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第10話 噂は敵陣へ

 国境砦から王都へ戻る道中、新堂ユウトは馬車の中でずっと黙っていた。


 黙っているしかなかった、と言った方が正しい。


 四天王。

 魔王軍。

 敵将ガルドス。

 そして、そのガルドス自身が、自分の手にあるものを見て「危険だ」と断じたこと。


 それら全部が、今さらじわじわ実感になって押し寄せてくる。


「……なあ」


 しばらくして、ようやくユウトは口を開いた。


「ひとつ聞いていいか」


「なに?」


 向かいに座るミリスが記録板から目を上げる。

 横ではレティシアも静かにこちらを見ていた。


「敵に脅威認定されるって、普通にかなりまずいよな」


 ミリスはあっさり頷いた。


「かなり、どころじゃないわね」


「やっぱりか」


「これまでは王都の中だけの話だった。騎士団が評価して、神殿が神聖視して、魔導院が研究したがった。全部こっち側の都合よ」


「うん」


「でも今回は違う。魔王軍側が、あなたの兵装を実戦で見て、しかも幹部が直接“危険”と判断した」


 ミリスは指先で記録板を軽く叩く。


「これで向こうは対策を考える。避ける、奪う、封じる、遠距離から潰す。選択肢はいろいろあるけど、少なくとも無視はしない」


「嬉しくない話だなあ……」


「ええ。でも重要な話よ」


 レティシアが低く言う。


「敵が警戒したということは、それだけユウト殿の存在が戦局に影響し得るということです」


「そこで前向きに評価されても困るんだけど」


「困るでしょうね」


 珍しく即答だった。


 ユウトは窓の外を見る。街道の向こうに、薄く夕焼けが広がっていた。

 見た目だけなら穏やかな帰路だ。だが実際は、まるでそうではない。王都へ戻れば、今日の戦いはまた大げさに伝わる。しかも今度は、王国側だけではない。敵側にも新しい認識が生まれている。


