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ぬくもりと魔王

アーティファクトと魔王の後半を削ってこの話の前半に持ってきています。その際に少々内容修正しています。

床に転がる立方体の残骸を前に、ルキアスが顔色を変えた。


「行き先固定型の転移遺物です……! この紋様、飛ばされた先はこの直下――旧時代の『廃棄深層』のはずだ!」


「廃棄深層……!?」


俺が叫び返すと、ルキアスは眼鏡の奥の目を険しくしたまま続ける。


「かつて危険な魔物や遺物を封じていた完全遮断空間です。光も届かない。昇降路はありますが、封鎖区画を迂回しなければならない……!」


「最短でどれくらいだ!」


ガルドが怒鳴る。


「数分――」


その答えを聞いた瞬間、背筋が冷えた。


数分も待てるはずがない。


「教祖様、下がってください! 今から迂回路を――」


「間に合わない」


自分でも驚くほど、声ははっきりしていた。


アリスにとって、暗闇は恐怖そのものだ。

さっきまで笑い合っていた俺も、リーネもいない。たった一人、冷たい闇の中に放り出された絶望。

あの子は今、敵と戦っているんじゃない。ただ、怖くて壊れかけているだけだ。


そんな時に必要なのは、剣でも命令でもない。


「下がれ、教祖様! ここから先は危険だ!」


ガルドの太い腕が、俺の胸元を力強く押し止めた。

亀裂の走った石床の先――崩落した穴の底からは、見たこともないような黄金色の焔が吹き上がっている。それは熱というよりも、物理的な圧力となって俺たちの皮膚を叩いた。


「アリスッ! アリス、聞こえるか!?」


俺の叫びは、吹き荒れる熱風と地鳴りにかき消される。

穴の底、廃棄深層の暗闇の中で、アリスが放つ魔力はもはや制御不能な暴力と化していた。


「……こないで……! くるな……! くらくて、なにも、みえない……!」


絶叫と共に、さらなる衝撃波が突き上げてくる。

宝物庫の壁が、アリスの感情に呼応するように赤く溶け出していた。


(……あんな場所に、たった一人で飛ばされたんだ。怖くないはずがない)


俺は、一歩。

ガルドの制止を振り切り、崩落の縁へと足を踏み出した。


「教祖様!? 正気か! 今降りれば、アリス様に認識される前に蒸発するぞ!」


「……あの子は、戦ってるんじゃない」


俺はガルドの手を振り払い、激しい上昇気流に目を細めた。


「怖がってるだけだ! 一人であんな場所にいたら、こうなるに決まってるだろ……!」


パニックを起こした子供には、理屈も、魔法も届かない。

必要なのは、たった一つの『安心』――自分が一人ではないという確信だけだ。


俺は、崩落したガレキを足がかりに、火の粉が舞う深淵へと滑り降りた。


「熱ッ……!!」


吸い込んだ空気だけで喉と肺が焼ける。

衣服の端が焦げ、むき出しの皮膚が針で刺されるみたいに痛んだ。

それでも、止まれなかった。


廃棄深層の底に降り立つと、そこは地獄そのものだった。

その中心で、アリスは膝を抱え、声を枯らして泣いていた。

彼女の周囲では、黄金の炎が壁のように渦を巻き、近づくものすべてを拒んでいる。


「アリス……! 俺だ、こっちを見ろ!」


俺の声に反応し、炎の壁から巨大な火蛇が飛び出し、俺の肩を掠めた。


「が、ぁっ……!!」


意識が飛びそうになるほどの激痛。だが、俺は倒れなかった。

一歩、また一歩と、炎の中を歩む。


「……やだ……こないで……!」

「くらいの、やだ……!」

「ひとり、やだ……だれも、いないの……!」


アリスは目を強く閉じ、耳を塞いでいた。

俺の姿すら、彼女には見えていない。


俺は、ようやくアリスの目の前まで辿り着いた。

髪の先が焦げる匂いがして、伸ばした手の感覚ももう曖昧だった。

それでも、炎の壁を突き抜けて、彼女の小さな肩に触れた。


「アリス、俺だ」

「迎えに来た」

「もう一人じゃない」


指先から腕にかけて、凄まじい熱が俺を焼く。

だが、俺は手を離さなかった。そのまま、彼女の体を力いっぱい、正面から抱きしめた。


「……あ……?」


炎の熱とは違う温度だった。

ちゃんと誰かが触れている、たったそれだけの確かなぬくもり。

その瞬間、アリスの震えが一瞬だけ止まった。


「……大丈夫だ。……アリス。……俺が、ここにいる」


俺は、彼女の耳元で囁いた。

教祖としての威厳も、魔王への畏怖も捨てて、ただ一人の子供をなだめるように。


「……きょうそ……?」

「……ほんとに、いる……?」


アリスがゆっくりと目を開けた。

そこには、全身を火傷で赤く染めながら、自分を見て笑おうとしている男の姿があった。


「ごめんな。遅くなった」

「暗かったな。怖かったな」

「もう大丈夫だ」


俺の言葉を聞いた瞬間、アリスの瞳から大粒の涙が溢れた。

それに呼応するように、荒れ狂っていた黄金の炎が、ふっと勢いを失う。

そして、拠点を揺るがしていた熱そのものが、ゆっくりと引いていった。


「――っ、うあ、ああああああん!! こわかった! こわかったよぅ!!」


アリスは俺の胸に顔を埋め、幼子のように声を上げて泣いた。

周囲の熱が引いていく。


俺はアリスを抱いたまま、その場に膝をついた。

もう脚に力が入らない。指先の感覚もほとんど残っていなかった。


「……よかった……」


それでも俺は、焼けた手でアリスの背をゆっくり撫でた。

意識が薄れゆく中でも、腕の中のアリスの震えだけは、さっきまでよりずっと小さくなっていた。


ここまで読んでいただきありがとうございます!

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