第15話 刺客襲来、守りたいのは名誉だけど守れない
王都大演武会の熱気が、ようやく広場の外へ流れ始めたころだった。
新堂ユウトは、騎士団に囲まれるような形で舞台袖から退場していた。
観客の歓声はまだ続いている。広場のあちこちで「見たか」「本当にゴーレムを」と興奮した声が飛び交い、露店の客引きまでいつもより声が大きい。
普通なら、成功した式典の余韻に浸る場面なのだろう。
だが、レティシアがさっき見たという“ただの観客ではない誰か”の話が、その空気を全部台無しにしていた。
「……ほんとにいたんだよな」
小声で聞くと、レティシアは一切迷わず頷いた。
「はい」
「見間違いとかじゃなく?」
「ありません」
短い返答。
そこに迷いがないのが逆に怖い。
ミリスも後ろから歩きながら、珍しく軽口を叩かなかった。
「広場の熱気に紛れて消えたのが厄介ね。訓練された人間か、魔族の手先か、どちらにしても素人じゃない」
「言い方がもう嫌なんだけど」
「嫌でもそういう段階よ」
フィアナだけが、状況を理解しきれないまま不安そうに周囲を見回していた。
「刺客、なんでしょうか」
「かもしれません」
レティシアが答える。
「ですので、シンドウ殿は私たちから離れないでください」
「言われなくても離れないよ……」
こういう時だけ、自分が本当に“守られる側”だと痛感する。
戦場ではたまたま役に立てる。けれど、こういう闇討ちや人混みの中の気配には、まるで対応できない。
広場から王宮外縁へ続く回廊は、警護の騎士で封鎖気味になっていた。
王宮側も異変を察したのだろう。退場する貴族たちの馬車が優先的に通され、その陰で騎士団の足音がせわしなく行き交っている。
「本部へ戻る動線を変えます」
レティシアが短く告げる。
「大通りは避ける。人の目は減るが、代わりに通路を絞れる」
「それ、待ち伏せにはならない?」
「広場周辺に残るよりはましです」
その判断の速さがありがたい。
だが同時に、ユウトの胃はきりきりした。
自分一人ならまだいい。
いや、よくはないが、少なくとも“自分が狙われている”だけの話で済む。
でも今は違う。レティシアも、ミリスも、フィアナもいる。もし本当に刺客なら、こっちの誰かが巻き込まれる。
その考えが、妙に胸へ重く落ちた。
◇
最初の異変は、あまりにも唐突だった。
王宮外縁の石廊下を抜け、中庭に面した細い通路へ差しかかったとき。
先頭を歩いていた護衛騎士の一人が、急に足を止めたのだ。
「――待て」
低い警告。
次の瞬間、その騎士の足元で、石畳の継ぎ目から黒い煙のようなものが噴き上がった。
「っ!?」
煙ではない。
細い糸だ。黒い糸が一斉に絡みつき、騎士の脚を拘束する。彼が剣を抜こうとした瞬間、今度は壁際の影から、黒衣の影が三つ飛び出した。
「来た!」
ミリスが叫ぶ。
刺客たちは無言だった。
顔の下半分を布で隠し、軽装の上から黒革を重ねている。短剣を持つ者が二人、細身の杖を持つ者が一人。人間か魔族か一見では分からない。ただ、その動きだけが異様に無駄なく、ためらいがなかった。
狙いは、はっきりしていた。
ユウトだ。
「シンドウ殿、下がって!」
レティシアが前へ出る。剣が閃き、最初に飛び込んできた短剣の刺客を弾く。
だが刺客は一撃で崩れない。受けを流し、そのまま低い姿勢で懐へ潜り込もうとする。
「はやっ――!」
ユウトが情けない声を上げた瞬間、ミリスの詠唱が走った。
「《縛雷》!」
青白い閃光が通路を走り、二人目の刺客の足元を弾く。
相手は一瞬だけ体勢を崩したが、そこで怯むような素人ではなかった。壁を蹴り、無理やり距離を詰め直してくる。
後衛の杖持ちが、低く何かを唱えた。
ぞわり、と嫌な気配が広がる。
空気が冷えたのではない。感覚が鈍るような、注意そのものが引き剥がされるような不快感だ。
「呪具!」
ミリスが怒鳴る。
「視界を持っていかれる、フィアナ!」
「はい!」
フィアナが祈祷書を胸に抱え、震える声で祈りを重ねる。
白い光の薄膜がユウトたちの前へ張られた。完全ではない。だが、嫌な鈍りが少しだけ和らぐ。
