の柱が脈打っている。あれが王都地下魔力炉なのだろう。
だが今、その周囲には黒い鎖のような呪詛線が巻きついていた。青白いはずの光はところどころ紫黒く濁り、脈動が不規則になっている。
「……うわ」
ユウトは本気で引いた。
ただ見ただけで、やばいと分かる。
「間に合ったけど、ぎりぎりね」
ミリスが低く言う。
「固定呪具を使って炉を暴走寸前まで持ってってる」
そして、その台座の前に立っていた。
ガルドス配下と思しき、より上位の魔族が三体。
黒い法衣めいた装束に、顔半分を隠す仮面。杖の先には紫黒い結晶。どう見ても術者だ。
「来たか」
そのうちの一体が、人語で言った。
「遅かったな、異邦人」
「遅くなかったからここにいるんだけど!」
言い返しながらも、ユウトの背中に冷たい汗が伝う。
魔力炉の脈動が不規則だ。
今にも何かが起きそうな、不安定な音が地下全体へ響いている。
ミリスが即座に状況を読む。
「呪具を全部壊しても遅いかも。炉そのものが共鳴暴走寸前」
「じゃあどうする!」
「……炉の中心核ごと、構造を断つしかない」
その一言の意味を理解するのに、一拍かかった。
「断つって」
「共振破壊よ」
ミリスがユウトを見る。
「あなたの兵装で、魔力炉の核周期を乱して停止させる」
「待て待て待て!」
ユウトは目を剥いた。
「それって、魔力炉そのものを壊すってことじゃないの!?」
「暴走して王都ごと巻き込むのと、核だけを止めて一時停止させるのと、どっちがましだと思う?」
正論だった。
最悪な形の正論。
「無茶言うなあ!」
「でも、たぶんできる!」
ミリスの声には焦りと確信が同居していた。
その間にも、術者たちは杖を掲げ、最後の詠唱に入ろうとしている。
レティシアが剣を抜き、騎士たちも前へ出る。
「私たちが道を作ります!」
「シンドウ殿、炉へ!」
もう、迷っている暇はなかった。
◇
戦いは、一気に激化した。
術者の一体が杖を振り下ろす。紫黒い刃のような呪波が飛ぶ。ミリスが即座に障壁を重ねて相殺するが、完全には消しきれず、石床が抉れた。
レティシアが真正面から術者へ斬り込む。
だが、残り二体が左右から呪具を放ち、彼女の進路を狭める。
「厄介っ……!」
「フィアナ、祈りを重ねて! 炉の揺れを少しでも抑える!」
「はい!」
フィアナの祈りが白い光になって広がる。完全ではないが、魔力炉の脈動が一瞬だけ整った。ほんの一拍。だがそれで十分だった。
「ユウト!」
ミリスが叫ぶ。
「いま、通路の線が見える! 中央まで走って!」
ユウトはもう考えるのをやめた。
黒布袋から本体を引き抜く。
標準型か、近接型か、それとも広域型か。迷いは一瞬だった。
炉そのものへ刺すなら、近接型。
でも周囲の呪詛線も絡んでいる。なら――
「両方は無理かよ!」
半泣きで叫びつつ、標準型のまま駆ける。
中間しかない。今はそれしかない。
術者の一体がこちらへ気づく。
「止めろ!」
黒い鎖が足元を這う。
だがレティシアが間に入り、その鎖を剣で断ち切った。
「行ってください!」
「レティシア!」
「振り返らないで!」
その声が背中を押した。
ユウトは中央の台座へ飛びつく。
魔力炉は間近で見ると、巨大な青白い球体に近かった。表面には無数の魔力流路が走り、そこへ黒い呪詛線が食い込んでいる。
「……これ、最大出力でもつのか?」
手の中の本体は、弱っている。
残量の不安が、喉の奥を締めつける。
だが、ここで止められなければ全部終わる。
「……頼むぞ」
誰に向けたのかも分からないまま、ユウトはスイッチを強く押し込んだ。
ぶぉん――!
