泥遊びと魔王
昨日上げ忘れてしまったので、本日2話投稿しています。
「……教祖様、朝食をお持ちしました」
重厚な石造りの扉が静かに開き、リーネが姿を現した。彼女が運んできたのは、驚くほど「普通」の食事だった。
こんがりと焼けた硬めのパンに、数種類の根菜が形を失うまで煮込まれた琥珀色のスープ。それに、瑞々しさを保った数粒の果物。
昨日の今日だ。髑髏の杯に注がれた謎の液体や、毒々しい色の儀式料理が出てくるのではと身構えていた俺は、拍子抜けすると同時に、心の底から安堵の溜息を漏らした。この世界にも、まともな食文化があって本当によかった。
アリスは俺の膝の横で、丸まったまま微動だにせず、じっとスープを見つめていた。
昨夜から何も食べていないはずだ。小さな喉がかすかに動くのが見える。お腹は空いているはずなのに、彼女は差し出されたスプーンを持とうとはしなかった。ただ、震える指先で自分の服の裾をぎゅっと握りしめている。
「……まずは、私がいただこう。冷めないうちに食べるのが一番だからな」
俺はアリスから皿を受け取り、スープを一口啜った。
少し冷めているが、野菜の甘みが溶け出した滋味深い味が口の中に広がる。塩気も控えめで、子供の舌にも優しい味付けだ。リーネなりに、アリスのことを考えて用意したのだろう。
「ほら、大丈夫だ。美味しいぞ。アリスも一口食べてごらん」
俺がスプーンを差し出すと、アリスはなおも数秒間、俺の目とスープを交互に見比べた。やがて、喉の鳴る音を隠しきれず、決心したように恐る恐る小さな口を開いた。
一口、二口。温かい液体が喉を通るたびに、凍りついていた彼女の頬にわずかな赤みが戻ってくる。
(……相当、まともに食べてなかったんだな)
俺は前世の癖で、自然と手が動いていた。
硬いパンをスープに浸して柔らかくし、食べやすい大きさにちぎる。
アリスが喉に詰まらせないよう、彼女のペースに合わせて皿を寄せる。
「……おいしい」
その一言を聞いた時、俺の中を「保育士としての達成感」が満たした。
「そうか。なら、全部食べなさい」
朝食を終えた後、俺はリーネに案内させ、拠点の外層にある「中庭」へと向かった。
中庭といっても、石壁に囲まれた殺風景な広場だ。ただ、隅の方には手入れのされていない土の地面があった。
「リーネ、水を。それと、適当なバケツか桶を貸してくれ」
「……はい? あ、畏まりました」
リーネが困惑しながらも持ってきた道具を使い、俺は土に水を混ぜた。
グチャ、という懐かしい感触が手に伝わる。
アリスは離れた場所で、俺の奇行を不思議そうに見ていた。
「アリス、こっちへ来い」
「……なにするの?」
「遊びだ。お前の仕事は、今はこの泥をこねることだ」
俺は泥を丸め、形を整えていく。
アリスは泥を見て、それから自分の綺麗な服を見て、躊躇っていた。
「服の汚れは気にするな。洗えば済むことだ」
俺がそう言って泥を差し出すと、彼女は指先で恐る恐る泥に触れた。
ひんやりとした感触に驚いたのか、アリスの大きな目が丸くなる。
一度触れてしまえば、子供は早い。
アリスの手はすぐに泥だらけになり、俺が教えるままに、いびつな形の「泥団子」を作り始めた。
(……これでいい。何かに集中している間は、この子は『魔王』じゃなくて、ただの子供でいられる)
俺はアリスの隣で、無言で泥をこね続けた。
時折、彼女の手が止まると、コツを教えたり、崩れた部分を直してやる。
「……みて。まるい」
アリスが、少しだけ誇らしげに俺に泥団子を見せた。
その顔には、鼻の先に泥がついていた。
「ああ、上手だな」
俺が笑って彼女の頭を撫でると、アリスは一瞬驚いたように固まり――それから、初めて、くすぐったそうに少しだけ表情を緩めた。
「…………っ」
その瞬間、俺の胸に鋭い痛みが走った。
この子は、魔王だ。
俺はこの子を守り、育てると決めた。それはつまり、世界中の人間を敵に回すということでもある。
(……最悪だ。本当に、とんでもない役を引いちまった)
泥だらけになったアリスの手。
小さくて、温かくて、今にも壊れそうなほど華奢な手。
「教祖さま、つぎは、もっとおおきいのつくる」
「ああ、いくらでも付き合ってやる」
俺は自分の手が震えているのを隠すように、また新しい泥を掴んだ。
教祖という立場に逃げ出したくなる。
だが、この泥団子を壊されたくないと思ってしまった自分も、確かにそこにいた。
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