お見舞いと魔王
目を覚ますたび、最初に来るのは痛みだった。
ただ、その痛みは、日を追うごとに少しずつ輪郭を失っていった。
胸の奥にはまだ鈍い重さが残っているし、腕を大きく動かせば、焼けた皮膚の下で傷が引きつる。
それでも、寝台の上で身じろぎするたびに死にそうになるような時期は、もう過ぎていた。
「本当に、すごい治り方です」
包帯を巻き替えながら、セレナが冷ややかに言う。
「褒め言葉か?」
「いいえ。驚いているだけです」
ぴしゃりと言い切ると、彼女は包帯の端をきつく引いた。
鋭い痛みに、思わず息が漏れる。
「傷はかなり塞がっています。ですが、完治ではありません」
「分かってる」
「分かっていません」
セレナは一歩も引かなかった。
「歩けることと、無理をしていいことは別です。いいですか。わかっている人は、勝手に部屋の外に出たりしません。無理はするな――何度言えば覚えるのです」
「……善処する」
「その返事が一番信用できません」
冷たい視線を投げつけると、セレナは盆を持ち上げた。
「今は休みなさい。次に傷を開かせたら、今度はもっと痛い方法で止めます」
「脅しが物騒すぎる」
「脅しではありません」
そう言い残し、彼女は部屋を出ていった。
扉が閉まる音を聞いてから、俺はようやく長く息を吐く。
正直、自分でも驚いていた。
あの炎の中に飛び込み、あれだけ焼かれたのに、こうして起き上がれている。
普通の人間の身体なら、今も寝台から動けなかっただろう。
この身体は、見た目だけじゃなく、中身までどこか人間離れしているらしい。
窓の外を見る。
地下拠点の一室だから、見えるのは狭い換気窓から差し込む薄い光だけだ。
空の色も、風の匂いも、ここにいるとよく分からない。
不意に、扉が遠慮がちにこつりと鳴った。
「……きょうそ」
聞き慣れた小さな声に、顔を上げる。
扉の隙間から覗き込んできたのはアリスだった。
その後ろには、少し困ったように微笑むリーネの姿もある。
黒い髪の隙間から小さな角がのぞき、赤い瞳が不安そうに揺れていた。
あの日以来、アリスは俺の目が覚めている時間を見計らっては、こうして何度も様子を見に来るようになっていた。最初は入口からこちらを見ているだけだったのに、今では自分から中へ入ってくる。
「入ってもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ」
そう言うと、アリスはほっとしたように肩の力を抜き、部屋へ入ってきた。
その両手には、木の皿が大事そうに抱えられている。
「……おみまい」
「お見舞い?」
アリスはこくりと頷いて、皿を差し出してきた。
上には、少し不揃いに切られた果物と、形の崩れた焼き菓子が載っている。
「これ、おまえが?」
「……きるの、みてた」
「作ったのか」
「リーネが、きった。アリスは、のせた」
後ろにいたリーネが、わずかに口元を緩める。
「厨房の者が、アリス様のお見舞い作りに協力してくれました。アリス様ご自身も、ずっと真剣にお皿へ並べておいででしたよ」
「……がんばった」
「ああ。すごいな」
そう言うと、アリスは少しだけ胸を張った。
本当に小さな変化だが、それでも最初の頃を思えば信じられないくらい自然な仕草だった。
俺は皿を受け取り、机の上に置いた。
「ありがとう」
「くだもの食べたら早く治る?」
「アリスが並べてくれたんだより早く治るよ」
アリスは俺の包帯の巻かれた腕を見て、それから視線を落とした。
全部を理解しているわけではないだろう。だが、自分の力が俺を傷つけたことだけは、ぼんやりとでも覚えているのだ。
「お前のせいだけじゃない」
「でも、アリス、こわくて……」
「知ってる」
「……また、なる?」
あの黄金の炎のことだ。
暗闇、恐怖、孤独。あの時の全部を、この子はまだ引きずっている。
俺は少し考えてから答えた。
「ずっとこのままだったら、また何かの拍子になるかもしれない」
「……」
「でも、怖くないものを増やしていけば、前よりはましになる」
アリスはじっと俺を見つめる。
「……きょうそ、なおる?」
「思ったより治りは早い」
「……じゃあ、もうしなない?」
「アリスをおいては死なない」
「ほんと?」
「ほんとだ」
ようやく、アリスの肩から少しだけ力が抜けた。
その様子を見ていたリーネが、そっと言った。
「教祖様が目を覚まされてから、アリス様はずいぶん落ち着かれました」
「俺が寝てる間はどうだった?」
「……かなり不安定でした」
リーネは声を落とした。
「夜中に何度も起きて、扉の方を見ておられました。誰かが来るたびに、教祖様かどうか確かめていたように思います」
「……そうか」
アリスは気まずそうに俺の袖を握る。
「……いたから、へいき」
「今はな」
「うん」
しばらく、静かな時間が流れた。
アリスは俺の寝台の端にちょこんと座り、俺は受け取った果物を少しずつ口に運ぶ。
リーネはその少し離れた場所に立ち、部屋の空気が乱れないように気を配っている。
不思議と、それは心地よかった。
「……きょうそ」
「なんだ」
「なおったら、なにする?」
その問いに、少しだけ言葉が詰まる。
ここ。
地下の拠点。狭い部屋。石の壁。限られた空。
少なくとも、子供が育つには息苦しすぎる場所だ。
「……そとを見て回るのもいいかもしれないな」
「そと?」
「そうだ」
「……こわい?」
「怖いこともあるかもしれない」
「きれい?」
「海、自然いくらでもきれいなものはある」
「……みたい」
アリスがぽつりと呟いた。
その一言が、妙に胸に残った。
怖いものを減らすには、安心できる経験を増やすしかない。
この子をずっと地下に閉じ込めたまま、本当に落ち着かせられるのか。
その考えが、初めてはっきりした形を取る。
リーネが俺の表情を見て、何かを察したように目を細めた。
だが、その時はまだ、誰も次の展開を口にはしなかった。
ただ、アリスが俺のそばで少しだけ安心した顔をしている。
それだけで、この日のお見舞いは十分すぎるほど意味があった。
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