 自分が、両陣営のあいだで勝手に価値を持ち始めている。


「……たまったもんじゃないな」


 小さく漏らすと、レティシアがほんの少しだけ視線を和らげた。


「お気持ちは分かります」


「ほんとに?」


「はい。少なくとも、望んで英雄に祭り上げられたい方ではないことは理解しています」


「そこ理解されてるの、ちょっとありがたいな」


「ですが」


「その“ですが”ほんと多いな」


「現実は変わりません」


 その通りだった。


   ◇


 王都へ戻ると、騎士団本部はすでに騒然としていた。


 国境砦から先行して飛ばされた早馬が、四天王襲来の報を運んでいたらしい。門前には伝令、詰所には参謀らしき者たち、廊下では兵士たちが慌ただしく行き来している。


 そしてユウトたちが馬車から降りた瞬間、空気がまたひとつ変わった。


「あれが……」

「四天王を退けた……」

「本当に帰ってきたぞ」

「胸甲を割ったって話は本当か?」


「話がもう育ってるなあ……!」


 思わず呻くと、ミリスが平然と言う。


「事実だから仕方ないわね」


「事実でも言い方ってものがあるだろ」


「“四天王級魔装甲に損傷を与えた”の方がいい?」


「硬くなっただけだ!」


 レティシアは周囲へ鋭い視線を送り、道を開かせる。

 そのままユウトは半ば守られるように本部奥の会議室へ案内された。


 そこにはすでに数人の騎士団上層部、魔導院関係者、そして王宮付きの文官まで集まっていた。

 重い空気だった。


 その場で改めて戦闘報告が行われる。


 四天王ガルドスの出現。

 魔装甲と高密度障壁。

 国境砦の損傷。

 そして、ユウトの兵装が障壁と装甲を同時に乱し、明確な警戒を引き出したこと。


 話すのは主にレティシアとミリスで、ユウトはその横でひたすら気まずかった。

 自分のことを、自分が一番分かっていないまま、周囲だけが専門的に評価していく。なんとも居心地が悪い。


「つまり」


 王宮付きらしき細身の文官が、低くまとめる。


「敵はすでに、異邦人シンドウ・ユウトと、その兵装を脅威として認識した」


「はい」


 レティシアが答える。


「加えて、敵将自ら“近寄らせるな”と命じました」


 室内に沈黙が落ちる。


 その一言の意味を、誰もが理解したのだろう。


 文官はゆっくりと言った。


「対魔術、対障壁、対魔装甲。しかも不定形魔物にも有効……。魔王軍がこの情報を本隊へ持ち帰るなら、今後は狙われると考えるべきでしょう」


「本隊へ、って」


 ユウトが思わず口を挟む。


「向こうって、そんなに情報共有早いのか」


 返したのはミリスだった。


「早いでしょうね。幹部が直接見たんだから」


「うわあ……」


「むしろ、すでに王国側の噂もかなり拾われていたと見るべきよ」


 彼女は記録板を閉じる。


「“王都に奇妙な兵装を持つ異邦人がいる”“結界を壊した”“スライムを消した”――その手の話が断片的に流れていても不思議じゃない。ガルドスは最初から、あなたをそれなりに疑っていた」


「だからすぐ反応したのか」


「ええ」


 嫌すぎる。

 王都での噂が、内輪の与太話では済まなくなってきている。


 文官が静かに言う。


「王宮としては、シンドウ殿の保護をさらに強める必要があります」


「保護、ですか」


「はい。正確には、監護と秘匿を兼ねた保護ですが」


「秘匿できてないんだよなあ、全然……」


 ユウトがぼやくと、室内の何人かが微妙な顔をした。

 みんな同じことを思っているのだろう。もう遅い、と。


   ◇


 その会議の後、ユウトは客室へ戻された。

 表向きは休養。実際には半ば隔離に近い。少なくとも本部の外を気軽に歩ける雰囲気ではなくなっていた。


 部屋へ戻るなり、ユウトは椅子へ倒れ込む。


「……きつい」


 机の上に紙袋を置く。

 沈黙。

 静かな部屋の中で、その紙袋だけが妙に存在感を持っていた。


「お前のせいだぞ」


 言ってみるが、もちろん返事はない。

 だが、今やその中身はただの“恥ずかしいもの”ではなかった。結界を崩し、穢れを散らし、スライムを消し、四天王の装甲を割る。そんな挙動を見せてしまった時点で、もう元の世界の文脈だけでは説明しきれない。


