教団見学と魔王
アリスの記憶に触れたあの日から、俺は一つだけ方針を決めた。
この子を守るには、まず「何を怖がるのか」と同じくらい、「どこなら安心できるのか」を知る必要がある。
同時に、俺自身も教団のことを知らなすぎた。
教団の人たちが何を食べて、どこで暮らして、どういう毎日を送っているのか、俺はまだ何も知らない。
「リーネ。今日はアリスに拠点の中を見せたい」
朝食の片づけが終わった後、俺がそう言うと、リーネは一瞬だけ目を瞬いた。
「ご視察、ということでしょうか」
「そんな大層なものじゃない。……人が普段どう暮らしているのか、見せておきたいだけだ」
「承知しました。では、まずは食堂からご案内します」
案内された食堂は、思ったよりずっと広かった。
石造りの広間に長机が並び、奥の炊事場では大鍋がいくつも火にかけられている。
湯気と一緒に、根菜を煮込んだ匂いと焼いたパンの香りが流れてきた。
「……おなかすくにおい」
アリスがぽつりと呟く。
その言い方が妙に可笑しくて、俺は少しだけ肩の力を抜いた。
少なくとも、この場所そのものは彼女にとって耐えられないものではないらしい。
食堂にはすでに何人もの信徒がいた。
鍛えた体つきの男もいれば、痩せた老人もいる。女も子供も、腕に包帯を巻いた若者もいた。
魔族、獣人、人間、種族もバラバラだ。
思っていた以上に「生活の場」だった。
ただ、俺たちが入った瞬間に、空気がすっと静まったのは気になった。
全員が立ち上がるわけではない。
だが、確実に視線が集まる。
教祖だからなのか、アリスが一緒だからなのか、その両方か。
「配膳は順番が決まっています」
リーネが静かに言った。
「子供、負傷者、年長者が先です。その後に一般信徒、最後に武装部隊となります」
まるで当たり前のことを言う口調だった。
子供を優先していることが少し以外で、俺は返事に詰まる。
てっきり、戦うために武装部隊を優先していると思っていたからだ。
大鍋の前では、年配の女性が小さな子供にスープをよそっていた。
具材は多くない。けれど、湯気の立つ碗を受け取った子供は、ほっとしたような顔をしている。
その横で、別の女性が硬いパンを布で包み、ひとつずつ数えて配っていた。
無駄がない。
それは秩序にも見えたし、余裕のなさにも見えた。
「……アリス様に、どうぞ」
炊事場の奥にいた女性が、遠慮がちに小さな焼き菓子を差し出した。
干した果物を練り込んだ、素朴な菓子だ。
アリスは反射的に俺の後ろへ半歩隠れる。
「だいじょうぶだ」
俺はその菓子を受け取り、自分で一口サイズにちぎってからアリスへ渡した。
アリスはそれをおずおずと受け取って、ちいさく齧る。
「……あまい」
その一言に、菓子を焼いたらしい女性の顔が、ほんの少しだけ緩んだ。
その表情を見て、俺の中でまた判断が揺れる。
こんなふうに子供へ菓子を差し出す連中が、本当にただの邪悪な集団なのか。
だが同時に、この穏やかな空気そのものが、別の顔を隠しているだけではないかという疑いも消えない。
食堂を出たあと、次に案内されたのは子供部屋だった。
大部屋の中に小さめのベッドがいくつも並んでいる。
数は多いが、決して余裕はない。
毛布は何度も繕った跡があり、棚には布で作った球や、木の端材を削った人形のようなものが置かれていた。
「……ここで、みんなねるの?」
アリスが訊く。
「はい。年齢の近い子ごとに、寝る場所を分けています」
リーネの説明を聞きながら、俺は部屋を見渡した。
年上の少女が、小さな子の髪を結んでいる。
別の子は、ほつれた服を年配の女性に渡していた。
誰かが泣き出すと、近くの子が背中をさすってやっている。
施設じみている。
だが、そこには確かに「暮らし」があった。
俺たちに気づいた子供たちが、動きを止めてこちらを見る。
好奇心。
緊張。
畏れ。
いろいろな感情が混ざった目だった。
そのうちの一人、小さな男の子が、アリスの角を見て目を丸くする。
「あの……本物の、まおうさまですか?」
その声に、アリスの肩がぴくっと跳ねた。
俺はすぐに半歩前へ出る。
「アリスは、今緊張していてるから、あまり騒がないでやってくれ」
「あ……ご、ごめんなさい」
男の子は慌てて頭を下げた。
注意したつもりはなかったが、注意したと捉えられたかもしれない。
アリスは、急に同じぐらいの年齢の子から話しかけられて緊張したのか、俺の袖をいつもより強く掴み直した。
子供部屋の奥には、小さな木箱が並んでいた。
名前が書かれている。たぶん私物入れだろう。
中を勝手に見る趣味はないが、箱の大きさからして、どの子も持ち物はほとんど多くないのだろうと分かった。
「身寄りのない子も多いのか」
俺が尋ねると、リーネは少しだけ目を伏せた。
「……はい」
「ここで育ててるのか」
「育てる、というほど立派なことではありません。生き延びてもらうだけで精一杯です」
それは謙遜ではなく、たぶん本音だった。
その時、部屋の隅から小さな女の子がアリスに近づいてきた。
両手に兎のぬいぐるみを抱えている。
大切に保管されていたのだろう。少しよれているが、かなりきれいだった。
「……これ、すき?あげる!」
そう言って、そっと兎のぬいぐるみを差し出す。
アリスは戸惑ったように俺を見た。
俺が頷くと、おずおずと受け取る。
「……ありがとう」
「……うん」
女の子はそれだけ言うと、恥ずかしそうに走って戻っていった。
アリスは布兎をじっと見つめている。
「……これ、くれるって」
「みたいだな」
「……いいの?」
「たぶん、お前に持っててほしいんだろ」
「……そっか」
その声は、嬉しそうだった。
部屋を出る頃には、俺の中の教団への印象は、ますます曖昧になっていた。
食堂には生活があった。
子供部屋には、不器用でも確かな世話があった。
(……少なくとも、ここで暮らしてるやつら全員が狂ってるってわけじゃなさそうだ)
そう思う一方で、だからこそ余計に分からなくなる。
部屋へ戻る途中、アリスが兎のぬいぐるみを大事そうに抱いたまま言った。
「あそこ、すき。またいきたい」
「ああ、そうだな」
アリスにとって、安心できる場所があったことが、俺はとても嬉しかった。
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