「助かる!」
「ご、ごめんなさい、強くはないです!」
「今ので十分!」
レティシアは短剣の一撃を剣の腹で受け、その勢いのまま刺客の肩口へ肘を打ち込んだ。相手が後退した隙に、彼女は半歩も下がらず、完全にユウトの前へ立つ。
「絶対に離れないでください!」
「う、うん!」
だが、相手の狙いは正面突破だけではなかった。
足を拘束された護衛騎士の脇をすり抜け、壁際を這うように三人目が回り込む。杖持ちだ。狙いはユウトではなく、肩にかけた黒布の携行袋。
「っ、袋か!」
ミリスが気づく。
つまり、殺害だけではない。
奪取も目的に入っている。
ユウトの背筋が凍る。
同時に、妙な怒りも湧いた。
これがなければ、今の自分はもっと楽だった。
だが、これがなければ、レティシアたちも危険な目に遭わずに済んだかもしれない。
しかも今、こいつらはそれを奪おうとしている。
自分の事情も、周囲の迷惑も、全部ひっくるめて踏み荒らすみたいに。
「……ふざけんな」
半ば反射で、ユウトは携行袋から本体を引き抜いた。
「シンドウ殿!」
「近づくな!」
ぶ……ぉん。
出力が落ちている。
それでも振動は立ち上がる。
回り込んできた杖持ちが、その音を聞いた瞬間に目を見開いた。わずかだが、本能的な警戒が表情に出る。
遅い。
ユウトはやけくそで、それを杖持ちの短杖へ向けて突き出した。
次の瞬間、相手の短杖に刻まれた黒い紋様がぶれた。
びり、と嫌な音を立て、杖そのものが内側からひび割れる。
「なっ……!」
杖持ちが初めて声を漏らした。
同時に、通路を満たしていた嫌な鈍りが一気に弱まる。呪具の核が乱れたのだろう。
「やっぱり呪具にも効く!」
ミリスの声は、こういう時だけ本当に楽しそうで腹が立つ。
「今のうち!」
レティシアが一人目の刺客を押し返し、そのまま剣を返して二人目の短剣を弾く。護衛騎士も拘束を断ち切って立ち直り、通路の幅を生かして刺客たちを挟み込もうとする。
だが敵も引かない。
一人目が、明らかに無理な体勢からユウト目がけて短剣を投げた。
「っ!」
避けきれない。
そう思った瞬間、レティシアが文字通り身を投げた。
銀青の外套が翻り、ユウトの前へ割り込む。短剣は彼女の肩口の防具をかすめ、鈍い音を立てて石壁へ刺さった。
「レティシア!」
「無事です!」
反射的な返答だったが、彼女の呼吸は明らかに荒い。
その光景を見た瞬間、ユウトの胸の奥で何かが切り替わった。
今までだって、分かっていたつもりだった。
自分が守られていること。
この兵装のせいで、周囲を巻き込んでいること。
でもそれは、どこか実感の薄い理解だった。
違う。
今、目の前で、レティシアは本当に自分を庇って傷を負いかけた。
ミリスも呪具を乱す魔術を重ね、フィアナも震えながら結界を維持している。
自分のせいで、みんなが戦っている。
「……っ!」
ユウトは歯を食いしばった。
「ミリス!」
「なに!」
「呪具持ち、もう一回狙う!」
「できる!?」
「やるしかない!」
出力は弱い。
残量も心配だ。
でも、今は惜しんでいる場合じゃない。
ユウトは黒布の携行袋へ手を突っ込み、半ば反射で近接寄りの付属品を引き抜いた。
刺客たちの視線が、一瞬だけそこへ集まる。
「っ、換装――」
誰かが小さく呟いた。
敵も、その情報を知っている。
その事実が逆に、ユウトの迷いを削った。
「知ってるなら、なおさらだ!」
付属品を装着する。
カチリ、と軽い感触。
振動の質が変わる。
広く散るのではなく、細く、鋭く、刺すような波になる。
呪具持ちが一歩退いた。
その退き方が、すでに答えだった。効くのだ。
「レティシア、道!」
「はい!」
彼女は肩口をかすめた痛みなど無視するように踏み込み、一人目の刺客を押し込む。護衛騎士がもう一方を止める。ほんの一拍、呪具持ちへの進路が開いた。
ユウトはそこへ突っ込んだ。
「うわああああっ!」
半分悲鳴だ。
でも足は止まらない。
近接型の先端を、呪具持ちの短杖へ押し当てる。
