不安とガルド
川の下りは思ったより早く終わった。
ガルドが先に降り、足場の悪い場所だけ短く指示を飛ばす。
アリスは何度か足を止めたが、もう旅の最初みたいに完全には固まらなかった。
「そこ、右だ」
「……うん」
「次は石。土は滑る」
「……いけた」
「見て歩けばな」
ぶっきらぼうな声だったが、急かしきってもいなかった。
浅瀬を渡る時も同じだった。
アリスが冷たい水に肩を跳ねさせ、足を取られかけた瞬間、ガルドが片手で支える。
「前見ろ」
「つめたい……!」
「川だからな」
「きょうそにも同じこと言われた」
「当たり前だ」
それで少しだけ空気が緩んだ。
渡り切った先の道は、獣道より少しマシな程度だった。
ところどころに結び紐や積み石があり、人が使っている道だと分かる。
「ここから先が中継地点だ」
「被害があった拠点じゃないのか」
「今日はまず中継地点だ。被害があった各地が点で散ってるから、全部を一直線には繋げねえ。そもそも、散ってるから見つかりづらくて攻め込まれずらいはずだったがな」
嫌な言い方だったが、状況はよく分かった。
木立を抜けた先にあった中継地点は、小さかった。
半地下の倉庫が2つ、雨除け付きの作業場、見張り台、低い柵。
荷車が脇に寄せられ、縄でまとめた荷がすぐ運べるよう積み直されている。
見た瞬間に分かった。
ここはまだ壊れていない。
けれど、平常でもなかった。
鍋に火は入っているのに、匂いが薄い。
見張りの人数は多いのに、誰も大声を出していない。
子供は建物の陰へ寄せられ、何かあればすぐ動けるよう毛布と荷がまとめられている。
空気そのものが怯えていた。
「ガルド様」
見張りの男が駆け寄る。
「大きな異常はまだ。ただ、南から来るはずの便が来ていません」
「北西は」
「定時連絡なしのままです」
それだけで十分だった。
ここにいる誰もが、悪い方へ考えているのが分かる。
ガルドはすぐに隊員へ指示を飛ばす。
「2人は外周。1人は見張り台。残り1人は荷の確認」
「はっ」
隊員たちが散ると、中継地点にいた信者たちの顔がほんの少しだけ緩んだ。
安心しきったわけじゃない。
それでも、誰かが判断してくれるだけで違うらしい。
アリスが俺の袖を引く。
「……みんなしずか」
「ああ」
「こわい?」
「たぶんな」
そう答えると、アリスは中継地点の人たちを見回した。
炊き出しの鍋を見ている女。
柵の外を気にしている若い信徒。
母親の後ろに隠れながらこちらを見ている子供。
その子供が、アリスと目が合った瞬間に少しだけ身を縮めた。
角と尻尾を見れば無理もない。
アリスもそれに気づいて、俺の背中へ半歩隠れる。
だが、完全には隠れなかった。
中継地点の責任者らしい男が出てくる。
目の下に濃い隈があった。
「……よく来てくださいました」
「礼はいい。状況を話せ」
ガルドの言葉に、男は頷いた。
「南の中継拠点は焼け跡だけだったと、昨日までの報せでは」
「昨日まで?」
「それを持ってきた者も、戻っていません。さらに外れの荷継ぎ場へ送った使いも途絶えました」
「追跡の気配は」
「あります。林の向こうに人影を見た者が何人か。獣とも盗賊とも違う、慣れた足取りだったと」
周囲がざわつく。
「ここも危ないんじゃ……」
「荷を今すぐ動かすべきだ」
「動いた方が逆に見つかるかもしれないだろ」
声が重なりかけたところで、ガルドが一歩前へ出た。
「まだ決めるな」
怒鳴ってはいない。
だが、その一言で場が止まる。
「怖がるなとは言わねえ。だが、怖いまま喚けば見えるものまで見えなくなる」
「でも、このまま待ってたら……!」
若い信徒が食い下がる。
包帯の巻かれた手が震えていた。
「南が潰れて、北西も返事がなくて、それで落ち着けって言うんですか」
「落ち着けとも言ってねえ」
「同じでしょう」
「違う」
ガルドの声が低くなる。
「怖いなら怖いまま動け。だが勝手に崩れるな。崩れたら、次に守れるものまで落とす」
若い信徒は唇を噛み、俯いた。
そのやり取りを、アリスがじっと見ていた。
「……がるど」
「あ?」
「おこってる」
「少しはな」
「でも、みんなにも、こわいっていってない」
その言葉に、ガルドが珍しく返答に詰まる。
俺は少しだけ笑いそうになった。
たしかにそうだ。こいつは厳しいが、一度も「怖がるな」とは言っていない。
「怖いままでいいから、壊れるなってことだろ」
「都合よく言うな」
「だいたい合ってると思うぞ」
その時、中継地点の隅で、さっきの子供が木の実の入った布包みを落とした。
ころころと転がった実を見て、アリスが俺を見上げる。
拾っていいのか、と聞いている顔だった。
俺が頷くと、アリスはそっと前へ出た。
1つずつ拾い、布へ戻し、子供へ差し出す。
子供は少し迷ってから、それを受け取った。
「……ありがと」
「うん」
たったそれだけだった。
それでもアリスは、戻ってきた時に少しだけ胸を張っていた。
俺は周囲を見回す。
鍋の中身は少ない。
毛布は余分に積まれている。
荷車はすぐ出せる向きに揃えられている。
まだ逃げてはいないが、逃げる準備だけは始まっている場所だった。
アリスが小さく言う。
「……みんな、こわれそう」
返事に詰まる。
変な言葉だと思うのに、妙にしっくりきた。
怖くて、どう動けばいいか決めきれなくて、それでも形だけは保っている。
たしかにこれは、壊れそうだ。
ガルドが責任者と短く話したあと、こちらへ戻る。
「少し休ませる。飯を食わせたら、次の情報を拾いに動く」
「もう行くのか」
「ここに長くいる方が危ねえ。早く問題を解決しないと、時期に不安で崩壊するぞ」
また、嫌になるくらい正しい。
ガルドはアリスを見る。
「次は今より怖い場所に行くかもしれないぞ。戻るなら今だ」
アリスの肩が少し揺れる。
それでも、赤い瞳は逸れなかった。
「2人がいる」
短い返事だった。
けれど、それで十分だったらしい。
アリスは小さく頷く。
鍋の蓋が、かたんと鳴る。
薄い湯気が立ちのぼり、不安の残る空気に溶けていった。
休息は短い。
それでも、この場所にいる誰もが、その短い時間に縋るしかないのだと分かった。
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