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無知と魔王

拠点での生活が数日過ぎた頃。

アリスは少しずつ俺に懐き始め、俺が自室で書類を整理していると、後ろをトコトコとついて回るようになった。


その日、俺は連日の緊張からか、ひどい頭痛に悩まされていた。

こめかみを押さえ、机に突っ伏していると、アリスが心配そうに覗き込んできた。


「……きょうそ、いたい?」

「ああ……少しな。気にするな、すぐに治る」


俺が無理に笑って見せると、アリスは何かを思いついたように顔を輝かせた。


「まってて。アリス、なおしてあげる」


そう言って、彼女は部屋を飛び出していった。

(……優しい子だな)

なんて、呑気に考えていた数分前の自分を殴りたい。


しばらくして戻ってきたアリスの手には、ぐったりとした一羽の鳥が握られていた。

拠点の外層に迷い込んでいた野鳥だろうか。


「アリス、その鳥はどうしたんだ?」

「……これね、すごくげんきな鳥さんだったの。アリス、この子の『げんき』をあげる」


「え……?」


俺が声を上げる間もなかった。

アリスがその小さな手を鳥にかざすと、淡い光が溢れ出した。


次の瞬間、鳥の体はみるみるうちに干からび、一瞬で物言わぬむくろへと変わった。

対照的に、アリスの手の中には、拍動するドロリとした「輝く塊」が浮かんでいる。


「はい、これ。のんで?」


アリスは満面の笑みで、その「鳥の命を削り取ったナニカ」を俺に差し出してきた。

彼女の瞳には、一切の濁りがない。

大好きな相手を助けたいという、純粋で、あまりに真っ直ぐな善意だけがそこにあった。


俺は、背筋に氷を流し込まれたような感覚に襲われた。


「……アリス」


やっと名前を呼ぶ。


「それは、だめだ」


「どうして?」


本当に不思議そうだった。


「これ、鳥さんのげんきだよ? これあげたら、きょうそ、いたいのなくなるよ?」


話が噛み合わない。


彼女にとっては、花を摘んできて渡すのと同じ感覚なのだ。 「奪った」という発想がない。


俺は光の塊を見つめ、それから床に落ちた鳥の小さな亡骸を見る。


怒鳴るのは違う。 だが、どう伝えればいいのかすぐには分からなかった。


数秒、黙る。


アリスが少し不安そうに眉を寄せた。 俺は息を吸い、出来るだけゆっくり言葉を選んだ。


「……俺のためにやってくれたのは、嬉しい」


まずそれを伝える。 彼女の善意そのものを否定したくなかった。


「でも、この鳥は、もう動かなくなった」


アリスは鳥を見る。


「……うん。かわりに、きょうそがげんきになるよ?」


「そうじゃない」


俺はしゃがみこみ、アリスと目線を合わせる。


「この鳥にも、生きていた時間があったんだ。空を飛んで、餌を食べて、今日もどこかへ帰るはずだった」


アリスは首をかしげる。 まだ分からない顔だ。


「俺は、自分が楽になるために、その時間を奪いたくない」


「……でも、なおしたかった」


「うん。だから、ありがとう」


俺はそう言ってから、床の鳥をそっと拾い上げた。 軽い。あまりにも軽い。


「ただな、助けたいって思ったなら……この子がいなくなったことも、ちゃんと覚えていないとだめだ」


アリスは何も言わなかった。


俺は窓の外を見る。


「……埋めにいこう」


「うめる?」


「お墓を作るんだ」


アリスは不思議そうだったが、拒まなかった。


中庭の隅。 以前泥団子を作った土のそばに、小さな穴を掘る。 俺はスコップ代わりに木片を使い、アリスにも少しだけ手伝わせた。


「ここに入れる」


鳥をそっと土の中へ置く。


アリスはじっとそれを見ていた。


「……もう、うごかない?」


「ああ」


「ねてるんじゃなくて?」


「寝てるのとも違う。もう起きない」


俺は言葉を噛みしめるように続けた。


「命っていうのは、なくなると戻らないことが多い。だから大事なんだ」


アリスはしばらく黙っていた。


「……アリスが、とったから?」


ようやく出た言葉に、俺は少しだけ救われた気がした。 ちゃんと考えている。


「そうだ。でも、お前は俺を助けたくてやった」


「……わるいこと?」


難しい問いだった。


俺は少し考え、正直に答える。


「誰かを助けたいって思ったことは、悪くない」


そこで一度切る。


「でも、他の命を勝手に使っていいとは限らない。だから、これから一緒に覚えよう」


アリスは土の穴を見つめ、やがて小さく頷いた。


「……おぼえる」


俺たちは一緒に土をかぶせた。 小さな石を二つ並べる。 花の代わりになりそうな草をアリスが摘んできて、その上に置いた。


「これで、おはか?」


「ああ」


「……この子、さみしくない?」


「たぶん、覚えてもらえたら少しは違う」


そう言って、俺は手を合わせた。


やり方なんて知らない。 この世界に墓参りの習慣があるかも分からない。 それでも、せめて一区切りをつけたかった。


アリスも見よう見まねで手を合わせる。


しばらく風の音だけがした。


部屋へ戻る頃には、頭痛はほとんど消えていた。 その代わりに、別の重さが肩に乗っていた。


この子は何も知らない。 善も悪も、奪うことの意味も、喪うことの痛みも。


白紙だ。


だからこそ、ここで間違えれば、どんな色にも染まってしまう。


(……俺が教えないとだめだ)


何がいいことで、何がだめなことか。 命は簡単に取り替えられないこと。 助けたい気持ちと、奪っていいことは別だということ。


俺は墓の方を振り返り、小さく息を吐いた。


今まで感じたことのないほど重い責任が、そこにあった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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