今までで、一番深い音だった。
弱っていたはずなのに、まるで最後の力を絞るみたいに、振動が一気に立ち上がる。掌から腕、肩、背骨まで一気に抜けるような重い波。視界が震える。地下水路全体が低く唸り始めた。
「来た!」
ミリスの叫び。
ユウトは、そのまま本体を魔力炉の表面へ押し当てた。
次の瞬間、世界が震えた。
青白い光の表面に細かな波紋が走る。
黒い呪詛線が一斉に震え、逆流するようにほどけ始める。
だが同時に、魔力炉そのものの脈動も乱れた。
「やばっ……!」
台座が揺れる。
地下の水路が鳴る。
石壁から砂が落ちる。
ミリスが必死の声で叫ぶ。
「そのまま! 今、呪詛より炉本体を先に乱してる! あと少しで固定周期が切れる!」
「意味は分からないけど、止めるなってことだな!?」
「そう!」
術者たちが何かを叫び、こちらへ呪波を飛ばす。
だが、レティシアと騎士たちがそれを死に物狂いで止めていた。フィアナの祈りも、白い光となってユウトの背中まで届いている。
ユウトは歯を食いしばる。
腕が痺れる。
音がうるさい。
怖い。
だが、ここで手を離せない。
「止まれええええええ!」
ほとんど悲鳴だった。
その瞬間。
ぱきん、と。
何かが決定的に折れるような音がした。
魔力炉の中心にあった青白い核光が、一度だけ強く明滅し、それからすうっと消える。
同時に、絡みついていた黒い呪詛線もまとめて砕け散った。
地下に満ちていた不規則な唸りが、ぴたりと止まる。
「…………」
静寂。
さっきまで世界を揺らしていた振動が嘘みたいに消えていた。
ユウトはその場に膝をつく。
手の中の本体も、今度こそ完全に沈黙していた。
「……止まった?」
小さく言う。
ミリスが、信じられないものを見る顔で魔力炉を見上げる。
「停止した……」
フィアナがへたり込みそうになりながら、胸に手を当てる。
「爆ぜて、ないです……」
レティシアも、剣を構えたまま息を吐いた。
「成功、ですか」
そこで、術者の一体が膝をついた。
呪具も砕け、もう戦う力はないのだろう。
「馬鹿な……」
低く、呆然と呟く。
「魔力炉を……止めた……?」
その声音には、恐怖すら混じっていた。
◇
地下から地上へ戻るころには、王都はまだ無事だった。
当然だ。
壊滅は防がれたのだから。
だが、その事実が表へ伝わる速度は、王都らしく異様に早かった。
地下魔力炉暴走寸前。
王都壊滅の危機。
それを防いだ異邦人。
言葉としてまとめれば、もう最悪に目立つ。
地上へ上がったところで、セレスティアが待っていた。
第二王女はいつも通り整った微笑を浮かべていたが、その目だけは少しだけ鋭かった。
「間に合ったのね」
「……なんとか」
ユウトが答えると、王女はそのままレティシア、ミリス、フィアナへ順に視線を向ける。
「皆、ご苦労さま」
その一言で、王宮付きの騎士や侍従たちが一斉に動き出す。
被害確認、地下封鎖、情報整理、捕縛された術者の移送。王女の一言が号令そのものなのだろう。
セレスティアは最後にユウトを見て、ふっと笑った。
「あなた、本当に退屈させないわね」
「こっちは胃が死にそうなんですけど」
「でも王都は助かった」
それは、否定できなかった。
◇
その夜、王宮主導で小さな叙勲めいた場が設けられた。
正式な大式典ではない。
だが王家の名で、王都を守った功労者へ感謝を示す場だという。レティシアも、ミリスも、フィアナもいた。騎士団と魔導院と神殿の上層部も揃っている。
ユウトとしては、また公開処刑かよ、という感想しかなかった。
だが、壇の前に立った瞬間、会場の空気は演武会のときとは少し違うと気づく。
熱狂ではなく、本気の安堵と敬意があった。