ぶる、と短杖全体が震え、その内部に刻まれていた黒い紋様が一気に崩れた。柄の中央からひびが走り、ぱきん、と折れる。
「なっ……!」
今度こそ明確な動揺だった。
同時に、刺客たちの連携が崩れる。
呪具の支援が切れ、短剣組の動きがわずかに鈍る。
「押し切る!」
ミリスの魔術が飛ぶ。
雷光ではなく、圧縮した空気の弾丸のような一撃が、二人目の刺客の足元を払う。バランスを崩したところへ、レティシアの剣の柄が容赦なく鳩尾へ叩き込まれた。
一人目は護衛騎士が盾で押し込み、石壁へ叩きつける。
呪具持ちは折れた杖を捨て、なお短剣を抜こうとしたが、その瞬間にはユウトの手の中のそれが、目と鼻の先にあった。
「近づくな」
声は震えていたと思う。
でも、相手は止まった。
止まらざるをえなかったのだろう。
先ほど自分の武器が内側から壊されたのを、体で理解している。
数秒の硬直。
そして刺客たちは、これ以上は無理だと判断したらしい。
一人目が低い笛のような音を鳴らす。合図だった。
次の瞬間、三人は一斉に小瓶を地面へ投げつけた。
白煙が広がる。
「くそ、煙幕!」
レティシアが叫ぶ。
護衛騎士たちが追おうとしたが、煙の向こうで足音はすでに散っていた。通路を熟知している逃げ方だ。
やがて煙が薄れるころには、刺客たちの姿はどこにもなかった。
◇
静けさが戻ったあとで、ユウトはようやく自分が震えていることに気づいた。
手が震える。
肩も震える。
呼吸が浅い。
「……終わった?」
「いったんは」
レティシアが剣を納める。
その声は落ち着いていたが、彼女自身の呼吸も荒い。
「本部へ戻ります。ここは危険です」
ミリスが折れた短杖の破片を素早く拾い上げる。
「これ、魔導院で解析する。呪具の系統が分かれば、出所に近づけるかも」
「そんな余裕あるの……」
「あるわけないでしょ。でも拾えるものは拾うの」
さすがだった。
フィアナはまだ少し顔色が悪い。結界を維持していたせいだろう。
それでも、ユウトへ近づくと真っ先に尋ねた。
「大丈夫ですか」
「俺は……まあ、なんとか」
「レティシアさんは!」
そこでようやく、ユウトは肩口の短剣を思い出した。
「そうだ、肩!」
レティシアは一瞬だけ目を逸らした。
「かすり傷です」
「嘘だな」
「嘘では」
「その言い方は嘘だろ」
ミリスがさっさと外套の肩口をずらす。
レティシアがわずかに眉を寄せたが、抵抗はしない。薄く血が滲んでいる。深くはない。だが、無傷でもない。
「浅い。でも呪具の刃かもしれない」
ミリスが険しい顔になる。
「フィアナ」
「はい!」
フィアナがすぐに前へ出て、短い祈りを重ねた。
淡い光が傷口へ重なり、黒ずんだ気配がわずかに弾けるように散る。
「……大丈夫そうです」
フィアナが息を吐く。
ユウトはそれを見て、ようやく少しだけ呼吸を取り戻した。
「よかった……」
ほんの一瞬だが、本気で冷えたのだ。
もしあれが深く入っていたら。もし呪具の作用がもっと強かったら。そう考えたら、ぞっとした。
レティシアが静かに言う。
「守るのが役目です」
「分かってる」
ユウトは、少しだけ低い声で返す。
「でも、そういう問題じゃないんだよ」
その言葉に、レティシアはわずかに目を見開いた。
それきり何も言わず、ただこちらを見る。
ユウトはうまく言葉を探せなかった。
けれど、ひとつだけははっきりしている。
自分が守られているのは分かっていた。
でも、守られることを前提にして、ただ流されているだけではだめなのだ。
「……本部戻ったら、ちゃんと考える」
「何をですか」
「俺が、どう動くか」
レティシアはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「はい」
◇
騎士団本部へ戻ると、今度こそ大騒ぎになった。
演武会直後、王宮外縁通路で刺客襲撃。
しかも狙いはユウトと兵装。
王宮の警備、騎士団の護衛、王都の治安、全部に関わる重大事だ。
事情聴取。
通路の再検証。
王宮警備との連携確認。
魔導院での呪具解析。
もはや休む暇もない。
