女神教と勇者の息子
1章は前回で一区切りで今回から2話ほど別視点入ります。
王都の外周を囲む白亜の巨大な城壁が見えたとき、俺――エドワード・ブレイブは、愛馬の歩調を緩めることなく突き進んでいた。
鎧に刻まれた無数の傷と、返り血で黒ずんだマント。それらは俺がこの数ヶ月、人類の生存圏を脅かす北方の魔境でどれほどの死線を越えてきたかを無言で物語っている。馬の鼻息は白く、街道を歩く商隊の馬車が慌てて道を空ける。
「……開門! ダイヤモンド級冒険者、エドワード様のお戻りだ!」
見張りの衛兵が叫ぶ。重厚な鉄の門が軋んだ音を立てて開き、俺は王都の中心部へと続く大通りに躍り出た。
沿道の人々が足を止め、畏敬の念を込めた眼差しを向けてくる。かつて世界を救った勇者の息子であり、若干二十歳にして冒険者の頂点『アダマンタイト級』の一つ下の『ダイヤモンド級』にまで昇り詰めた「人類最後の剣」。それが俺に向けられる世間の評価だ。
だが、兜の奥で俺が浮かべているのは、英雄の微笑みなどではない。
十年前から一刻たりとも消えることのない、昏く、灼熱のような憎悪だった。
「……ようやく、この時が来たか」
腰に下げた聖剣の柄に触れる。
十年前、勇者であった父は、魔王を封印することと引き換えにその命を散らした。英雄の相打ちという華々しい結末と引き換えに、俺に残されたのは、魂の抜けたような聖剣一本と、帰らない父を待ち続ける孤独な夜だけだった。魔王さえいなければ。父を死に追いやったあの化け物さえいなければ、俺の人生にこんな空白が生まれることはなかったのだ。
不意に、通りを抜ける風に混じって、小さな泣き声が耳に届いた。
大通りから一本外れた路地裏。豪華な馬車や人波の喧騒に隠れるようにして、粗末な服を着た幼い少女が座り込み、しゃくり上げていた。
俺は無意識に馬の口を引いた。
「……どうした」
鎧の音を鳴らしながら歩み寄ると、少女は怯えたように肩を震わせた。
「お、おかあさんが……いなくなっちゃったの」
少女の頬は泥と涙で汚れ、小さな手は寒さで赤くなっている。
復讐に身を焼かれている最中だというのに、こんな小さな子供を放っておけないのは、俺の弱さか、それとも父から受け継いでしまった「勇者」としての性か。
俺は汚れたグローブを脱ぐと、その小さな手をそっと包み込んだ。
「泣かなくていい。……俺と一緒に探そう。お前の母親は、必ず俺が見つけてやる」
「……おにいちゃん、だれ?」
「ただの冒険者だ。ほら、前を向いて。どこで逸れたか思い出せるか?」
アダマンタイト級冒険者が、泥だらけの少女と手を繋いで王都を歩く。
その光景は、すぐに街中の噂になった。俺は行き交う商人に尋ね、少女の母親の特徴を聞き回り、小一時間かけてようやく広場の片隅で半狂乱になって娘を探していた女性を見つけ出した。
「ああ……! ああ、よかった、よかったわ……!」
母親に抱きつかれ、今度は安心感から泣き出した少女。俺はその光景に一度だけ小さく頷くと、母親が差し出した礼の言葉も待たずに、再び馬に跨った。父上が守りたかったのは、こういう人たちが平和に暮らせる世界なはずだ。ならば、その世界を守るための労力はいとわない。
大幅に遅れて王宮の謁見の間に辿り着くと、そこには女神教団の幹部、クラリスがすでに待ち構えていた。勇者の息子ということもあり、小さいころから女神教団にはお世話になっており、顔見知りも多い。魔王の力や、どのような悪行をしてきたかもよく教えてくれた。
「エドワード様! また街で人助けをなさっていたのでしょう? 王宮からの呼び出しだというのに、貴方様のそのやさしさには困ったものですわ」
