教団見学と魔王③
「本日で、ひととおりのご案内は最後になります。学び舎と救護室をご案内します」
教団の拠点に、こんな場所まであるのか。
案外、子供への施設は充実していることに好感を覚えた。
「きょうは、どんなとこ?」
「勉強する場所と、治療する場所だ」
「べんきょう?」
「色んなことを学ぶことだよ」
「アリス、まなびたい」
アリスの声が少しだけ弾んでいて、それに俺も少しほっとした。
最初に案内されたのは学び舎だった。
石造りの広い教室に机と椅子が並び、壁際には本や紙束が整然と並んでいる。
そこだけ切り取れば、ごく普通の学校のようだった。
実際、小さな子供たちは文字の練習をしていた。
「これは『山』。こっちは『川』。では、三回書いてみましょう」
若い信徒が穏やかな声で教えている。
読み書きや計算、簡単な地理や薬草の知識。
その範囲だけ見るなら、特におかしなところはない。
俺は少しだけ肩の力を抜きかけた。
だが、教室の奥では別の授業が行われていた。
年長の子供たちが地図の前に集められ、年配の男が静かな声で話している。
「ここは、かつて我らの民が暮らしていた土地だ」
「王国と女神教は、それを“浄化”の名のもとに奪った」
黒板には女神教の紋章が描かれ、その横に『偽りの正義』『奪還』の文字が並んでいる。
子供たちは真剣な顔でそれを書き留めていた。
怒鳴られているわけじゃない。
むしろ静かだ。静かだからこそ、余計に圧がある。
アリスが俺の袖を引く。
「……みんな、かおがおなじ」
「同じ?」
「おなじこと、ずっとかんがえてるかお」
「……」
「あれ、つかれる」
「……たしかに、疲れそうだな」
内容が嘘か本当か、俺には分からない。
この世界の歴史をまだ何も知らないのだから。
だが、少なくとも今の俺には、幼い子供たちへ「敵」がいることを教え込んでいるように見えた。
教師がこちらに気づき、深く礼をした。
「教祖様。ご覧になりますか」
「……今日は何を教えている」
「歴史です。文字や数だけでは、自分たちがなぜここにいるのか分かりませんから」
その答えに、俺はすぐには返せなかった。
間違っていると断言するだけの知識もない。
だが、気持ち悪さだけは消えない。
前の席にいた小さな男の子が、アリスを見て恐る恐る聞いた。
「まおうさまも、おべんきょうするの?」
教室の空気が少しざわつく。
アリスは俺の後ろに半分隠れながら、小さく答えた。
「……しない」
「なんで?」
「……むずかしそう」
「正直だな」
「きょうそも、できる?」
「……たぶん」
「たぶん?」
「たぶんだ」
その正直すぎる返事に、何人かの子供が小さく笑った。
アリスが俺を見上げる。
「……ここ、きらい」
「そうか」
「……もっと、すきなことまなびたい。ぬいぐるみのつくりかたとか」
「……そうだな」
読み書きも教えている。
普通の勉強もある。
それでも、その全部の下に「敵への憎しみ」や「取り戻すべきもの」が土台に敷かれている。
(これが真実なら、必要な教育なのかもしれない)
(でも、もし違うなら……)
そこまで考えて、俺は首を振る。
まだ断定するな。
分からないうちに決めつけるな。
自分にそう言い聞かせる。
だが、嫌なものは嫌だった。
次に向かったのは救護室だった。
学び舎のざらつきがまだ胸の中に残っていたせいか、扉の前に立った時点でもう気が重い。
そして、その予感は半分当たった。
中から、押し殺したような悲鳴が聞こえてきたのだ。
「っ……あ、ぁあ……!」
アリスがぴたりと足を止める。
「……いたいの、いる」
「ああ」
リーネが何も隠さず扉を開ける。
中には寝台がいくつも並び、薬草や包帯、器具が整然と並べられていた。
見た目だけなら、ちゃんとした治療施設だ。
だが、その中央で行われている処置は、俺の目にはどうしても異様に映った。
セレナが寝台の男の胸に手をかざしている。
男の皮膚の下では黒い筋のようなものが蠢き、セレナの掌から放たれた紫がかった光が、それを無理やり引きずり出しているように見えた。
あまりにも辛そうで、拷問を受けているようにしか見えない。
男は歯を食いしばり、脂汗を流している。
「耐えなさい。もう少しです」
セレナの声は穏やかだ。
穏やかなのに、その光景の中では妙に冷たく聞こえた。
黒いもやのようなものが傷口から抜け、セレナの体に入っていく。
俺は思わず息を呑む。
(……なんだ、あれ)
現代日本の感覚で理解できるものではない。
治療というより、呪いか何かを無理やり剥がしているように見える。
アリスが俺に小声で聞いてきた。
「……あれ、セレナのなかにはいった」
「……見えたのか?」
「うん。へんな味しそう」
「食べ物じゃない」
「……たべてない?」
「たぶん違う」
処置が終わると、男はぐったりと寝台へ沈み込んだ。
だが、さっきまで皮膚の下を走っていた黒い筋は消えている。
そのそばにいた若い女が、泣きそうな顔で何度も頭を下げた。
「ありがとうございました……! 昨日より息がしやすそうで……!」
その反応が、また俺の判断を鈍らせる。
拷問なら、あんな顔はしない。
少なくとも、彼女には本当に助けてもらったように見えた。
セレナがこちらに気づき、血のついた手を布で拭いながら一礼する。
「教祖様。見苦しいところをお見せしました」
「……今のは何をしていた」
「女神教の呪毒を抜いていました。放っておけば肺まで蝕まれていましたので」
呪毒。
その単語だけで、ますます分からなくなる。
別の寝台では包帯を巻かれた少女が眠り、さらに奥では老人に薬湯を飲ませている信徒がいた。
救護室全体を見れば、確かにここは「助けるための場所」なのだろう。
それでも、中心で行われていた術はあまりにも不気味だった。
なぜセレナが黒いもやを吸収しても大丈夫なのか。
女神教がなぜ呪毒などという怪しげな攻撃をしてくるのか。
分からないことばかりだった。
救護室を出たあと、アリスはしばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと聞く。
「……きょうそ」
「なんだ」
「ここのひとたち、いいひと?」
一番答えにくい問いだった。
俺は少し考えてから、正直に言う。
「……わからない」
「わからない?」
「助けてるようにも見える。でも、怖い時もある」
「……じゃあ、へんなひと?」
「ああ。たぶん、かなりへんだ」
アリスはそれ以上言わなかった。
俺も、言葉が続かなかった。
学び舎では子供たちへ過去と敵を教えていた。
救護室では、人を助けているように見えるのに、その方法があまりにも異様だった。
善人とも言い切れない。悪人とも切り捨てきれない。
だから余計に、気味が悪かった。
部屋へ戻る途中、アリスが小さく息を吐いた。
「……つかれた」
「俺もだ」
もし誰かがアリスに「あれが敵だ」と教えたら。
今日、学び舎で見たあの子たちみたいに、この子もそれを信じてしまうのだろうか。
そう思った瞬間、背筋が冷えた。
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