状況整理と魔王
こんな場所へ放り込まれて、血まみれの儀式の中心にいて、全員から教祖と呼ばれている。 平常心でいられる方がどうかしている。
それでも、このまま突っ立っていては余計に怪しまれる。
何も知らないことを悟られないために、俺は出来るだけ短く言った。
「……儀式で、だいぶ消耗した。部屋へ戻る」
これなら曖昧だ。 自分が知らないことも誤魔化せる。
すると、すぐ近くにいた若い女性が一歩前に出た。 二十歳前後だろうか。黒いローブ姿だが、他の信徒より動きに無駄がなく、自然と周囲が道を空ける。控えめな雰囲気のせいで目立たなかったが、どうやら一般信者より立場は上らしい。
「かしこまりました、教祖様。こちらへどうぞ」
女性は落ち着いた声で言い、俺とアリスを先導し始めた。
(助かった……)
内心で本気でそう思う。 自分の部屋がどこにあるかすら分かっていないのだから。
歩きながら、女性は嬉しそうに続けた。
「本日は魔王様復活という悲願を成し遂げられ、本当におめでとうございます」 「明日の幹部会まで、どうぞごゆっくりお休みください」
……幹部会?
その単語を聞いた瞬間、冷や汗が額を伝う。
魔王を復活させるような宗教の幹部。
どう考えても、まともな連中であるはずがない。
(やばい……絶対やばいだろ……)
なぜだか、胃のあたりがキリキリと痛む気がした。
案内された部屋は、思ったより広かった。
だが――中はひどい有様だった。
床にも机にも、ベッドの脇にまで、大量の本が散乱している。
整理された様子は一切なく、まるで長年ここに籠もっていたかのようだ。
部屋の外へ出ていこうとする彼女を、俺は慌てて呼び止めそうになった。 でも、何をどう聞けばいいか分からない。
――あなたは誰だ。 ――ここはどこだ。 ――俺は何者だ。
そんなことを正面から聞けば終わりだろう。
俺は喉元まで出かかった言葉を飲み込み、代わりに曖昧に言う。
「明日は……いつも通りでいい。必要な報告だけ簡潔にまとめておけ」
女性は一瞬も怪しまず、深く頷いた。
「承知いたしました」
扉が閉まる。
その瞬間、俺はようやく大きく息を吐いた。
「……っはぁ……」
どっと汗が噴き出す。 膝が抜けそうになり、近くの机に手をついた。
まずするべきことは、情報収集だ。逃げるのは今ではない。
そう結論づけてから、部屋の中を見回す。
アリスは部屋の隅で、まだおとなしく立っていた。 まるで、勝手に動いて怒られないか様子を見ているように。
「……座ってていい」
そう言うと、彼女はこくりと頷き、ベッドの端にちょこんと腰を下ろした。
その様子を横目で見ながら、俺は机の上の紙束を一枚手に取る。
……読める。
見たことのない文字のはずなのに、意味が自然と頭に入ってきた。
「……魔王封印理論……?」
本の内容に目を通し周りを見渡すと、気づいてしまった。
――この部屋にある本のほとんどが、
魔王の封印や復活に関する研究書だということに。
ぞっとした。
執着。
狂気。
それ以外の言葉が思い浮かばない。
(やっぱり危ない組織じゃないか……)
ただ、その一方で、断定するには情報が足りないとも思う。 本当にただの悪の教団なのか、別の事情があるのか、まだ何も分からない。
机の上には走り書きの紙が一枚あった。
『魔王、善悪の区別がつかない可能性大』
その一文を見た瞬間、
それは恐ろしい言葉でもあるし、同時に、まだ何も決まっていないという意味でもある。心が躍った。
(……可能性はある)
善悪が分からない、ということは。
きちんと育てさえすれば、誰にも危害を加えない、
少なくとも“悪ではない”存在になる可能性もあるということだ。
そんなことを考えていると、
またしても、袖を小さな手が引っ張った。
「……さっきは、ありがとう」
魔王――いや、まだただの少女が、遠慮がちに言う。
続けて、少し首を傾げた。
「……名前、なんていうの?」
――え。
そういえば、俺の名前って何だ。
教祖と呼ばれているが、それは役職名だ。
本名を聞かれている可能性は高い。
一瞬で頭をフル回転させる。
ここで適当に名乗って、
そんな名前じゃないことがバレでもしたら終わりだ。
下手をすれば、
中身が別人になっていることがバレる。
そうなれば――
殺される程度じゃ、済まないだろう。
(……その場しのぎしかない)
俺は、できるだけ威厳がある風に答えた。
「教祖と呼べ」
少女はきょとんとする。
俺は続けて言った。
「……そういうお前は?」
少女は少し考え込み、曖昧に答えた。
「私は……アリス……」
「……いい名前じゃないか」
それ以上、何と言えばいいか分からなかった。
ただ、ここでさらに深掘りして聞くのは違う気がした。 彼女も彼女で、何が起きたのか分かっていないのだろう。
「今日は疲れただろう。休め」
部屋にはベッドが二つ並んでいた。 俺は片方をアリスに使わせる。
最初、彼女は遠慮するように俺を見ていたが、座らせると案外すぐに横になった。 よほど疲れていたのか、すぐ規則正しい寝息が聞こえてくる。
俺はその様子を少しの間眺めた。 寝顔は本当にただの子供だ。 これが世界をどうこうする魔王だと言われても、今は実感が湧かない。
自分のことも確認しなければと思い、洗面所へ向かう。
そこで鏡を見て、息が止まった。
映っていたのは、四十歳前後に見える男だった。 肩幅が広く、腕は丸太みたいに太い。目つきは鋭く、睨まれればたいていの人間は一歩引くだろう。
そして何より――
頭の両側から、大きな角が生えていた。
「…………」
しばらく言葉が出ない。
俺は鏡に手を伸ばし、自分の額を触り、そのまま角の根元に触れる。 固い。飾りではない。ちゃんと感覚がある。
「マジかよ……」
小さく呟いた声が、やけに低く響いた。
(人間じゃないのか……?) (いや、教祖っていうくらいだから、ここの連中と同類……?)
どちらにせよ、この見た目では外へ逃げたところで普通に紛れられない。
俺はしばらく鏡の前に立ち尽くしたあと、部屋へ戻った。
眠れる気はしなかった。
扉の鍵をもう一度確認する。 近くに置いてあった燭台を、いざという時の護身用に手の届く位置へ置く。 椅子を扉のそばに寄せ、そこへ腰掛けた。
ベッドに入る気にはなれない。
夜の間に誰かが来るかもしれない。 アリスがうなされて暴れるかもしれない。 朝になったら全部夢だった、という可能性にすがりたい気持ちもある。
だが現実は、冷たい石壁と、自分の角の重みと、向こうのベッドで眠る小さな寝息だった。
俺は何度も角を触り、何度も扉の音に耳を澄まし、何度もアリスの寝息を確認した。
結局その夜、ほとんど眠れなかった。
ただ一つだけ、椅子に座ったまま決めたことがある。
この子を、少なくともすぐには誰かに渡さない。
何が正しいかはまだ分からない。 でも今はそれだけだった。
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