クラリスはため息をつきながらも、その瞳には慈しみと、どこか確信めいた信頼が宿っていた。
「クラリス様申し訳ない。子供を1人おいておくことは出来ない、俺の勝手な振る舞いだ。それよりも、本題を」
「ええ、分かっております。……日頃から弱きを慈しむ貴方様だからこそ、女神は再びこの剣を託されたのでしょう。あなたに伝えなければいけない、大切なことがあります。魔王は復活しました。卑劣な魔族の残党どもが拠点を築き、あの災厄を再び現世へと解き放ったのです」
クラリスの言葉を聞いた瞬間、俺の全身を戦慄が駆け抜けた。
恐怖ではない。歓喜だ。
父の命を奪い、俺の人生を歪めた張本人がこの世に戻ってきた。今度こそ、俺のこの手で、父上が成し遂げられなかった「完全なる消滅」を叩き込める。
「ヤツは今、どこにいる。」
「拠点はまだ特定に至っておりませんが、女神教団の調査により、凄まじい魔導の波動が感知されております。……ですがエドワード様、お気をつけください。魔王は復活直後とはいえ、人類の想像を絶する怪物。かつての魔王がそうであったように、人の形を借りた悪夢そのもの。」
俺はクラリスの言葉を遮り、冷徹に言い放った。
「俺はこの十年、一日として剣を振るわなかった日はなかった。魔物に村を焼かれ、親を殺された子供たちの悲鳴を嫌というほど聞いてきた。それらすべての元凶が魔王だ。ヤツが山のような巨体だろうと、数千の目を持つ異形だろうと、俺はただ斬る。……それが、父上からこの剣を託された俺の使命だ」
「ひっひっひ……流石は人類最後の剣と呼ばれる冒険者。その鋼の意志、素晴らしい」
背後から、魔女のような笑い声がした。
王立魔導研究所の所長、バズ博士だ。煤けた白衣を纏い、眼鏡の奥で不気味に瞳をぎらつかせている。
「バズ博士。貴様の毒気も相変わらずだな」
「これは手厳しい。私はね、エドワード殿。貴方に頼みがあるのですよ。……魔王を屠った際、その遺骸をバラバラにしてしまわないでいただきたい。特に心臓や脳、魔力の源泉となる部位は、我が研究所で『平和のための研究』に役立てたいのでね。……あの忌々しい魔族の再生能力の謎を、ぜひとも私のナイフで解明したいのだ」
バズの言葉には、生命への敬意が微塵も感じられない。
「……好きにしろ。俺は殺すまでだ。あとの残骸は泥に捨てようが貴様の水槽に沈めようが知ったことではない。」
「くくく……承知いたしました。いやあ、楽しみだ。魔王の細胞が手に入れば、人類は多くの病気から克服できる。……聖女様、我らの準備は整っていますよ。女神教団の秘術と、私の魔導兵。これにダイヤモンド級の剣が加われば、もはや敗北などありえない」
クラリスが頷き、俺の前に跪いた。
「エドワード様。貴方は女神に選ばれた剣です。……魔王を担ぎ上げる『女神教団に仇なす邪教』を蹂躙し、平和を取り戻してください。そして、お父上の無念を晴らすのです」
俺は窓の外、魔王が潜むとされる遠い空を見据えた。
ダイヤモンド級という栄誉も、人々からの賞賛も、俺にとっては復讐を果たすための手段に過ぎない。
だが、先ほど助けた少女のような存在守るために。この聖剣が血に汚れることを躊躇うつもりはなかった。
(父上。見ていてください。貴方が命を賭けて守った世界を、俺が完成させます。魔王の首を、貴方の墓前に供えるその日まで、俺の戦いは終わらない)
「出発の準備をしろ。一刻も早く、魔王の息の根を止める」
王都に、戦いを告げるかのように鐘が鳴り響いた。
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