 そこへ、控えめなノックがした。


「入っていい?」


 ミリスだった。


「なんで普通に入ってくるんだよ、あんたは」


「今日はちゃんとノックしたでしょ」


「基準が下がってるなあ……」


 彼女は椅子を引いて座ると、珍しくすぐには研究の話をしなかった。

 少しだけ真面目な顔で、ユウトを見る。


「怖かった?」


「何を今さら」


「四天王」


 その単語だけで、少し背筋が冷える。

 ユウトは隠す気もなく頷いた。


「怖かったよ。今までで一番、ちゃんと殺される感じがした」


「そう」


 ミリスは短く答えた。


「でも近づいた」


「近づくしかなかったんだよ」


「それでもよ」


 彼女は眼鏡の位置を直しながら言う。


「それ、みんな簡単にはできない」


「褒めてる?」


「事実を言ってるだけ」


 いつもの調子だったが、少しだけ言い方が柔らかかった。


「……ありがと」


 言うと、ミリスはほんの一瞬だけ目を丸くした。

 それからすぐに視線を逸らす。


「礼を言われる筋合いはないわ」


「そこは素直に受け取ってくれよ」


「無理」


「ほんとに素直じゃないな」


 そのやり取りで少しだけ空気が緩んだ。


 ミリスはやがて本題に入る。


「向こうの反応、かなり重要よ」


「ガルドスの?」


「ええ。敵が“危険だから近寄らせるな”と命じた。これは大きい」


 彼女は指先で机を軽く叩く。


「今後、魔王軍はあなたを正面から雑に叩き潰すんじゃなく、もっと効率のいい方法を考える。遠距離狙撃、拘束、呪詛、暗殺、誘導……」


「やめてくれ、想像したくない」


「でも想像しないとだめ」


 容赦がない。


「こっちも対策を考える必要があるわ。どう守るか、どう隠すか、どう使うか」


「最後の“どう使うか”が嫌だな」


「でも現実でしょ」


 否定できない。


 ミリスは少しだけ考えてから、低く言った。


「あなたの兵装、ただ強いだけじゃないのよ」


「うん」


「意味が読めないから怖いの」


 ユウトは黙る。


「結界に効く。穢れに効く。スライムに効く。魔装甲に効く。今のところ全部、別系統でしょう?」


「まあ……そうだな」


「つまり、敵から見れば“どこまで効くか分からない”」


 その言葉は、やけに重かった。


 たしかにそうだ。

 こっちですら分かっていないのだから、敵から見ればもっと不気味だろう。対策の立てようがない脅威ほど、嫌なものはない。


「だから噂も怖いのよ」


 ミリスは言う。


「実際より強く広まるから?」


「それもある。でも、それ以上に“想像の余地”が増える。敵は空白を自分で埋める。あなたの兵装に、まだ見せていない力まで勝手に盛る」


「うわ……」


 思い当たる節しかない。


 王都でもそうだ。

 《震界の魔杖》。

 《律動の聖杖》。

 結界殺し。

 スライム特効。

 それら全部が、すでに自分の知らないところで好き勝手につながり始めている。


「……じゃあ、向こうではもっと盛られるわけか」


「ええ」


 ミリスはあっさり頷いた。


「“触れた鎧を内側から壊す”“呪いすら乱す”“魔剣を狂わせる”“近づいた魔物が崩れる”――たぶんそのへんはもう半分くらい信じられてるんじゃない?」


「いや、それだいぶ嫌なんだけど」


「嫌でしょうね」


 そのとき、扉の向こうで足音が止まり、今度はきっちりしたノックがした。


「入ります」


 レティシアだった。


 彼女は部屋へ入ると、ミリスがいることに一瞬だけ眉を寄せたが、何も言わない。たぶん今日はもう、言い争う気力もないのだろう。


「王宮から伝達です」


「また?」


 ユウトがうめく。


「はい」


 レティシアは手にした封書を見た。


「王女殿下より。“本件について王宮側でも噂の管理を急ぐが、完全な封鎖は期待しないように”とのことです」


「そこまで正直なんだ」


「加えて、“敵が面白い動きを始める前に、こちらも考えておくべき”と」


 ミリスが小さく鼻で笑う。


「相変わらず、抜け目ないわね」


「王女殿下をご存じで?」


「知ってる程度。でも、あの人は情報の流れを読むのが上手い」


 レティシアは続ける。


「つまり、今後は“敵があなたをどう見るか”も前提に動く、ということです」


「……いよいよ本格的に戦争の駒じゃないか」


 思わず本音が漏れた。


 レティシアは否定しなかった。

 ミリスもまた、何も言わない。


 それが答えだった。


 しばらく沈黙が落ちる。

 その重さに耐えかねるように、ユウトは天井を見上げた。


「なあ」


「はい」


「なに?」


 レティシアとミリスが同時に返す。


「俺、まだ王都来てそんなに経ってないよな」


「そうですね」


「数日ね」


「なんでこんなことになってるんだろうな……」


 誰もすぐには答えなかった。


 だが、少ししてレティシアが静かに言う。


「理由はともかく、もう巻き込まれてしまったのでしょう」


 それは慰めではなかった。

 ただの事実だった。


 ミリスも続ける。


「だったら、せめて利用されるだけじゃなく、こっちも利用するのよ」


「誰が?」


「あなたが」


「難易度高いなあ……」


 だが、その言葉は少しだけ頭に残った。


 利用されるだけでは終わらない。

 帰る方法を探す。自分の立場を少しでもましにする。そういう意志を持たなければ、本当にただの“便利な駒”になってしまうのだろう。


 ユウトは机の上の紙袋へ視線を落とす。


「……とりあえず、これ以上変な噂は増えないでほしい」


 その願いは、数瞬後には軽く裏切られる。


 なぜなら同じ頃、魔王軍の陣では、国境砦から退いた兵たちがガルドスの前で震えながら報告していたからだ。


「王国側の異邦人は……触れた鎧を、内側から割りました」

「障壁も乱れました」

「近寄った者ほど危険です」

「呪具を持つ者も、近づけるなと……」


 そして、その報告を受けた魔族たちは、自分たちなりの言葉で、脅威を整理し始めていた。


 ――鎧砕き。

 ――結界崩し。

 ――呪い乱し。

 ――近接不可の異邦兵装。


 事実と推測と恐怖が混ざりあい、噂は敵陣の中で勝手に育っていく。


 ユウトはまだ、その全貌を知らない。

 だがひとつだけ確かなのは、もう戦いは王都の噂話だけで完結しない場所へ進み始めている、ということだった。

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