セレスティアが王家を代表して告げる。
「王都アルセイアの地下炉暴走を防ぎ、多くの命を守った功を、ここに記します」
短い言葉だ。
だが重い。
ユウトはどう返せばいいのか分からなかった。
ただ、ここで変に卑屈に振る舞うのも違う気がした。
「……ありがとうございます」
結局、無難にそれだけ言う。
すると、次にレティシアが一歩進み出た。
彼女は剣を抜き、片膝をつき、その剣を捧げるように差し出した。
「王都を守りし者として、今後も私はあなたの盾となります」
「いや、ちょっと待って、それは重い」
思わず本音が出た。
会場に微妙な空気が流れかけたが、レティシアはいたって真面目だ。
「重いでしょう」
「自覚あるんだ」
「ですが、本心です」
返す言葉がない。
続いてミリスが前へ出る。
こちらは膝をついたりはしなかったが、珍しくかなり改まっていた。
「研究者として、あなたと兵装の解析に今後も全面協力するわ」
「それ、宣言にすると余計に逃げづらいんだけど」
「逃がすつもりがないもの」
「そうだろうと思った」
フィアナは、半分真剣、半分うっとりした顔で両手を胸に重ねていた。
「神殿でも、この出来事をきちんと残したいです」
「残さなくていい」
「でも、王都を救ったんですよ」
「そこはそうだけど」
「“律動の聖杖の奇跡”として――」
「やめて!」
半分本気の声が出た。
会場の端で、エラルド司祭がこめかみを押さえた。たぶん神殿内でまた話が大きくなるのだろう。もう止める気力もない。
それでも、その場にいる全員が本気で感謝しているのは分かった。
だからこそ、ユウトは悟る。
もう駄目だ、と。
この世界で、自分の手にあるこれの“本当の説明”を、まともに受け止めてもらえる日は来ない。
いや、来てはいけないのかもしれない。
神器。
聖杖。
戦略兵装。
なんと呼ばれようと、少なくとも今は、この誤解の上に王都の安心が成り立ってしまっている。
「……墓まで持っていくしかないな」
小さく呟くと、隣にいたミリスが眉を寄せた。
「なにが?」
「いや、こっちの話」
「またそうやって秘匿を深める」
「深めたくてやってるんじゃないんだよ!」
だが、半分は本気だった。
最も言えない秘密。
それを抱えたまま、この世界では英雄になってしまった。
◇
同じ頃、魔王軍の本拠では。
暗い広間の下、ガルドスが膝をついていた。胸の魔装甲にはまだひびの跡が残っている。王都地下での工作失敗の報も、すでに届いていた。
「……異邦人が、地下炉まで止めたか」
低い声が、玉座の上から降る。
姿は影に沈み、輪郭さえ曖昧だ。
だが、その場の空気だけで分かる。ここにいるのが、魔王その人なのだと。
ガルドスは頭を垂れたまま答える。
「はい。兵装は複数の性質を持つ可能性があります」
「ほう」
「障壁破壊、装甲共振、呪具崩し、不定形消滅……確認されたものだけでも多い」
しばし、沈黙。
やがて玉座の上の影が、わずかに身を乗り出す。
「面白い」
その一言は、ガルドスの低い報告よりもずっと冷たかった。
「震界の魔杖、だったか」
「王国ではそのように」
「名などどうでもいい」
影が笑う。
静かで、しかし不気味な笑みだった。
「その使い手に、興味が湧いた」
王都では歓声と安堵の中で、一人の異邦人が英雄になった。
その同じ夜、魔王はその異邦人へ、明確に興味を向けた。
それが何を意味するのか。
ユウトはまだ知らない。
だが、少なくともひとつだけ確かなことがある。
この物語はもう、ただの勘違いコメディだけでは終わらないところまで来てしまった。
それでもなお、最も核心にある秘密だけは、どうしても言えないままなのだ。