だが、そうした慌ただしさの中でも、ユウトの頭に残っていたのはひとつだけだった。
レティシアが自分を庇ったこと。
ミリスが即座に支援へ動いたこと。
フィアナが怖がりながらも結界を張り、治療まで手伝ったこと。
自分のせいで、みんなが動いている。
そしてそれは、“なんとなく悪い気がする”では済まない場所まで来ている。
夜遅く、ようやく人払いされた部屋で、ユウトは机の上の黒布袋を見つめた。
以前の紙袋より見た目はましだ。だが、中身の重さは増すばかりだ。
ノックのあと、レティシアが入ってくる。肩口には治療後の薄い包帯が巻かれていた。
「……傷、大丈夫?」
「ええ。支障はありません」
「よかった」
短い沈黙。
それを破ったのはユウトの方だった。
「レティシア」
「はい」
「今まで、なんていうか……俺、だいぶ流されてたと思う」
「否定はしません」
「そこはちょっと濁してくれない?」
「ですが、それも無理はありません」
レティシアは机の向かいに立つ。
「突然この世界へ来て、状況も分からず、兵装だけが勝手に評価されて。流されない方が難しいでしょう」
「うん」
「ですが」
「また“ですが”だ」
「今日で、少し変わりましたか」
ユウトは黒布袋へ視線を落とした。
変わった、と思う。
正確には、変わらざるをえなくなった。
「……たぶん」
「そうですか」
レティシアの声は静かだった。
「なら、それで十分です」
「十分かなあ」
「最初から完璧に覚悟が決まる方が珍しいです」
それは少しだけ、慰めになった。
その後、ミリスも遅れて顔を出した。
手には例の折れた短杖の破片を入れた箱がある。
「解析、途中だけど分かったことがある」
「早いな」
「早いわよ。敵も急いでるもの」
ミリスは真面目な顔で続ける。
「王都の裏で流通してる呪具とは系統が違う。もっと軍用寄り。しかも、あなたの兵装の特性をある程度想定して調整されてる節がある」
「……つまり?」
「敵は本気で、あなたを奪うか潰すかを考え始めてる」
その言葉は、思った以上に冷たく胸へ落ちた。
だが今度は、ただ怯えるだけでは終わらなかった。
ユウトはゆっくり頷く。
「分かった」
ミリスが少しだけ眉を上げる。
「随分あっさりね」
「怖いのは変わらないよ」
正直に言う。
「でも、俺が“怖いから知らない”で済ませてると、たぶんまた今日みたいになる」
レティシアも、ミリスも、黙ってこちらを見ていた。
「だったら、少なくとも、自分が何を持ってて、どう狙われてるのかくらいは理解しないと」
それは英雄の台詞ではない。
ただの、ようやく覚悟の入口に立った人間の言葉だ。
ミリスは少しだけ口元を緩めた。
「……その方が話が早いわ」
「やっぱり研究者目線なんだな」
「でも嫌いじゃないわよ、今の」
レティシアも静かに頷く。
「私もです」
ユウトは深く息を吐いた。
守りたいのは、正直に言えばいまだに自分の名誉だ。
あの中身の真実を知られたくない気持ちは、これっぽっちも薄れていない。
でもそれだけではなくなった。
今はもう、目の前で傷つく誰かを増やしたくないという気持ちもある。
その違いは、小さく見えて大きかった。
「……第16話が残ってます」
と言いかけて、もちろんそんなことは口に出さなかった。
代わりにユウトは、黒布袋の口をきゅっと閉じた。
「とりあえず、次に刺客が来ても、前みたいにただ叫んでるだけじゃ済ませない」
その言葉に、レティシアの目が少しだけやわらいだ。
「頼もしいです」
「いや、まだ全然頼もしくはない」
「それでもです」
ミリスが箱を抱え直しながら言う。
「じゃあ、次はもっと理詰めで動いてもらうわ」
「そういうとこだぞ」
フィアナがいればきっと「よかったです!」と明るく言っただろう。
だが今夜は、その不在さえ静けさとしてちょうどよかった。
刺客は去った。
でも、狙われている現実は消えない。
王都の熱狂の裏で、戦いはもう別の形へ進み始めている。
ユウトはそのことを、ようやく自分の問題として受け止め始めていた。




