知らない天井と魔王
「……気がついたか」
重苦しい声に目を向けると、ガルドが、壁に寄りかかって立っていた。
体を起こそうとすると全身に激痛が走る。俺は自分が包帯だらけのミイラのような姿になっていることを悟る。
「……アリスは?」
「安心しろ。魔王様は無事だ。……あんたが、その身を盾にして守り抜いたからな」
ガルドはそれだけ言うと、低く息を吐いた。
その拳は硬く握られたままで、今にも何かを叩き壊しそうなほど血管が浮いている。
以前のような剥き出しの敵意は、もうそこにはない。
代わりに眼の奥で燃えているのは、もっと危うい熱だった。
アリスの強大な力を見てしまったことで、ガルドの中で何かが決まってしまった。
そんな嫌な確信だけを残して、ガルドは一度も振り返らず部屋を出ていった。
ガルドと入れ替わるように、扉が遠慮がちに叩かれた。
「……失礼いたします」
顔を出したのはリーネだった。普段よりもずっと青い顔をしている。
「教祖様、お加減は……」
「見ての通りだ」
皮肉のつもりはなかったが、少し棘のある声になった。
リーネはそれを咎めもせず、深く頭を下げた。
「……申し訳、ございませんでした」
「何がだ」
「あの宝物庫は安全だと、私が申し上げました。保管物は魔力を失い、起動不能であることを確認していたのですが……まさか、あのような転移遺物が紛れているとは思いませんでした。」
彼女の声はかすかに震えていた。
「ですから……アリス様を、あのような場所へお連れした責は、私にもあります」
そこまで言って、リーネは唇を噛んだ。
俺は少し黙ってから答えた。
「……お前だけのせいじゃない。俺も止めなかった」
「ですが」
「責任の押し付け合いをしても、アリスが落ちた事実は消えない」
リーネは顔を上げず、小さく息を呑んだ。
「……はい」
リーネは一歩下がる。
「今後、宝物庫は封鎖いたします。保管物もすべて再調査します」
「そうしてくれ」
「……はい」
それだけ言って、リーネはもう一度深く頭を下げて部屋を出ていった。
その直後、今度は間を置かずに扉が開いた。
「失礼します」
ルキアスだった。銀縁の眼鏡の奥の目は相変わらず冷たいが、手元には紙束と、布に包まれた何かを抱えている。
「……何の用だ」
「報告です。貴方も当事者ですので」
ルキアスは感情のない声でそう言い、布を机の上に置いた。
中から現れたのは、真っ二つに割れた転移の立方体の残骸だった。
「例の遺物か」
「ええ。古代の行き先固定型転移遺物――おそらく『転移の立方体』で間違いありません」
彼は紙束をめくりながら続ける。
「通常であれば、起動には相応の魔力供給が必要です。宝物庫に移された時点で、機能停止していたと記録されています」
「なのに、アリスが触ったら動いた」
「ええ」
ルキアスはそこで初めて、ほんのわずかに眉を寄せた。
「現時点では、なぜ再起動したのか断定できません。魔王様の魔力に反応したのか、あるいは停止していたという前提自体が誤っていたのか」
ルキアスは紙束を閉じた。
「しかし安全のために今後、魔王様を不用意に未知の遺物へ近づけないこと。教祖様にも徹底していただきたい」
命令口調だった。
だが、今回は反論できなかった。
「……分かった」
ルキアスはそれを聞くと、残骸を包み直した。
「もう一つ」
「何だ」
「今回の件で確実になったことがあります」
彼の視線が、包帯だらけの俺に向く。
「魔王様は、恐慌状態で大規模な力の放出を起こす。そして、教祖様はそれを鎮静化できる」
「……」
「教団にとっても、極めて重要な事実です」
その言い方が気に入らなかったが、何かを言い返す気力は残っていなかった。
ルキアスは一礼だけ残し、静かに部屋を出ていった。
入れ替わりに、セレナが盆を持って入ってきた。その表情はいつになく硬い。
「……教祖様。次は、ありませんよ」
彼女は俺の傷口を診る手つきに、一切の容赦がなかった。激痛に顔を歪める俺を、彼女は冷ややかな目で見下ろす。
「貴方が死ねば、アリス様は制御を失い、この拠点ごと我々は消し飛んでいたでしょう。……自分の命が、自分だけのものではないと自覚してください。貴方はあの子にとって、大切な存在なのですから」
「……心配してくれて、助かるよ」
「心配? ……私は怒っているのです」
セレナの指が、包帯の上から傷口を押さえた。痛みで息が止まる。
「貴方の甘さが、あの子を危険な場所へ連れ出し、結果として暴走を招いた。これ以上の『遊び』は控えていただきたいものです」
セレナは事務的に治療を終えると、包帯の端をきつく結び直した。
「今夜は安静に。熱が上がるようならすぐ呼んでください。……それと、しばらくは絶対にあの子の前から離れないことです」
そう言い残し、こちらと目を合わせることもなく部屋を出ていった。
(……分かっている。こいつらは、俺たちだけの味方じゃない)
彼らにとって一番大切なのは、この教団の生存だ。
アリスはその切り札で、俺はその切り札を落ち着かせるための鍵にすぎない。
少なくとも今の俺には、そう見えた。
「……きょうそ?」
扉の隙間から、アリスが不安そうに覗き込んでいた。
俺は激痛を堪え、顔の筋肉を無理やり動かして、安心させるための笑顔を作った。
「……アリスか。こっちへおいで」
アリスは俺の包帯だらけの手を、壊れ物に触れるようにそっと握った。
「きょうそ……もう、どこにも、いかない?」
「……ああ」
守り切れる保証なんて、どこにもない。
それでも今は、そう言うしかなかった。
「約束だ」
俺は彼女の小さな手を握り、痛みに霞む頭を無理やり働かせた。
この教団の中で何が起こってもおかしくない。
(……いいだろう)
(この教団という檻の中ででも、俺は俺のやり方で、この子を守る)
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